カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

カンボジアに見られる暴力の文化

2005年09月30日 17時18分05秒 | カンボジアの人権状況
みなさんこんにちは、平野です。これまで国際子ども権利センター支援によるHCCのプロジェクト地、プレイベン州コムチャイミア郡への出張報告の中で、ドメスティック・バイオレンス(以下DV)について触れてきましたし、また別枠でDV法の制定についてもお伝えしました。暴力はさまざまなかたちでカンボジア社会を蝕んでいます。今回のテーマは広く“暴力”についてです。

【カンボジアのDV法とDVの定義】

“しつけ”の名のもとに家庭内で暴力が容認されてきたことは日本でもカンボジアでも同じですが、カンボジアのDV法が日本のそれと違うのは、対象に配偶者だけでなく子どもたちも含めていることです。日本では、DV=配偶者からの暴力、とされ、また基本的に身体的暴力が対象になっています。(下記内閣男女共同参画室の用語集参照)
http://www.gender.go.jp/
また、村や学校でDVについて聞くと、身体的な暴力そのものとならんで「暴言」がよく取り沙汰されます。これは若干意外だったのですが、「暴言」は「目に見えやすいあからさまな暴力ではないけれど」といった前置きなしに、DVの一種として扱われています。

【村での問題になっている暴力】

DVではありませんが、暴力問題として村の人々が口々に懸念を表していたのが、若者による暴力です。祭りなどのときの不良少年たちのケンカ騒ぎなどが絶えないようで、以前(9月13日付けブログ)お伝えした「村の法律」の制定の大きな理由の一つも、そういった暴力沙汰でした。女の子の取り合いなどが原因だったりもするようで、こう書いてしまうと、“若い頃はそういうことも”と感じる方もいるかもしれませんが、村の人々の話しぶりからすると、事態は深刻です。最近の日本の若者同様、殴り合いのケンカではなくすぐ刃物などが出てしまうのです。都市部では、小さないさかいですぐに発砲事件になることが問題視されています。ふだん穏やかなカンボジア人が、時として非常に暴力的になることは、書物で、またカンボジアを知る人々の話の中で、度々指摘されてきたことです。そしてそこに内戦の影響を見る人もいます。

【弱きものたちの暴力】

たまに新聞で見かけて、やるせない気分にさせられるのが、犯罪者に対するリンチ事件のたぐいです。先日読んだ記事にも、近隣の犬を盗んでは、妻の営む犬肉屋でさばいてた夫が、現場を村人に押さえられ、殺されるまでリンチされるという事件がありました。取り押さえる際に殴るというのならばともかく、その後で大勢でリンチする、しかも死ぬまで痛めつける。そしてそれを行ったのが、名もなき貧しき人々であることを考えると、私には、こうした行為が、普段ネアックトム(大きい人=権力者)に従順なカンボジア人が、内心に溜め込んでいる怒りや不満を吐き出す一つの形態にも感じられます。クメールルージュ以来長きに渡って内戦と暴力にさらされてきた歴史も背景にあると思われ、カンボジア社会の闇の深さを見る思いです。

※写真は村の結婚式で陽気に踊る筆者の友人。暴力沙汰など起こしそうにない笑顔です。