ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

ジャワ神秘主義の民族誌

1958-06-01 | 日記
ジャワ神秘主義の民族誌
関本照夫(一橋大学,国立民族学博物館共同研究員)より引用


P385
 中部ジャワに滞在していた1970年代後半,わたしは至るところでクバティナンkebatinanという言葉を聞いた。
クバティナンとはジャワ的な神秘主義にジャワ人が与える名称であり, 「内」を意味するアラビア語からの借用語バティンbatin を語根としている。

したがって意訳するなら「内面の道」といった意味である。この言葉でよばれる観念と行為の体系は一様なものではなく, さまざまな要素を含んでいる。

外部の観察者はそこに, イスラーム神秘主義, ヒンドゥー神秘主義, ヨーロッパ近代の神智学,いわゆるアニミズム的な超自然的力や呪術への信仰など さまざまなものを見いだすかもしれない。

だがクバティナンを信ずるジャワ人にとって, それは一個の一貫した体系であり, 外来の借りものではない, すぐれてジャワ的なものと考えられている。

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ジャワ人の生活が,学者が一般に神秘主義とよぶ現象に色濃く染まっているのは, 最近に始まったことではない。
だが, この神秘主義を多くのジャワ人が意識的に捉えかえし, ジャワ人のアイデンティティーの要として自己主張しはじめるのは, むしろ最近の事態である。
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クバティナンという言葉自体は, ジャワにイスラームが広まった16世紀にまで遡る古いものである。

だが, この言葉が, まるでジャワ人の文化を代表するものであるかのように, 至るところで, さまざまな社会層をつうじて語られるという事態は, およそ過去30年ほどの間にとりわけ顕著になったことである。

クバティナンというジャワ語の語根をなすバティンという語がアラビア語起源であることにしめされるように, クバティナンという概念自体は, ジャワがイスラーム化した16世紀以後成立したものであり,イスラーム神秘主義tasawwufの強い影響をうけている。
(引用注:イスラーム神秘主義はスーフィズム sufismともいう。)

インドネシアの正統主義的イスラーム教徒の中には, クバティナンをイスラーム信徒共同体内部の道をそれた誤った傾向として批判し敵視する見方も存在する。

だがジャワの神秘主義は, イスラームの伝来とともに始まったものではなく, それ以前からの長い歴史をもっている。

イスラーム伝来以前一千年近くにわたり, インド文明の影響下に王朝文化を発展させてきたジャワでは, すでに文明の主要な形ができあがっていた。
(引用注:インド文明の影響とはインドから伝来したヒンドゥー教・仏教、あるいはマハーバーラタ、      ラーマーヤナなどの叙事詩、あるいはサンスクリット語などを指すものと思われる。)

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イスラームは, これをまったく新たなものに置き換えたのではなく, むしろ以前からの土台の上に, 新たな宗教形式を編成し直したのである。
(引用注:ジャワでの伝統的イスラム Traditional Islamの成立を指すものと思われる。)<-リンク

現代ジャワのクバティナン信奉者が, その思想を表現するためにたえず立ち帰るもっとも根本的な神話体系の一つに, インドの「マハーバーラタ」などの叙事詩をジャワ的に潤色した影絵芝居Wayang kulitの物語群があることに示されるように, ジャワ神秘主義はまずヒンドゥー的・仏教的枠組みのもとに発展した。

さらに遡るなら, 神霊化した死者への崇拝, 特定の際だった人物, その死後の霊, あるいは特別の物や場所が有する並はずれた力についてのマナ的観念など, インド文明渡来以前の, インドネシア的, マラヨ・ポリネシァ的観念にも, 神秘主義の土着的基盤が求められるであろう。


このような背景を持つジャワ神秘主義は, 16世紀以降, イスラーム神秘主義との相互作用によってさらに発展し, また今世紀に入って, 神智学などのヨーロッパ近代の神秘思想や, 深層心理学の独自な受容もおこなわれている。

したがってそれは, 各界のエリートや知識層のあいだに見いだされる形而上的思索の諸サークルから, 一般大衆のあいだのより現世利益に重点のかかった信仰・実践にいたるまで, きわめて多様な現れかたをしめし, 社会の全階層にわたる広がりをもつ。

 クバティナンの興隆は, またきわめて現代的な現象でもある。

遙かな古代からジャワ文化の基調をなしてきた神秘主義は, 1945年の独立以降の社会の混乱と変動のなかで, 国家と民族のアイデンティティーの基盤としてより強く自覚化され, 多くの組織化されたクバティナン・サークルが生まれ発展した。

その中には巨大な全国組織を持つパンゲストゥーPangestu, スマラーSumarah, 世界的な組織を有するスブド subud のように,教団と呼ぶにふさわしい規模と内実を持ったものも存在する。

これらの「教団クバティナン」というべきものについては, ラフマット[Rahmat 1976],ムルダー[Mulder 1980] などによる歴史的概観, ド・ヨン[De Jong 1976],ハルン[Harun 1967] などによる教理思想の研究など, すでにいくつかの業績が存在する。

(引用注・・・たとえばSUSILA BUDHI DHARMA (Subud) AND ITS DOCTRINES <--リンク
 「スシラ ブディ ダルマ(スブド)とその教義」・・・というところでしょうか。
あるいは、THE PATH OF SUBUD<--リンク Author: Drs. Kafrawi  というのもあります。) 

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クバティナンとは何かを概説的に語るのは非常に危うい企てである。

それが社会の中の多数者と区別され強く団結した特定少数者の組織や運動ではなく, ジャワ人の多数がきわめて自明のこととして語り実践する文化的現象であるがゆえに ジャワ人の間で共通の了解の得られた明確なクバティナン像は存在しない。

これがクバティナンだと短い紙数の中で定義づけるには, 現象はあまりに多様で広範なものである。

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クバティナンの内実も, またジャワ文化なるものも, 固定した均質的な体系として存在するのではない。

個々の社会的行為者は, ある広い枠の中から, これがクバティナンである, これがジャワ文化であると, 自らにとって意味づけ可能なものを取り出し, それによって自己の意味の世界を築き上げる。
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(村長の息子)ムリョノによれば, クバティナンはジャワ的な神秘知・神秘術imlu の集成であり,中心には三つの知の体系がある。

第一はサンカン・パランsangkan Paran (いずこより来たりいずこへ行くか) といい,
生命の源と目的についての知である。

第二はカヌラガンkanurangan (身を低く無にする), すなわち身体の統御の術である。

第三はカシダン・ジャティkasidan jati(完全なる死), つまり死を迎え, 死と対面することについての知識である。

さらにムリョノは語る。クバティナンの目的は, 感覚的欲望ナプスnapsuを統御して生命の源, すなわち神Tuhan と合一することにあり, このナプスという概念こそがクバティナンの人間観の核をなしている。

それによると, 一人一人の人間は四人の霊的な兄弟に前後左右をとり囲まれている。
それは, 兄(姉) たる羊水kakang kawah,弟(妹) たる後産adi ari-ari, 母の思いから出てくる恐れと希望とである。

この四人の兄弟は四つのナプスである。

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第一はソフィアsofia, つまり物質欲,
第二はアマラamarah すなわち自尊心,
第三はルアマluamah, すなわち食欲,
第四がムトマイナmutmainahつまり徳への欲望である。

人が寝食を断つ行を実践し思考を集中していくと, 四つのナプスのうち最初の三つの低級なナプスが働かなくなり, もっとも高級なムトマイナーのみが働きつづける。

このムトマイナーが人をその生命の源たる神へ仲介する。

ムリョノはジャワ神秘主義の源泉はこのことにあると言う。

ナプスを静め神のもとへ帰るというかれの神秘観は, かれが語った以下の三行詩に
表現されている。

Hai napsu dalam keadaan tenang
Kembalilah kamu kepada Tuhanmu
Dalam keadaan suka dan mendapat rida oleh Tuhan

欲望よ静けき姿にあれ
おまえの神のもとに戻れ
よろこんで神の引き受けに従え


ムリョノはまた, 神を求める精神的旅の階梯について語る。

第一はサレンガットsarengat, すなわち神への義務をはたす外面の行為である。
第二は神に近づく道程タレカットtarekatである。
第三はタレカットをつうじて生起する現実, 究極的な真理であって, ハケカット    hakekatとよばれる。
第四はマリファットmarifat, すなわち神の実在についての確信に真にたどりつくこと   である。

人はサレンガットから出発するが, 口で語り表面で行為するだけではなく, 神の命令に真に心から駆り立てられてタレカットをおこなう。

タレカットはハケカットを求めるためのものであり, ハケカットに達した状態がマリファットである。
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ジャワのクバティナン・・・
その基盤には, 感覚的欲望ナプスの統御によって神のもとに帰り,究極的な真理たる神の実在へたどりつくというイスラーム神秘主義の一つの基本的態度が横たわっている。

だがそこには,神秘主義の文化史を論ずるものがいつも出会うように,一個の文明伝統だけに帰すことのむずかしいさまざまな要素が融合し熟成して,ジャワの神秘主義としか名付けえない一体系が生み出されている。


クバティナンは,特定の教派や宗教運動と見るにはあまりに広いものであって,

 世界を解く形而上学,
 世界を日常世界を深部で動かす秩序を知るための知と技,
 素朴な人生の倫理訓,
 現世上の祈願実現のための呪的力の操作術

など, 個人ごとの立場によってさまざまに異なる姿を現わす。
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以上

PS
・ジャワ神秘主義の民俗誌<--リンク
ジャワ神秘主義の民族誌(原典)

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク

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