ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・5 人間の魂(人間力)-1・

2017-04-23 | 日記

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・・・・・
人間の魂(roh-djasmani)の概念に目を向けると、バパは人間の物理的な身体を参照しているということがわかります。

これまでの議論では、野菜や動物の魂は、それらを消費すること(食べる事)によって人間の内的生命(or内部感覚)に影響を与えることが分かりました。

人間が人の肉体を食べることはめったにないので、物理的な身体が人間に影響を与えることがどうしてできるのかが問題になります。


バパによると、人間の魂(ロホ・ジャスマニ)の影響は、男と女の性的関係(性交)から生じてきます。

その影響は、主に彼らの関係の正当性に左右されます。

この点で彼の教えを明確にするために、彼は性的関係の様々な結果(否定的でも肯定的でも)を詳述します。

すなわちそれは結婚したカップルと未婚の人との間の影響、そして彼ら自身の魂や子供、そして彼らが住んでいる社会へのそれぞれの影響です。

以下に続く内容は、彼のロホ・ジャスマニの概念から選択された引用です。

人間の身体的な魂が相互作用する方法は、食べたり食べられたりすることの結果ではなく、霊的または性的な結合の結果である。」(注1

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「これらの力が人間自身に及ぼす影響は、実際には最も強力ですが、いずれにしても、それらは人生の必需品であり、脇に置くことはできません。」

「身体的な魂の影響によって人の完全な人生はますます完全になり、自分と同じような他の存在を生み出すことができるようになります。」

「性交の時には、男性の本質と女性の本質という2つの身体的な魂の間に相互作用があります。

その結果として、2人のうちのどちらが強く、どちらが弱いかが明らかになります。」

「両者が同じような純度(ジャスマニ レベル)であれば、性交を支配する魂(人間力)は男性起源のものです。」(注2

「夫に霊的な事柄の理解がなく、妻が妊娠している、という例を取ることもできます。

時折、彼は他の女性と性的関係を持つのが好きという点で間違って行動するかもしれません。

その理由は、妊娠している女性は通常、常に(性的な)満足感をもとめる夫の欲望に従うということに強い嫌悪感を感じるからです。

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それゆえ、情熱を制御することができないかもしれない彼女の夫は、他の女性と性的関係を持つように強制されたと感じてしまいます。」

「最終的に彼は別の女性と性的関係を持つことによって自分の内なる内容の悪化(内部感覚の悪化)を引き起こしてしまう為に、後悔することになります。

もし彼が知っていれば、彼の妻は自分のためにのみ彼を拒否したのではなかったのです!

まだ子宮内にいる子供の意志が、自分がまだ子宮内にいる間は幸福の状態を繁栄し、楽しむことができるように、実際に両親に忍耐力を与え、状況を受け入れるように警告していたのでした。」

「そのあとで彼が妊娠している妻と性的関係を持つことを望むなら、さらに状況は深刻です。

このような関係は、妻と子供に、彼自身と同じような苦しみを引き起こす可能性があり、すべてこのことに関与していない彼の妻と子供は、彼が犯した誤りによって非常に深刻な影響を受けることになります。」

「と同時にそのような出来事が決して妻によって望まれることはないということは、記憶されなければなりません。

この種の行為は、彼の妻とその子供に害をおよぼすので、優れた性格の後取りを得たいというすべての希望が消えていることは明らかな事です。」
・・・・・
ここまで、英文はこちらを参照願います。<--リンク

注1 人間の身体的な魂(ロホ ジャスマニ)
本文では「人間の身体的な魂(human physical soul)」、と表現されていますが、魂が物理的な形状を持つ、と言う意味ではありません。

そうして通常我々がとらえているSoulの概念ではSoulはその人の人格の要素であり、個性であり、アイデンティティーであり、我々が我々の人生の主人公であると認識しているものです。

しかしここで述べられているHuman Soul(人間力)というものはそのような人格的な要素ではなく、バパによれば人の人体に固有のある種の霊的な生命力の事であります。

しかしながらそのような生命力は人の中で本来のその人のSoul(Jiwa)の代わりに主人公の座に居座ってしまう、という事が出来てしまう力でもあり、その意味でSoulといってもあながち間違いではないのです。

そうしてこの「本来の我々のJiwa(魂)を押しのけて代わりにその人の主人公の座に居座りその人をあやつる能力」というのは、物質力から始まり人間力までに至る、どの段階の生命力であっても可能である、というのがバパの世界観、バパの主張する所です。


このあたりの状況の説明の仕方はバパに固有なもので、そうしてそこにはスーフィズムの影響があるように見受けられます。

井筒俊彦著「イスラーム哲学の原像」によれば、「・・・ただし、スーフィー自身はこの意識の5つの層、5つの段階、段層的な領域を、5つの別々に独立して存在する魂であるかのごとくに語ります。

つまり、言語的表現としては、5つの違った魂があることになります。」(p55)

ここで井筒さんは「我々が通常使っている心理学的な表現では「意識のレベルの事」で、しかもそれが「階層的」になっていてなおかつ通常は意識下にあって意識的には認識できない意識構造、それをとらえて「異なる魂がそこに存在る」かのごとくにスーフィーは語る」と言っているのであります。

そうしてまさにバパが主張している、「物質力から人間力にいたる4つの魂(Soul)はそのような意味合いで語られている」と理解する事も可能なのです。

それに加えてバパは「これらの魂が人の内部では力をもつものであり、思考、欲望、意思、感情、意識などの心の働きはこれらの魂によってコントロール、あるいは支配されている」と主張します。

その為に「この4つの魂のなかの一つが「主人公の座」に収まっている時には、その人の考え方、感じ方、欲望、動機、衝動、意識などはその魂のレベルに相応した広がりしか持ち得ない」と言われます。

従ってこの事が「どれほどその本人が意識的に内省してみても自分自身が現在どの魂によって支配されているのか、認識する事はできない」というバパの結論につながるのであります。<--リンク

そのような状況にある時に人間は「これはあまり好ましい事ではない。」と理性では分かっていても実際には衝動に、あるいは欲望に負けて「好ましくない行動をしてしまう」という事になるとバパは説明します。


さてそうではありますが、通常は我々は「人間と言うものはそうしたものだ」と考えているのであります。

そういう訳で、「ジャスマニ レベルが「人間段階」であるならば、それでいいのでは?」という質問が出て来そうです。

それに対してバパは「いやいや、ジャスマニを超えて本来の人間の段階であるロハ二まで行くのがラティハンの道ですよ」と言うのであります。

そのレベルになりますれば、「主人公の座」にはその人本来の魂(Jiwa)が座り、それ以外の4つの魂は主人の言う事をよく聞き、その言いつけに従うのです。

つまり「衝動的に、あるいは欲望に負けて人間らしからぬ行動をとる」という事は決して起こらないのであります。

注2 ジャスマニ レベル
「人間の中には常に4つのナフスが存在している」、というのがバパのそうしてジャワでの基本的な人間観になります。

それに加えて、バパの主張する所によれば「物質力から人間力に至る4つの諸力が内部感覚の中を流れることにより4つのナフスが発生する(7,20, 1957 - Bapak)(11,26, 1972 - Bapak)」のであります。<--リンク

従いまして、どのような人であれ人体を所有している状況では基本的に4つの諸力を所有し、その結果として4つのナフスを所有することになっています。

さて、その4つの諸力と並行して「我々本来の魂(Jiwa)が存在している」というのがバパの主張です。

そうして理想的には「この本来の我々のJiwa」の下で4つの諸力が働き、4つのナフスを使いこなすのが「人のあるべき姿」となります。

そのような人はすでにジャスマニ レベルをこえてロハ二 レベルへの道を歩いていると言えましょう。


さて、ジャスマニ レベルの説明です。

主にその人の内部で働いている力がジャスマニである、その人の身体を満たしている主要な力が物質力ではなく、植物力でもなく動物力でもなく人間力である人の事になります。

つまりその人の主人公の座に座っているのが人間力(ロホ ジャスマニ)である人という事です。

そうして、「そのような人はまだ4つの諸力を使いこなす、という段階にまでは到達していませんが、その段階へのスタートラインには立てている」という事になります。

PS
バパによれば、「物質力が主人公の座についている時は、その人はナフス アマラ(nafsu amarah)の影響を受ける」と言います。

ナフス アマラ(nafsu amarah)の内容詳細はこちらを参照願います。<--リンク


さてジャワにはもともと「4人兄弟の教え」があります。
(Cipta Tunggal 第16節を参照ねがいます。<--リンク)
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

「全ての人は生まれてくる時に4人の目には見えない霊的な兄弟に付き添われて生まれてくる」というものです。

そうしてどうやらバパはこの言い伝えと4つの魂、4つの諸力(物質力、植物力、動物力、人間力)を関連させて捉えておられる様です。

そういう訳で、我々の内部で5つの魂が順次入れ替わりながら主人公の座についても、それは「一卵性の5人兄弟(4人兄弟+本人)」でありますから、外観(?)からはほとんど見分けがつかないのであります。<--リンク

そうして(8,7,1959 OSL)トークにも「一卵性の5人兄弟(4人兄弟+本人)」の記述があります。

(8,7,1959 OSL)バパ トークより
「そしてスクマ(Sukma)は、この粗い肉体の精妙体です。
実際には、精妙体は一つだけでなく五つあります。
ですから(ジャワでは)5人の兄弟について話すのです。
第一は黒、第二は赤、第三は黄、第四は白、第五は褐色です。」

以下は「4人兄弟の教え」についての、もう一つの資料です。ご参考までに。
「4人兄弟の教え」<--リンク

PS
上記本文より

「性交の時には、男性の本質と女性の本質という2つの身体的な魂の間に相互作用があります。

その結果として、2人のうちのどちらが強く、どちらが弱いかが明らかになります。」

「両者が同じような純度(ジャスマニ レベル)であれば、性交を支配する魂(人間力)は男性起源のものです。」(注2


この部分の記述は子作りの行為の時に働く人間力の作用の説明になっています。

そして夫婦が二人ともジャスマニ レベルであれば、「性交の結果はその二人の間に確実なきずなを、内部のつながり、あるいは魂のつながりを作り出し、もはや二人は一つの魂を共有する、とまで言われる状況になる」とされています。

その際に妻がその両親から受け継いだ物質力から人間力に至るひとそろいの諸力のパッケージは両親に戻り、かわりに夫からの力のパッケージを受け取ることになる、というのがバパの説明です。(スシラ ブディ ダルマより)

これは「基本的に生命力の流れる方向が男性から女性である、という事実によっている」というようにバパは言います。

このことは「性交により子供がさずかる場合」にも同様であり、つまりは「子供の魂(Jiwa)は夫に受けられてから妻に伝えられる」とスシラ ブディ ダルマの中では説明されています。
(追記:子供の魂がいつ、どこに入るのか、、、につきましてはトークには別の状況の記述もありますので、ページを改めてレビューしたいと思います。)<--リンク

この件に関して、参考までにネット上での情報です。
子供の魂(Jiwa)は夫に受けられてから妻に伝えられる」<--リンク


さて、夫婦が両方ともにジャスマニ レベルである、ということは現代ではとても稀有な事になっていると思われます。

「両者が共にジャスマ二 レベルである」という条件を残念ながら満たせない場合は、上記のような状況には至らず、夫婦は単に「喜びの行為で満足する」という状況になる模様です。

その場合に人間力の作用により基本的に起こる事は「相対的に上位のレベルにある方の内的な状況は引き下げられ、かわりに下位にある方が引き上げられる」という事になる様です。

そうして、「一つの魂を共有する」という所までのきずな、一体感はそこでは生まれない事になります。


さて、「男性から女性に生命力が流れる、というのは、男尊女卑の考え方ではないのか?」という疑問が出てきます。

1950年代でのジャワでの常識は多分にそのような傾向を持っていた事は事実でありましょう。(ジャワの家父長制度)

そういうわけで、上記の説明が「そのような時代の社会の伝統や常識に影響されたものである」と理解するのか、あるいは「それが生命の真実である」と理解するのかは読者の判断におまかせしたいと思います。

追記(2018年9月)
バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”によれば、どうやらジワが子供に宿る状況はバパの主張の様な「男性優位論」は成立していない様であります。<--リンク

そうなりますと、クジワアン(霊的な領域)の事については男女は平等である、ととらえておく事が現状では妥当の様に思われます。

さてその結果はといいますと、バパが初期に主張していた様な「女性の場合はクジワアン(霊的な領域)の進歩についてはパートナーである男性にその責任がある」というような主張は修正される必要がある、という事になります。

つまり「人間がロハ二レベルに到達し、天国に行くとしたならば、その責任は男女をとわず、その人個人に属する」という事であります。

PS
多少ともこう言う世界の本などを読んで来たものにとって、「子作りの行為」、あるいは「子供そのもの」に言及する「霊的な教え」というのはかなりめずらしい部類のものに感じられます。
:こう言う世界:光明とか悟りとか、魂の救済とか神的合一とか言う世界)

しいていうならば「性行為」についての記述、そうしてそれが「超越しているもの、超越している状況とのつながりの窓になる」という霊的な教えが他にはない、と言う訳ではありません。

しかしながらその論点が「よい子供を得ること、ひいてはそれが社会の為になる」などど主張している霊的書物は今までは知りませんでした。

そうしてそのめずらしい主張を展開しているのがスシラ ブディ ダルマの人間力の章なのであります。


ところでその背景を見てみますと、ジャワの伝統的な教え、考え方の中に同じような主張を見つけることができます。

たとえば「それはGumelaring Jagad(宇宙の重層性)の翻訳です」の第44節を参照してみてください。<--リンク
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

そこには「いかにして良い子供を得たらよいか」という方法が書いてあります。


あるいは「ケジャウエンKejawen、ジャワの伝統的な精神的な教え」を参照してみてください。<--リンク
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

そこでは
「自然界では、ジャワ人は自然主義的伝統と儀式ではっきりと示されているように、環境保護主義者で自然保護者です。
調和のとれた生活は、社会の人々の調和のとれた関係:人間と宇宙の関係、そして個人と神の調和のとれた関係です。」
と言うように主張しています。

こうしてジャワにおいては「人間社会は調和して運営されなくてはならない」、そうしてその基礎となるのは「よい性格の持ち主であるよい人間の存在である」というように伝統的に考えられているのであります。


PS
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スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力と人新世(アントロポセン)・

2017-04-05 | 日記

「人新世(じんしんせい)?何それ?」

まあそうなりますね。

「地球誕生からの時代を、発掘された化石や地層等から、相対的に区分する手法を用いて分類した時代区分を地質時代と呼ぶ。」のだそうです。

詳細は「地質時代」を参照願います。<--リンク

簡単にいえば地層を表層から剥いでいくと様々な遺物やら化石やら地層が表れてきます。

それらを整理して分類する「地球の誕生から現在に至る歴史を調べる学問としての地質学」があり、その結果が「地質時代」としてまとめられているのです。

それによりますれば、現在は11700年前に始まった「新生代、第四期、完新世」という事になっています。


さてそのような地質学者の間で今盛んに議論されているのが「現在はもはや完新世ではなく人新世(アントロポセン:Anthropocene「人類の時代」という意味)ではないのか?」というものです。

つまり、時代はここに至りて産業革命以降の人間の諸活動の結果として地球の大気と海の組成を変化させ、地形と生物圏を変えてしまった。

そうしてこの変化は全地球的な規模のものであり、地球全体の地層にその痕跡が刻まれたのではないのか?

そのような大変動を引き起こしているのではないのか?

そういう議論がされています。

そうして「日経サイエンス 2016年12月号 地層に刻まれる人類の時代」によれば「完新世から人新世への移り変わるタイミングとして1950年あたりが考えられる」としています。<--リンク

1950年といえばもちろんバパがラティハンを世界に広める努力を始めたタイミングでもあります。

さてこれは偶然の一致でありましょうか?


ラティハンは時代の要請に対応して現れたものであると言われています。

その時代というのは、科学技術、医療技術、情報技術、そうして貨幣経済に代表されるような、「物質力大優勢の時代」であります。

そしてその物質力の大きさ、規模、強さと言うものは全地球上の地層にその痕跡を残すまでに至っています。

そういうことは今までの地球史の中では存在したことがありませんでした。

それは地球が経験する、そうして当然の事ながら人類が経験する初めての出来事なのであります。


さてそのようにすさまじいまでの力を持った物質力のカウンターパート、カウンターバランスとしてラティハンが登場した様に思われます。

そうでありますれば、バパが言うように「ラティハンは単なる一個人の救済、あるいはある一グループの救済、そのようなレベルで終わるものではないし、終わらせてはいけないものである」という事は明白な事なのであります。

PS
ご参考までに。

「地球の歴史」(上・中・下)中公新書 鎌田浩毅 著 という地球の歴史について書かれた良い本が出た様です。

PS
1958年5月に出版された「Concerning Subud 」のなかですでにJ. G. Bennettさんは以下の記述をされています。<--リンク

これはラティハンの出現というものをそれなりの人類史のなかで位置付けようと試みた仕事の一つとして評価できるものと思われます。
・・・・・
5.人類の時代   (18Page)
近年、人間の生活の中の物質的な力は徐々に精神的な力を支配してきました。
こうして私たちは私たちの前に、私たちの時代の歴史の中で、人間の可能性の二重の性質の実証を持っています。
・・・・・

PS
ラティハン・クジワアン、省略してラティハン。

「霊的修練」とか「魂の修練」とかまあそういう意味合いのコトバです。

そうするとそのコトバを聞いた人は「そうか、霊的なものであって、この世の事とはあまり関係がないのだな」と思ってしまいます。

しかしながら本当はラティハンは「生命のラティハン」であって、そうでありますれば当然のことながら「この世の事を含む」のであります。

なぜならば人間の生命というものはこの世とこの世を超えた両方の世界に渡って存在している、というのがバパの主張でありますれば。

それは当然なのでありました。

そうして我々にとって「この世」とは今現在のこの地球での生活、物質力が大優勢である今のこの生活のことになります。

その状況においてさえ当然のことながらラティハンは働くもの、効果を現すものであります。

しかしながらそのことを理解せず、ただ単に他の霊的な修練と同様のものと考え、その様に扱うならばそれはラティハンの半分しか認識せず、半分しか生かしていない事になります。

まあそういう次第でバパは当然の様に「エンタプライズをしなさい。(そして成功させなさい。)そうすればこの世でのラティハンの使い方が分かるでしょう。」と言われたのでありました。

PS
ラティハンゆえにタナボタで成功が舞い込んでくるのではありませんね。

そこのところを我々は勘違いしやすいのです。

しかしながら実際はそうではなくて、我々は他の人達が行っているような通常の努力は同じようにしっかりと行う必要があります。

そうして、どうやらその努力の途上でラティハンの助力に気がつく様になるのです。<--リンク

そうやって結果的に物事が良い様に仕上がっていくのです。

つまりラティハンゆえのタナボタではなく、ラティハンとは一緒になって仕事を進める事が大切なのであります。

そして実際にご自分の仕事の上でそのようにラティハンを活用されて実績をだしておられる、あるいは出しておられた方々を存じ上げております。

そうであれば「このラティハンと言うものは我々の人生に有益なものである」といってもあながち間違いではないかなと思われます。

PS
ラティハンの道を歩くには本当に辛抱強さが必要です。

まずはオープンから。

そこですぐに動きが出る、反応が出る人もいればなかなか出ない人もいます。

まずはここが辛抱のしどころです。

そうして、動きが出るようになっても、今度はその動きの意味が我々にはさっぱりわからないときています。

「何でこんな動きをするのだ?」と疑問に思うのですが、答えはだあれも出してくれません。

バパがご存命のころは「それはこう言う事だ」と言ってもらえたのですが、それももはや過去のことであります。


それでもそのような動きは決して不快なものではなく、ラティハンを終わればさっぱりとリフレッシュされた気分になれるのです。

まあそうではありますが、ラティハンと言うのはそのように動きが出ても我々にはその内容が「理解不可能なもの」なのであります。

そうなるとこれは知性や思考心にとってはまことにやっかいなものになります。

自分のラティハンでありながら、さっぱり訳がわかりません。

人間と言うものは意味の分からない事を長い間続けられる様には出来ておりません。

そうしてその様な状況は、知性や思考心にとっては一種の拷問のようなものになってしまうのです。

それゆえにバパは可能な限り我々の所を訪れてはラティハンの状況を確認し、我々を励ましたのであります。


さてそこを突破すれば、そうして自分の内部でなにやら受けることができるようになると(注1)、知性やら思考心やらも少しは納得し始めます。

「ああこれは我々の手にはおえないものだ。」と。

「しかしながら、有益なものでもある。」としぶしぶながらでも納得するのです。

それでもまあそうなるには「多少の時間」が必要であります。


さてそれでは「多少の時間」というのは一体どれくらいの長さなのか?

これは人によって随分とばらつきがある様です。

そうでありますれば、「ラティハンの道を一生の道」と覚悟を決めるかどうかについてはどうしても「人生の選択の問題」になってしまう様です。

(注1)(6,9,1963)トークより引用
「全ての人間は、各自の内部に於いて導きを与えられているのです。
しかし人間は、自分のハートや思考を本当に静めることがなければ、決してこの導きを知ったり、感じたりすることはできまん。」

PS
せっかく人新世の話をしはじめたのですから、その続きをサイエンスの記事の中から少々引用します。
・・・・・
わずか数千年前まで地球の生物相のなかで非常にマイナーな存在にすぎなかったヒトという生物種が、現在は陸と海の上位捕食者となっている。

人類は地球の全生物生産量の約四分の一を自分たちの為に使っている。

この結果、人類は陸生脊椎動物の約三分の一を占め(単純な体重ベースで)、残り三分の二の大半は人間が食物とするために改良した一握りの家畜だ。

片隅に追いやれれた野生動物は5%に満たない。

また人類は地球上の陸地の大半に入植し、残された野生生物をあまねく再配置してきた。

人類は意図的に、あるいは意図せずに、動植物を地球全体に移動し、世界の生物相を均質化してきた。

(植物の均質化については農業革命が大きな影響力をもっていました。

19万数千年続いた狩猟採取時代の後の、数千年にわたる農耕の発明(農業革命)によって始まり現代にまでつながる農耕の時代。

これによって単位面積あたりの生産量は急増し、それが人口増加をささえたのであります。

しかしながら逆に小麦やコメ、トウモロコシは世界中にばらまかれ植物相の均一化をもたらしています。

そうしてこの様な農業革命に関しては植物力、動物力の人による利用という面が考えられます。

これはスシラ ブディ ダルマ に記述されているような植物力、動物力が人に与える影響というものと人間が切り離せない、ちょうど物質と人の思考が切り離せないのと同じように相互に影響を与えあう関係があると想定されます。)

こうして人類は多くの生物種を絶滅に追いやっており、今から200年を待たずに恐竜絶滅時と同規模の壊滅的な打撃を地球の生物多様性に与える可能性があります。
・・・・・
追伸
・「第6の絶滅期」到来、想定よりも深刻か 動物の減少広範に<--リンク

追伸
物質力の痕跡(生痕化石)としては、たとえば以下のもの。

地上に建設された都市を反映する形で、コンクリート製のビルディング群、ガラス、鉄筋、舗装道路、地下街、地下鉄。

アルミニウム、プラスチック(陸上及び海上、海中)、セラミックス、大気中のプルトニウム239と240、二酸化炭素、メタン、酸化窒素

今や南極にまで到達しているマイクロプラスチックと呼ばれるプラスチック小片のゴミ

そうして地球の今までの気候パターンを大きく変えつつある「地球温暖化」を引き起こしています。

追伸
テラフォーミング(terraforming)という概念があります。<--リンク

人為的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造すること[1]。

「地球化」、「惑星改造」、「惑星地球化計画」とも言われる。
・・・・・
実は地球は生物(主に植物、少し動物)によって今までもテラフォーミングされてきました。

そうしてこの時代になってテラフォーミングの主役が何時の間にか人間になってしまっていたのでした。

「人新世」とはそういう話でもあります。

PS
ここまで物質力について記述してきました。

そうして、すでに論じました様に「今の時代を特徴づけるものは物質力」なのであります。

「植物力、動物力、人間力というものが重要なものではない」、などと言うつもりはございません。

しかしながらこの三つの力は人間の誕生以来ずうっと同程度の重要さで人とかかわりあってきたものと思われます。

(少し訂正。植物力と動物力は農業革命に深く関与していたと思われます。

そうして、農業革命は一万年前ごろから始まったとすれば、この二つの力の人間にとっての重要性はその時点で飛躍的に増加した事になります。)<--リンク

それに対して物質力はこの200年程度の期間の内にそれこそ全世界を巻き込んでその強さを、その重要性を主張してきております。

そしてその主張のありさまは弱まることなく今後とも続いていくものと予想されます。

それゆえに過去のあらゆる教え、テクニック、体系、修練方法ではなくて、まさにこのラティハンがそのような時代に優れて適合しているものと思われます。

以下ご参考までに。
・我々はいま、歴史上4回目の「産業革命」を目の当りにしている<--リンク

PS
『地球文明は“クラス5”に入ったばかり』だそうです。
ご参考までに
・現在の地球は100%自然物ではない“ハイブリッド惑星”、地質年代は「人新世」に突入!
地球文明のレベルが激変中(大学研究)
<--リンク


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