ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念/・5 人間の魂(人間力)-2・

2017-06-05 | 日記

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結婚した男性の性的な問題を話し合った後、バパは未婚の男性の性的な問題について話し合う。


「今度はこのテーマについて始めましょう。

彼らが結婚する前に多くの若い男性は、しばしば女性と性的関係を持ちたいと思っていますし、さらにそれが習慣的であるかのように繰り返して、それが彼らが情熱を和らげることができる無害な娯楽だと考えている人もいます。

あるいは他の人たちは、合法的な妻と結婚する前に彼らの欲望と情熱を満足させるために、必要に応じたものとしてそのような行動を見なします。」


「しかし実際には、そのような行動は、特に結婚したときに人間の種のための通路になることを予定されている若い男性にとって、非常に危険です。(注1)

この種の楽しみは、より低い魂によって誘発される為に普通の楽しみとは異なり、容易に諦めることができないもので、その結果際限のない内なる苦しみを引き起こす事になります。」


「こうして彼は自分の誤りの結果を見ることになります。

彼が内部状態が既に劣化している女性との性交が好きであるという事実は、彼が所有するほぼすべてのものを破壊するので、彼は変形され、元のものとは異なったものになるでありましょう。」
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「それにもかかわらず、そのような場合でさえ、人間は自分の存在の目的を完全に忘れることはできません。

つまり、彼は若い女性が生涯のパートナーになる必要性を感じ続け、結局のところ彼の後を追うか、彼の人生を続ける子供をそのような結婚から得ることを望みます。

実際に、それは良い家族から来る魅力的で美貌の女性を選ぶ際に男性に(必要なのは)いくつかの賢明な体験をすることです。」

「結婚前に間違って行動した若い男は、そのような幸運を経験する可能性はほとんどありません。

彼の誤りは、『彼との性的関係の結果として妻の内面の状態が乱され、最終的に彼女は彼女の夫と同じ運命にめぐり会う事になる』というような種類のものです。」(注2)

「彼らの『人生がスムーズに流れていって欲しい』という全ての望みはこうして曇らされます。

欲望から行動する人は、恵みと幸福の条件であるかもしれないものを、本当に耐え難いものに変えてしまいます。」

「明らかに、夫から流出した低い堕落した魂(低い堕落した生命力)は、以前は純粋で無傷だった妻の内部状態を腐敗させ汚染してしまうほどのひどい影響を与えます。」

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「彼が子供をもうけた時には、この子供も低次の魂によって支配されなければならず、その子の性格は父親がまだ若くて純粋な時に父親が持っていた性格とは非常に異なるものになるでしょう。」(注3)

「この汚染の結果子供は、特に人間の霊的な性質を知るようになるにつれ、結局のところは人生で多くの苦しみを経験することになるでしょう。」
・・・・・
ここまで、英文はこちらを参照願います。<--リンク

(注1)人間の種( human seed:biji manusia)
バパが提唱されている「男性優位の子作り論」でキーポイントになるのが「人間の種子」です。
以下、詳細につきましてはこちらの記事を参照願います。<--リンク

(注2)ここではバパは「人の体が持っている働き(これも人間力の一つの表れではありますが)故に、性的な接触(性的合一)によって男性と女性の内的な状況が(あるいは内部感覚が)混じり合う事」を述べています。
そうして、ここで論じられている夫婦はまだ自分の内部に存在する生命力を認識する事も分離する事も出来ていない、「霊的にはまだ未熟なレベルにある夫婦」と言う事になります。
「そのような夫婦が進歩しうる可能性があるとしたら、そうして人生を改善しうる可能性があるとしたら、それがラティハンである」と言うのがバパの主張であります。

(注3)「このようにして親の行動の間違いの結果が子供に引き継がれることになり、そうやって世代を重ねるに従って人類の霊的なレベルが疲弊し堕落した」というのがバパのカルマ論となります。<--リンク

PS
人間の種子( human seed:biji manusia)について
スシラ ブディ ダルマ 13章 ダンダングラ 14節~19節
以下に展開される内容は「ラティハンによらずに、本来はこのようにして人間と言うものはジャスマニからロハ二に至るのだ」というお話になります。

同上章 16節から
And if within the marriage they conceive a child, the force within the human seed coming through the man’s self will awaken his bodily feelings.
そして結婚の中で彼らが子供を宿すならば、男の自我を通って訪れる「人間の種子の中の力」が男の身体感覚を目覚めさせるでしょう。

さて、この話は上記の文がキーポイントになります。
二人のジャスマニレベルにある男女が結婚して子作りにはげみ、そうしてめでたく子供を授かった場合の事が書かれています。
そうして、そのような体験が男性にとっては「それが一種の内的な覚醒体験となり、それを契機として自分の内部にある諸力を見分けること、さらに進んでは支配する事ができるようになる」とされています。
そうして次には、「妻との性的な合一という行為の中にある秘密(結婚の秘密)にも気がつくようになる」とされます。<--リンク
こうして彼は妻と二人そろってジャスマニからロハ二へ向かう旅に出ることができるのであります。

以上の話の中ではラティハンの事については一言も触れられておりません。
そうでありますから、バパの認識では「本来はこのようにすでに道は用意されていたのだ」という事になります。
しかしながら、残念な事に人類はその道から外れてしまった、と。
その為に、その対応策としてラティハンが出現したと、そういうストーリーになるのでありました。
(そうして「ラティハンが出現する前にすでに存在していたこの道は、実はムハンマドによってもたらされていた道である」というのがバパの主張なのであります。London 1959/8/11)

ちなみに男性を内的覚醒に導くこの「人間の種子の中の力」というのがどのような力なのか、生命力なのかはどこにも言及がない様であります。

追記
(London 1959/8/11 by library, 8/1 by定訳集)トークより引用
『・・・・・
そして、ムハンマドと彼の妻との性的合一が真実になって神に向かって礼拝する行為になったので、ムハンマドが神を礼拝することがより容易になりました。

男性と女性の性的合一は、真の礼拝行為であると神によって定められました。

これは、イスラムの宗教に従って、モスクで行われた結婚式で示されています。
ここで、男女は真の夫と妻になることを宣言して確認するために、「アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。」という信仰告白を唱和する必要があります。
この行為によって、夫婦は彼らの存在を神に誓うこと、そして彼らは神の目撃者であることを認めています。

これはそれがどのように実践されたかです。
ムハンマドの追随者や他の多くの人間が、夫と妻の性的合一を純粋にし、礼拝の行為をしました。
それで彼らは真実、神を礼拝することができました。

しかし、バパは再び、人間は人間のままであると言います。
とても素晴らしく幸福な礼拝行為にもかかわらず、彼らは再び、彼らの楽しみと喜びの中で、彼らがこの世界の環境の影響力と圧力にさらされていること、そして低次の諸力の侵入、それは人間が純粋な目標を達成するのを妨げる傾向があると言う事を忘れてしまいました。
だから、ほとんどの人にとって、男女の合一は、礼拝の行為ではなく、再び彼らの情熱の喜びに過ぎなくなりました。

現実には、性的合一の真の性質は要約(繰り返し)というものであり、それを通して人間は「存在する前と後の両方で自分の状態を認識して知ることができなければならない」というものです。
あなた方は本当にそのように認識しなければなりません。
そうでなければあなたは単に車が通り過ぎた道のようで、その車がどこから来たのか、どこに行ったのか知ることがありません。
それは本当に失望する事であり、本当に全能の神を悲しませています。
なぜ人間はこれを理解できないのですか?

それで兄弟姉妹の皆さん、あなたの子供がどこから来たのか、あなたの子供があなたを通過しても何が起きるのか、皆さんは知らないのです。
子供はどこから来たのですか、そしてどこに行くのですか?

しかしあなたがこれを意識すると、「私が存在する前に私はどのようになったのか?」を意識していることになるでしょう。
そして、「後で(地上を、この世界を)離れるときはどうなるのか?」がわかります。
(注:つまり、「死後の自分の状況を前もって知る事ができる」という主張です。)

以上のように、これらはアブラハムからムハンマドまでの預言者たちが受けた戒めがどれほど優れているかという事です。
しかし、人間は人間のままであり、世界の雰囲気にとても容易に左右されます。
何が起こっているのかを意識することなく、時間が経つにつれて、彼らは自分たちの欲望、意志、思考心、そして心の力に従うことをますます重要にしていきます。
・・・・・』

ムハンマドに与えられた天啓もこうして本来の意味を失っていきました。
そうして時代は現代に至り、ついにラティハンの登場を迎えたのであります。
・・・というのがバパの主張する「ラティハン登場にいたるまでの歴史的な経緯」になります。

但しそのような説明は人類すべてに受け入れられるものではなく、結果的にはあるグループは受け入れた様ですが、あるグループはその主張を拒絶した模様です。
こうして人類のあるグループはラティハンを受けることができ、あるグループはラティハンを受けることが出来なくなりました。

(注:上記のようなイスラムの到来による恩恵についての理解の仕方はかなりバパの独自性が出ている様に思われます。
そうして、そのような理解はイスラムの中では主流派、正統派ではない様です。
ただしイスラム神秘主義のなかに、たとえばイブン・アラビーの著作の中に似た考え方を見つけることは可能の様です。<--リンク)


追記
上記(London 1959/8/11)トークでは、イスラム教徒が結婚式で信仰告白をすれば、自動的にその夫婦の子作りの行為が礼拝の行為になる、と誤解しそうであります。
しかしながら、事実はそうではなく、結婚式での夫婦の唱和は単に「その夫婦がスタートラインに立った」と言う事を表しているにすぎない様です。
そうであればこそ、単に儀礼としての信仰告白のみでは夫婦の子作りの行為は礼拝にまで高まる事はなかったのであります。
(信仰告白の宣誓という行為自体に何か不思議な霊的な力があって、それが人を浄化する、、、という事はないということになります。)

そうしてまたこのことは以下のトークからも推定できそうです。
(6月13日1963 バパ)より<--リンク
実際、男女の合一は、兄弟姉妹の皆さん、本当に人間と神の間の礼拝の行為です。
しかしそれは、誰でもそうであるのではなく、神の恵みを受けた人間にのみ適用されます。
それ以外の人では礼拝にはならず、喜びの行為になるだけです。
それは彼らの欲望、彼らの植物力の欲求、そして彼らの物質力の欲求を満足させる方法です。
それは一般的に、つまりは男と女の合一は礼拝の行為ではないということです。
・・・・・

PS
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