ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳47・19年2月2日のトークについて(2)

2019-06-26 | 日記

いろいろな手紙が二代目の元に届く様です。
そうして、相も変わらず同じ様な手紙が届く、そう言う事の様に見えます。

『・・・
でも、私はラティハンを勤勉に行っています。
それはしなくてはならないことですから。
しかし、決してモスクに行く事がない、スブド会員でない人たちの方がなぜ問題もなく仕事を見つける事ができるのでしょうか?
彼等の多くは今裕福で、生きていくのに十分なお金を持っています。
・・・』

そのようにいう会員がまだ二代目の近くにいる、と言う事の様です。
つまり「世的な事柄がうまく処理できない」という訳です。

しかしながら「モスクに行く事」と「世的な事柄をうまく処理する事」とは直接的な関係はない様に思われます。
仕事を見つけたいならば「モスクに行く」のではなく「ハロワに行かなくてはならない」のです。
そう言う事すらこの方は了解出来ていない、という事の様に見えます。

この事は「そのように物事をとらえている会員の認識のあやまり」であると同時に、そのような認識をしている会員に対して「スブドの先輩諸氏方々が十分に対応できていない」、「世的な物事に対する会員の態度はこうである」と言う事を十分に説明できていない、と言う事を表しております。


バパや二代目は単に「お金が必要ならば、働きなさい。仕事をしなさい。」というだけです。
それはまことに正しい事でありますが、それと「目の前で困っている会員との間をつなぐものがない」かの様です。
それが不足している為に、バパや二代目のアドバイスは困っている会員にとっては何の助けにもなっていない、と、まあ状況はそのように見えます。

さてその両者をつなぐもの、と言うのは何でありましょうか?
それこそは本来は会員同士が教え合い、助け合う、という事でありましょう。

そのような集まりであれば、それはどのように世間が変化しようが、進んで行こうが対応できる、そうした人々の集まりとなる事が出来ます。
あるいは、そのように出来ない、というのであればそれは「世間に対応できない、形ばかりの組織である」と言う事になります。


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