ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳39・ナフスnafsuについての注釈@トーク翻訳チーム

2019-02-06 | 日記

以下、1970年8月16日カナダでのバパのトークにあるナフス nafsuについての翻訳チーム(インドネシア語ーー>英語)による注釈です。
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Nafsuナフス:バパの講演を英語に翻訳し始めて以来、nafsuという言葉の翻訳を見つけるのは困難でした。
パッション(情熱)、エゴ(自我、うぬぼれ)、そして最も一般的には欲望という言葉が使われていますが、英語で文脈を描いても、バパがその言葉に帰する意味を完全に伝えておらず、必ずしも正確に他の言語に翻訳できるわけではありません。

(標準)インドネシア語では、ナフスnafsuという言葉は文字通り欲望や情熱として翻訳されています。
しかしながら、そのあらわす意味はバパのコトバの意味よりもはるかに狭いです。

アラビア語の - nafsナフス - はより近い意味を持ちます。
(訳注:アラビア語といってますが、nafsナフスはコーランに出てくるコトバでもあります。<--リンク)
イスラムでは通常、精神psyche、自己self、自我egoと関連していると考えられています。

実際バパは、アマラ ammarah、 ロウアマ lawwamah、 スピア supiyah 、ムトマイナ mutmainna、のアラビア語の名称を使って、それら4つのナフスの属性を示します。

しかしながら、バパの記述を聞くと明らかになる事は、これらの伝統的な意味さえもナフスが何であるかのバパの理解の全てを包含していないということです。

いくつかの他の用語と同様に、バパのナフスnafsuというコトバの使い方はバパ独自のものでした。

したがって、翻訳チームと二代目との話し合いに従って、バパ自身のコトバを使用することに戻る事が最良の方法であることが同意されました。

以上は第32巻以降のバパトーク翻訳で対応されています。
(訳注:以下 バパのトークからの引用が続きます。)

1月5日1970年 バパ
『それから何か奇跡的なことと言えるような事が起こった - 奇跡的なこととは、それが奇妙であるということを意味するものではありません。

それは人間の理解を超えて、心の把握を超えた何かを意味します - それは神の意志でした。

その結果、全能の神から奇跡を受けた人々の言葉で、カティル・イルハムkhatir ilhamと呼ばれる動き、啓示の振動という動きが、静けさと静寂の状態の中で生じました。

それが初めてでした。
彼らは全能の神からそれを受け取ったので、後でこの物語を伝えることができました。

コトバに言えないほどの大きさと幅の状態での動きに初めて気が付きました。
そして、その動きから、カティル・イルハムkhatir ilhamから - その振動 - 何もない状態は、粗いもの、細かいもの、より細かいもの、そしてより細かいものに分かれていきます。

科学者はこれらの要素を発見し、それらを地球(土)、水、空気、火と呼んでいます。
これらの4つの構成部分 - 4つのエレメント(要素) - 人間に現れ、私たちに働く動機を与え、動く動機を与える時に、それはナフスnafsuと呼ばれます。

それらにはナフスの4つのカテゴリーに対応します。
それはammaraアマラ、lawwamaロウアマ、supiyahスピア、mutmainnahムトマイナです。

ひとたびこれらの4つの要素が存在すると、それらは生きている何かを生み出すまで動き、お互いに摩擦しあった。
そのような生きているものは、これら4つの要素を含んでその要素から誕生したものである。

だから何であれ動くものは、地球(土)、水、空気、火の4つの要素によって動かされます。』

8月31日1968年 バパ
『それで、あなたの内部のここには2つの振動があります。
オリジナルの振動があり、あなたがナフスnafsuを静かにすると感じます。

しかし、ナフスから来る別の振動があります。

これらの振動は、啓示の振動と誘惑の振動としても知られています。
(訳注:バイブレーションvibrationsは振動ですが、それは何かを促すような感覚でもあります。)』

11月11日1959 バパ
『ナフスの内容は、能力があること、良いものになること、もっと素早く受け取ること、他のものよりももっと賢くなること、(他の人には)与えたくないこと、「愚かだ」と(人から)言われる事を望んでいないことなどなどです。

それ(ナフス)は、速やかに受ける事と神に近くいることを切望します。
またそれは、すでに神を見つけ、神に会って、神と話し、神の愛する人になったなどと想像する感覚に人を導きます。』

6月21日1970 バパ
『したがって、ラティハンの中に現れた神の指導と指示は、時間の経過とともにあなたをして、あなたの状態を統御することを可能にします。
しかしあなたの中にある、管理する必要があるものというのは何ですか?

あなたの中には、物質的な生命力、植物の生命力、動物の生命力、身体的な人間の生命力、ルハニruhaniの生命力、そしてそれ以上の高い生命力などがあります。

あなたの中に生命力を持つことは、たとえば動物力の場合、あなたの中に水牛を持っていることを意味するものではありません。

あなたの中に水牛があったら、どうやってそれを入れたのでしょうか?
いいえ、(あなたの中にある)それはエッセンス(本質)です。
エッセンスは生命の本質を意味します。

異なる力の生命エッセンスがあなたの中にありますが、それらは物質、あるいは悪魔的なもの、植物、動物、人間など(のエッセンス)ですが、それらが私たちがナフスと呼ぶものを生み出します...

これらはこの世でのあなたの人生にとって不可欠なものです。』

7月20日1957 バパ
『人間は、意志を強め、仕事をし、自分が望むことをするために、これらの4つのナフスを持っています。

このような4つのナフスは、強いものも良いものも、人間にとって非常に有用であることは明らかです。
なぜなら、それがなければ、人々の強さと意志は弱いからです。

人間の中のナフスの性質は、必要に応じて使用される道具や装備品のようなものです。

しかし、幼少時代から成人時代や老年期に取得された人間の欠点のために、(人々は、あるいは人々の中のナフスは)他人よりも大きなものになりたい、あるいは他人よりも多くのものを持ちたい、あるいは個人的な力を望む、そのような願いを常に優先します。

だから4つのナフスのうち、人々が最もよく使うのは強いナフス、ナフス・アマラammaraです。
そのナフスは他の人より勝りたいと大変に強く望みます。

それに対してバパが今、良いナフスと呼んだものは、降伏して受け入れ、他の人に喜んで与えようとするものですが、人間によって使用されることはめったにありません。

彼らは本当にこの状況のために「彼らの責任を問う」という事は難しいのです。
というのも、この地球上の人々の性質は本当に弱いからです。
(訳注:しかしながら、それでは人間は責任を負わなくて良いのか、免責されるのか、といえば、無論、そんな事はありません。)』

6月21日1970 バパ
『私たちがラティハンを受けるたびに、神の力よって私たちの内部感覚が触れられるたびに、私たちの感情心と思考心に留まるナフスの影響がなくなります。

一方で通常はナフスの感情心と思考心への影響を止めることは、人間にはできないことです。
それはなぜできないのですか?

なぜなら、人がもはや感情心と思考心にナフスを持っていなければ、その人は死んでしまうからです。
彼らは無力になるからです。』

7月8日1970 バパ
『なぜあなたは人間の中にいるナフスは、そのような強い影響を持っていますか?
その理由は、それらのナフスは内容である、人間の生活に参加する生命力の本質であるということです。

最初のものは、物質的な生命力または物質 - 物質の生命力の本質から来ます。
それが活動的になり、人間の中で働き始めると、アマラammaraと呼ばれるナフスnafsuとして現れます。

二つ目は植物の生命力です。
人間の生命に参加している植物の生命力が人の中で働くと、それはロウアマlawwamaと呼ばれるナフスとして現れます。

そして、動物の生命力から、動物の生命力がひとたび人間の中で機能すると、その本質は、スピアsupiyahと呼ばれるナフスとして現れます。

そして今、第四の生命力ですが、身体的な人間の生命力で、これは人間、人類の生命力です。
この生命力がひとたび人間の中で働くと、それはムトマイナmutmainnahと呼ばれるnafsuとして現れます。

これらのナフスがなければ、人間はこの世界で生き残れますか?
それは不可能です。

そういうわけで、人間はナフスを自分たちから取り除くことができないのです。
それはできません。』

(訳注:以下は11月11日1959年、パリでのバパのトークにある、翻訳チームによるhatiハティというコトバへの注釈です。)
『ハート(Heart):hatiハティという言葉は通常ハート(Heart)と翻訳されますが、それは私たちの生きている間に限定された感覚です。
文字通り、hatiハティは肝臓を意味し、感覚、感情および欲望の座席とみなされます。

しかしハート(Heart)は(hatiハティという言葉に対しては)完璧なフィット感がありません。
hatiハティはバパの使い方では、想像力と白日夢が起こる場所でもあります。

したがって、いくつかの場所では、想像力という言葉はより適切な翻訳であると考えられています。
人間のハート(Heart)の内容は、幼少時から生涯にわたり、そして老後までに経験したすべてのもののイメージ(映像記憶)です。』
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上記バパのトークの部分についての英文からの引用は以下を参照願います。
・Miscellaneous note 39 ・ Notes on nafsu @ Talk translation team<--リンク
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以上の内容はバパ亡きあと、バパのトークの公式な訳(インドネシア語ーー>英語)を順次進めていた翻訳チームが「1970年8月16日カナダでのバパのトーク」に取り掛かった頃に、ナフスNafsuの翻訳語の事が問題となり2代目を交えて相談した、という記録になります。

そう言う訳で4つの低次の諸力とナフスの対応関係についての翻訳チームの公式見解、そうして2代目が黙認している内容は最終的に以下の様である事が分かります。

物質力ーー>ナフス・アマラammara
植物力ーー>ナフス・ロウアマlawwama(別名:ナフス・アルアマaluamah)
動物力ーー>ナフス・スピアsupiyah
人間力ーー>ナフス・ムトマイナmutmainnah

この事に関連して、バパが4つの低次の諸力とナフスの対応関係について物質力と植物力にどのナフスを対応させたらもっとも妥当であるのか、検討した経緯が分かる記事については、以下を参照ねがいます。
スシラ ブディ ダルマ・2章 ナフスamarah(怒り)とナフスaluamah(貪り)<--リンク


PS
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