ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

バパのカリスマ性

2016-03-22 | 日記
まずはWikiより「カリスマ」についての引用<--リンク

1、語源

カリスマ は古代ギリシア語において (恵み)、もしくは(好意)、(喜び)から派生した語とされる。

2、社会学用語としてのカリスマ

カリスマはヴェーバーが科学概念として持ち出し普遍化した語であり、情動的帰依によって成り立つ支配の根拠である。

3、カリスマ的支配

ヴェーバーは何ゆえに支配は正当化されうるのかという観点から、カリスマ的支配を合法的および伝統的支配とともに支配の三類型として構想した。

カリスマ的支配とは「特定の人物の非日常的な能力に対する信仰」によって成立している支配で、その正当性は、カリスマ的な人物の「呪術力に対する信仰、あるいは啓示力や英雄性に対する崇拝」に基づく。

そして「これらの信仰の源は、奇跡あるいは勝利および他の成功によって、すなわち、信従者へ福祉をもたらすことによって、そのカリスマ的な能力を実証することにある」。

4、日常化

カリスマ的支配は、カリスマの不安定な性質(非日常性)のために、ただ一時的にのみ存在する。

ここからカリスマの日常化が始まる。

「カリスマ型支配は持続することはできず、伝統化されたものへまたは合理化されたものへ、あるいは両方の結合したものへ変化する」。

カリスマが世襲によって伝統化される場合は「血統カリスマ」となる。

カリスマが成文化された手段によって合理化される場合は「制度カリスマ」と呼ばれる。

あるいは、カリスマが、伝統化および合理化の結合によって非人格化される場合は「官職カリスマ」となる。

この「血統カリスマ」、「制度カリスマ」および「官職カリスマ」はカリスマ本来の非日常性的性質が失われ日常化したものである。

5、問題点

カリスマ的先導者の失敗はカリスマ信仰への裏切りとなり、往々にして追従集団の急速な解体が生じる。

にも関わらず現代に至るまで人がカリスマを強く求めるのは、超常現象(不思議現象)に強く惹かれることに由来するからであるとされる。

人は繰り返す日常に退屈しやすく、絶えず非日常へと誘われる性質を持っている。

そしてカリスマは非日常への誘いとなる。
・・・・・
そしてカリスマに引き寄せられた者は、自己と向き合うことを避け、検証能力を持たなくなる(カリスマに自己を委ねる)。

カリスマが批判された場合は、それをカリスマの聖性の証明と受け取る。

この時点で日常的判断は手放され、カリスマ的人物の意向のまま徹底して信者は追従していくこととなる。
・・・・・
退屈な“終わりなき日常”を変革し得るのは、自己の意識のみである。

過敏な感性は先天的だが、豊かな感性は学習によってしか生み出されず、また豊穣な個人的体験は、その個人の社会への参加水準に比例しているという。

以上、Wikiよりの抜粋です。


さて、協会の霊的権威はバパから2代目に引き継がれたかのようであります。

これは上記文脈に沿って言うならば、「カリスマが世襲によって伝統化される場合は「血統カリスマ」となる。」に相当するものと思われます。

しかしながら、2代目の後を引き継ぐものは現われていないようでありますので、協会は今後は「カリスマが成文化された手段によって合理化される場合は「制度カリスマ」と呼ばれる。」に順次移行してゆくものと思われます。

そうして上記に書かれたような「制度カリスマはカリスマ本来の非日常性的性質が失われ日常化したものである。」という状況に落ち込むのか、それとも生きてそこにあるラティハンによって、協会が持つべき霊的生命力が維持されるのかは、我々に残されたバパからの宿題となる訳であります。


PS
上記より、「カリスマ的先導者の失敗はカリスマ信仰への裏切りとなり、往々にして追従集団の急速な解体が生じる。」。

日本の場合は1970年代に活動的会員、いわゆるアクティブ会員数が250名ほどでしたが、その後世界各地での協会の運営の失敗などがあり、バパのカリスマ性に傷がつきました。

そうして、そのような事を契機として、結果的に70名ほどの会員が協会を離れた模様です。

PS
バパがカリスマの特性をそなえていたことは明らかなことであり、論を待ちません。

そうして、カリスマの寿命が永遠であればそこに問題は無いのでありますが、いかんせん人の寿命は限られております。

くわえて、バパがカリスマであった為にバパ自身には見えない問題がありました。

バパにとっては何の苦労もなく実行可能であったことが、普通の人間にとってはどれほどに難しいことであったか、なかなか認識できなかったと思われます。

くわえて、バパの周辺では普通の個人の霊的状況が引き上げられる為に、バパにとっては「会員はここまで成長できた」と誤解した面もあったかと思われます。

しかしそのような一時的な引き上げ効果はバパがいなくなれば、その国を離れれば消えてなくなり、残ったのはまた元の状態の我々でありました。


それらのことはエンタプライズの実行段階でのいろいろな問題の発生につながりました。

また会員募集というテーマについてもバパにしてみれば「特に宣伝などしなくても人は集まってきた状態」でありましたから、「宣伝はいらない」と言えたのであります。

しかしながらカリスマの吸引力が消えてしまった現在ではそのような態度では協会の将来は開けないものと思われます。

こうして時代の経過にともなって、状況は変化していくものであります。

そうであれば協会はその変化に対応していくことは必然なのでありましょう。

「バパがこういったから未来永劫、それを守る」という頑固な態度ではやっていけないものと思われます。

PS
カルトについてこんなことを言っている人もおります。
・・・・・
すべての問題について解き方や考え方を理解しろというのも無理な話だ。

問題は解き方や考え方を知らないことではなく、知らないままで満足してしまうことだ。

問題について答えを知っただけでよしとするのがいけないのだ。

宗教にとって教義や経典は答えである。

質問に対して経典のココにこう書かれていると答えるのは質問に対して答えだけを述べていることにあたる。

答えだけを言ってもしょうがない。

その答えに至る考え方も述べないといけない。

考え方というのはどこかに書かれているものではなく、自分の言葉で語るものである。

まとめよう。

カルトでは、質問に対して書物を引用することしかできず、自分の言葉で語ることができない。

それは、その人がその教えを本当にわかってはいないからである。

そして真の問題は、わかっていないのに書物を引用するだけで答えたつもりになってしまうところである。
・・・・・

宗教はカルトのことでも儀式や団体のことでもない。<--リンク


PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

本記事に対してのコメント、ご意見、疑問点などは
記事テーマを添えてこちらまでお願いします。
<--リンク

インドネシアのクバティナン事情3

2016-03-04 | 日記
「ジャワの宗教と社会」福島真人著より、、、。

1、インドネシア独立後の宗教史について、、、

インドネシア独立後の宗教史、とりわけイスラム以外の宗教にとっての宗教史とは、まずもってこの宗教行政内でのイスラムのドミナント(支配的、優位に立つ)という事態に対する対処の歴史といっていい。

そこでは、まずもって「宗教」という概念はイスラムをモデルとして組み立てられ、他の宗教もそれに従うよう強制された。

そして結局インドネシアで公認されるべき「宗教」は五大宗教(イスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教:注1)となり、それ以外に「宗教」という概念を適用することができなくなった。

その結果インドネシアの行政的文脈では、新興宗教という概念そのものが使えなくなったのである。

そしてクバティナンの闘争とは、このように「宗教」という概念の幅が徐々に確定されていく過程で、事実上の新興宗教である彼らに、どのような法的ー政治的地位を与えるか、という内容のものである。(P104)


最初は独立に関連してのパンチャシラの宣言でした。

1945年6月1日  パンチャシラがスカルノにより発表された

そうしてそのパンチャシラの最初に登場する宣言、「唯一なる神への信仰」は全てのインドネシア人が要求される事になりました。

次は公認宗教の決定です。


1965年  バパの協会を含む多くのいわるゆる「新宗教」は厳格なイスラム教徒とキリスト教団体からの圧力の下でのスカルノ大統領決定により「宗教」とはみとめられなかった。

これによって今までいわゆる宗教とされていたもの、世界宗教(すべてインドネシアの外からきたもの)と新興宗教(インドネシア生まれのもの)が分離されました。

そうして、宗教と認められなかったもの、宗派によっては「自分たちはクバティナンではない」という主張にもかかわらず、それは実質上はクバティナンと分類されることになりました。

また同年に勃発した、共産党主導と政府が主張するクーデター事件によって、反政府運動への締め付けがきびしくなり、「一部クバティナン宗派が共産主義者の影響下にあった」という政府見解によってクバティナンへの監視もきびしくなりました。


次に法的な地位が不明確だったクバティナンについて、一応の明確化が行われました。

1973年  国家政策大綱に「宗教」と並んで「唯一なる神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)という言葉が正式に明記され、これによってクバティナンは「信仰」として正式な認可を受けることになった。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)

これによりクバティナン諸派は法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)ということになった。

しかしこの「信仰」(Kepercayaan)というのは「宗教」(Agama)ではなく文化、慣習(adat)であるという解釈の下で管轄が宗教省から教育文化省に変更されることになりました。


1979年  クバティナン諸派(引用注:含むバパの協会)の管轄が宗教省から教育文化省に変更された。

宗教省(注2)は主流派がイスラムでありますが、そのイスラムからすると当然のことながら宗教>文化、慣習ということになります。

つまりは宗教が最初のものでクバティナンは2次的なもの、宗教から派生したものという見方になるのでした。(P381)

以上がバパの協会を含むクバティナン諸派がたどった歴史であります。


ちなみにPAKEMについて。

1960年 PAKEMの所属が宗教省から検察庁に移る。

PAKEM:社会信仰諸派監視機構の略称 「ジャワの宗教と社会」 P371

クバティナン諸派が社会的に逸脱した行為を取らないかを監視し、その兆候がある場合は、解散を命じる権限をもつ部局である。(同書 P157)

PAKEMは現在でもこのような監視を検察庁で継続、実施している様であります。

1963年6月1日 バパ バウル トークより
『今日、あなた方がどこにいようとも、政府は全ての事をとても注意深く調べます。
政府は全ての組織について知る必要があるのです。

政府はそれが悪い意図をもった政治的なグループであるか、もしくは、国の状態に干渉する意図をもった政治的なグループであるかどうか調査しなくてはなりません。
・・・
このことは、一般的に政治的な性質を持つ組織が多いインドネシアで起こりました。
彼等は会合を持つたびに調査されました。

しかし、私たちは(引用注:外部に対して秘密はなく)透明であり、喜んで政府に真実を述べたので、最後には法的組織(引用注:公認クバティナン)として受け入れられました。
つまり、私たちは政府に許可を求める事なく集まったり会合を持つ事が許されているのです。
・・・・・』

以上の歴史的詳細についてはこちらを参照願います。<--リンク


2、協会の主張と対応。

『・・・一番最近の大会に於いて、それを登録することが決まり、今、その草稿が、司法省--国--に登録される準備ができています。・・・

・・・それは、政府に協会を呈示するための、協会の法的基盤です。・・・

・・・協会は国家に於いて機能しなくてはならず、国は協会を法的に守ってくれるので、私たちは、協会が運営されるそれぞれの国の法律や規定に適応しなくてはなりません。・・・

・・・私たちは政府が新しい宗教を欲していないことを知っているので、協会を新しい宗教として合法化したことは決してありません。

さらに付け加えれば、協会は新宗教でもなければ、既存の宗教の一部でもありません。

会員は自分自身の宗教に従います。

このような訳で私たちは協会を宗教省の下に登録することはできないのです。・・・

・・・しかし、私たちは良い国民として、国家に於いて機能するので、法的組織を持つことを求められます。

こういった理由でインドネシアの協会は教育省に登録されているのです。

それは宗教省には登録されていません。それを変えないで下さい。

(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)

私たちは各人が宗教に従います。

つまり、各人が自分自身の宗教を持っています。

それゆえ、協会は法的には教育省に登録されています。

それは(政府によって)受け入れられているのです。

(ですから)それを変えたりしないで下さい。・・・』(2013.2.23ルンガンサリ)


『(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)』

この発言の裏には、「信仰」が「宗教」より下に見られているというインドネシアの社会的な背景があります。

いくら法的に、形式的に「信仰と宗教は同等だ」と表現してみても現実の社会はそのように認識してくれないのです。

ですから、インドネシア内で協会がより発展する為には「信仰」であるより「宗教」である方がだんぜん有利なのでありました。

それからもうひとつ。

ある宗教のブランチ、ひとつの宗派として「信仰団体」から「宗教団体」にいわば「格上げすること」は可能なのでありました。(P344~346、P365)

ですから、既存の宗教に親和的であるならば、その宗教のひとつの宗派となることも、簡単な道ではないでしょうが、それなりに可能な選択枝なのであります。

しかし協会はその公言しているスタンス「我々は宗教ではない」を堅持しなくてはならない、、、というのが二代目の主張であります。


ここにインドネシアの信仰団体がたどってきたインドネシアに固有の宗教史と協会の立場とのジレンマが見えます。

協会の主張の本質は「ラティハンは神からのものである。」ということですので、基本的には「宗教におとるもの」ではありません。

しかしながら、インドネシアでの協会の社会的な地位は「教育省管轄の信仰団体」なのであります。

そしてインドネシアの歴史的な経緯によって、あるいはイスラム優位の社会情勢によって、宗教>信仰というように認識され、「信仰」は二次的なもの、協会は宗教を補完するもの、というような立場に置かれることになりました。

結局このような見られ方はインドネシアでの協会の発展に対してはマイナスに作用することになります。


3、まとめ

信仰団体あるいはクバティナンは公認、非公認を合わせると数百にのぼるようであります。

その数百にのぼるクバティナンと協会とは別のものである、というのはバパの主張であり、二代目の主張でもあります。

しかしながら、インドネシア社会は協会をバパの主張するようなものとはとらえない、認識しないでありましょう。

事実、他の信仰団体と同様に教育省に「信仰団体として登録されているから」であります。


あるいは、「協会は宗教ではない」と主張しています。

しかしながら他の信仰団体と同様に「唯一の神を信仰している」と主張しています。

宗教でなく、そうして「唯一の神を信仰する団体」はインドネシアでは「信仰団体」しか存在を許されておりません。

もし「宗教団体」でなく「信仰団体」でない、、、としたら、それはいったいどんな「団体」なのでありましょうか?

そのような組織がインドネシアの人々に十分に理解されるとはとても思えません。

これが協会のもっている矛盾、ジレンマであります。


そして、クバティナン諸派の会員数は多くても5万人程度であります。

四大教派と呼ばれている団体でその程度でありますね。

それに対して宗教諸派は数千万人の会員数を誇ります。

これもまたインドネシアの一つの現実であります。

こうして上には「巨大な宗教団体」が存在する中で、協会は公認された信仰団体だけでも100程度はある2番手の「信仰団体グループ」の中に紛れ込んでしまい、その独自性、優位性を表現できていない様に見受けられるのでありました。<--リンク


この話、突き詰めますれば「インドネシアはたしかに協会発祥の地、なれどその地が育成に必ずしも適していない可能性もある」という事にもなります。

このあたりの状況は仏教やキリスト教がたどった歴史をみればよく分かること。

ラティハンの種は世界中にまかれました。

さて、いったいどこの地がラティハンの果実を収穫できる土地になれるのか、それは蒔かれた土地の人々の独自性、創造性に大きく依存するように思われます。


注1:五大公認宗教・・・スカルノ体制の始めにはこれに儒教が加わっていたが、のちに仏教に吸収された。(P14)

注2:宗教省(Departmen Agama)

イスラム法をもってインドネシアの国法にするわけにはいかないが、そのかわり宗教という限定した分野の管轄はムスリムに任せる、という妥協の産物である。

この省は実質的にNU(ナフタドール ウラマー)の牙城となり、彼らの主導の下でインドネシアの宗教政策の根幹が決定されることになった。<--リンク

当然、その政策のアウトラインはイスラムをモデルにして施行されるようになった。

・・・ここでアマガ(宗教)という語が、まずもってイスラムのような「世界宗教」であること。

さらにイスラムと同様に、唯一神への信仰、聖典、預言者、信条、といった条件を有することが要求された。

この為最終的にイスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教の五つが宗教とされた。(P14)


PS
『私は今、ここに於いて多くのイスラム教指導者(キアイ)が協会に入ったのを見て、嬉しく思います。』(2002.3.22ルンバン)

・・・たとえばスブドに参加しているあるキアイはイスラムの教えの補助的な手段として、スブドの訓練によるエクスタシーは重要な意味を持つと述べた。(P178~179)

いやいや、ラティハンは「副食品(サプリメント)」ではありませんよ、キアイさん。

そこのところ、どうかお間違いのないようにお願いします。

PS
クバティナンの事を知る為には、以下の論文は欠かせません。
・ジャワ神秘主義の民俗誌<--リンク

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク

PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

本記事に対してのコメント、ご意見、疑問点などは
記事テーマを添えてこちらまでお願いします。
<--リンク