ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

アンワスとアンワルの物語(アダムの子どもたち?)

2014-07-13 | 日記
さて、バパによればアダムには二人の息子がありました。

名前をアンワス(Anwas)とアンワル(Anwar)といいます。

アンワルは預言者たちの先祖になりました。

そうしてアンワスは神々たちの先祖になりましたとさ。


さてアンワスは修行の道をえらび、サンヒャン・シス(Sang Hyang Sis)またはサンヒャン・ヌルチャキオール(Sang Hyang Nur Chakior)と呼ばれるようになりました。

「サンヒャン・シスの息子がサンヒャン・ヌルチャハヤです。

サンヒャン・ヌルチャハヤの息子がサンヒャン・ヌラサです。

サンヒャン・ヌラサの息子がサンヒャン・ウェナンです。

サンヒャン・ウェナンの息子がサンヒャン・ツンガルです。

サンヒャン・ツンガルはまたサン・マハ・デ ワとも呼ばれておりました。」

「そうしてその子どもたちがヴィシュヌ、ブラーマ、そしてシヴァです。」というのがバパの持っている神話です。

それに加えて「仏教では、最高の存在はヴィシュヌ、ブラーマ、そしてシヴァです。」とはバパが持っている仏教に対する認識の表明であります。(注1)


バパの母親の父親、キアイ・カルト・セーはチレボンの出身であります。(注2)

そうして、チレボンにも同様の神話が残っております。<--リンク

そこではアダムはシス(Syis)という名前の息子を持ちます。

シスは2人の息子、アンワスとアンワルを得ます。


そうしてバパの物語とは逆にアンワスが預言者の先祖になります。

アンワルは修行してサンヒャン・ヌルチャハヤ(Sang (H)yang Nur Cahya)と呼ばれる様になります。

サンヒャン・ヌルチャハヤの5代目に当たるのがバタラ・グル(bathara Guru)です。

そしてバタラ・グル(bathara Guru)によってジャワに「サンヒャンの教え」がもたらされました。


ちなみにバタラ・グル(bathara Guru)とはインドネシアではヒンドゥー教の最高神であるシヴァの別名とされています。<--リンク

そうして注意が必要なのは、この神話は「ジャワでイスラムの教えを広めるために作られたらしい」という所であります。

バパの神話でもチレボンの神話でもいずれにしてもシヴァ(あるいはバタラ・グル)はアダムよりも下に置かれているのがそれを暗示していますね。


それからチレボンで活躍したイスラム伝道のワリ、スナン・グヌン・ジャティ (Sunan Gunung Jati)の正統性の表明にもなっています。<--リンク

そしてスナン・グヌン・ジャティはチレボン王国を築いた人でもありました。<--リンク


バパの神話とチレボンの神話の二番目の相違点は双子の息子(アンワスとアンワル)の父親ですね。

バパは「アダムだ」といい、チレボン神話は「シスだ」と言っています。


さてもうひとつ、同じ神話についての別の記述があります。

それはバパが生まれて育った地方にあったマタラム王国の史伝である『ババッド・タナ・ジャウィ Babad Tanah Jawi』です。(注3)

そうしてこの神話ではアンワスとアンワルは明示的には出てこない様であります。


Babad Tanah Jawi目次

1.アダムから神々までの系譜

2.ギリンウシのプラブ・ワトゥグヌン

3.バタラ・ウィスヌとバタラ・ブラマからパジャジャラン王国までのジャワの諸王の系譜

・・・・・そうしてマタラム王国の王の系譜につながるのです。

まあそうやって神話を国の権力者の正統性の表明につなげるのは、日本をはじめとしていずれの国でもやっていたことでありますね。


1.アダムから神々までの系譜(ババッド・タナ・ジャウィより抜粋)

これはジャワの国の王たちの歴史であり,預言者アダムAdamに始まり,〔アダムに〕息子シスSisがいた。

シスに息子ヌルチャフヤNurcahyaがいた。 (注 ヌルチャフヤはアンワル?アンワス?この記述では不明のままですね。)

ヌルチャフヤに息子ヌラサNurasaがいた。

ヌラサに息子サンヒャン・ウェニンsanghyangWeningがいた。

サンヒャン・ウェニンに息子サンヒャン・トゥンガルsanghyangTunggal がいた。

サンヒャン・トゥンガルに息子バタラ・グルbatharaGuruがいた。

バタラ・グルに5人の子がいて,

バタラ・サンボbatharaSambo,

バタラ・ブラマbatharaBrama,

バタラ・マハデワbatharaMaha-Dewa,

バタラ・ウィスヌbatharaWisnu,

デウィ・スリdewiSri。

バタラ・ウィスヌはジャワ島に君臨し,プラブ・セットprabuSetと称した。

バタラ・グルの王宮の名前はスララヤSura-Layaといった。

・・・・・


この神話でもサンヒャン・ヌルチャハヤの5代目に当たるのがバタラ・グル(bathara Guru)です。

そして神々の祖先がバタラ・グル(bathara Guru)になりますが、バパの神話ではバタラ・グルと言わずにシヴァと表現しています。


まあ、いずれにしてもマタラム王国もイスラム王国でありました。<--リンク

というわけで、当然アダムが一番の祖先であり、「バタラ・グル(bathara Guru)は派生したもの」ということになりますね。

言い方をかえますと「イスラムが基本。ヒンドゥー教や仏教は派生したもの。」と暗示しているのです。

そうやってインドネシアではバリ島をのぞいてイスラム教全盛の時代に突入していくのでありました。(注4)


(注1)
1969 ・12 ・3 (TJK) チランダ トークより抜粋。
但し残念ながらこのトークもライブラリーには登録されていない模様です。<--登録されていました。(確認2015・6・1)

ちなみにこの3神はヒンドゥー教の3最高神で、仏教の神ではありません。

そうしてどうやらバパのラティハンは「この思い違い」を訂正することはなかった様であります。

この件に関して尋ねられた二代目の回答は「バパはイスラム教徒でした」というものでしたね。

そのとおりです。

だから、仏教のことは仏教徒にまかせておけばいいのですね。

追伸
二代目の回答を聞いた時は「まあそんなものかな」と思っていましたが、やはりそれでは「バパの後を引き継いだ者としてはいかがなものかな」という思いが出てきます。

そうして、そのように回答せざるを得なかった原因は「バパのトークに誤りはない」という「神話を守る為だったか」と推定しております。

さてそうしますと「質問者に対して誠実である事」よりは「トークの神話を守る事」の方が大事だったかの様であります。

さてさて、それほどまでにして守られなくてはならない「トークの権威」というのはいったい何なのでありましょうや?

(注2)
それゆえにバパの母方の家系ではこのチレボンの伝説が大切な話として親から子に語り継がれてきたであろうことは容易に想像されることであります。

それから「インドネシアにイスラムをもたらしたワリとそのワリを祖先とするジャワの王侯貴族、そうしてそれにつながりをもつ子孫の中の一人がバパである」とするバパ自身の話については1981年6月27日のホボケン トークを参照願います。

あるいはバパの自叙伝を参照していただくのも良いかと思います。

(注3)
『ババッド・タナ・ジャウィ』のPDFは以下の文字列をグーグルにコピーして検索すればアドレスが入手できます。
stars.andrew.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=36

『ババッド・タナ・ジャウィ』のPDF<--リンク

(注4)
このような神話によりバパの中で仏教やヒンドゥー教がイスラム教より劣るものとして位置づけられ、そうした宗教的偏見により「いわれのない不当な扱いをうける」とするならば本当に不幸なことであります。

また、そのような態度の結果として「ラティハンの広がりが制約を受けている」とすればこれもまた本当に残念なことでありますね。<--リンク

PS
ジャワにイスラム教が入ってくる前のヒンドゥー教時代でのバタラ・グル(bathara Guru)関連の記述例です。

ジャワ島の創出<--リンク

ルワタンとコモ・サラの物語<--リンク

あるいは「古代ジャワ社会でのルワットの概念 」とか。<--リンク

はたまた「アルジュノの婚礼宴」とかね。<--リンク

PS
ワヤン(wayang)の世界でのアンワスとアンワルのとらえ方です。
系図が出ていますので一目瞭然ですね。<--リンク

ここでもやっぱりアンワスが預言者たちの先祖でアンワルは神々の先祖の様です。
これはチレボンの神話と同じで、バパの神話とは逆になっている事になります。

そうそう、それからこの子どもたちの父親はシスとのことです。
それではアダムは「お祖父ちゃん」ということになりますね。

そういう訳で蛇足ではありますが「アダムとそのこどもたち」という題名にはどうも疑問符がついた模様であります。

PS
チレボン神話と同様の記述をインドネシア・ウィキペディアがしております。
こちらの方もご参考までに。<--リンク

PS
次はがちがちのイスラムサイトです。(もちろんインドネシアのサイトですが、、、。)<--リンク

やはりチレボン神話を踏襲の模様ですね。


ところでカルトというのは一般的には世の中に広く知れ渡っている情報や知識を「結果的に無視している状況」が生み出すことになります。

さて我々は「カルトを作りたい」のでしょうか?

それとも「よい知らせを広く伝えたい」のでしょうか?

まあそのどちらでも可能ですが、この2つは同時には成立させることはできません。

そうして「どちらを選んだことになるのか」は「我々の言動次第」とそういうことであります。

PS
とてもビジュアルで見やすいベトナムのサイトです。<--リンク

でも残念ながら内容はインドネシアで一般に言われていることとは一致していません。

このように「単一の情報源に頼る」ということは一般的には相応のリスクが伴います。


さてこのサイトでは特定の教えに対して宗教批判とも取られる様なことを言っておりますね。

これはこのサイトの製作者が「宗教的な偏見を持つ」ということでしょうか?

少なくとも「よい知らせを広く伝えたい」という態度には見えません。

ここは本当に注意が必要なところであります。

そうしてまたベトナムの読者の方々がこのような記事によってラティハンへの道がとざされるとしたら、それは本当に残念なことでありますね。

PS
「ババッド・タナ・ジャウィ」でもアンワスが預言者の系列でアンワルの別名が「ヌルチャハヤ」の様です。<--リンク

以上、詳細は上記PDF3ページ目冒頭をご確認願います。

PS
・アンワスとアンワルの物語(その2、神々と人類)にはこちらから入れます。<--リンク

PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

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