野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

ケネディ暗殺事件を描いた映画 『JFK』 1993年 キネマ旬報社 をめぐって

2013年01月03日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
2012年の年末にNHKBSで、オリバー・ストーン監督の映画『JFK』の再放映があった。久しぶりに3時間を超える映画を見た。日本での『JFK』の公開に合わせ、シナリオも収録されたこの本が刊行されたのは、1993年だった。年末の本棚の整理でようやく見つけだした。900頁を超える本で、ソファーで、寝転んで読むには、重たすぎる。しかたなく、机の上で、読むことになったのだったが。再読して、改めて、『JFK』の映画がもたらしたアメリカの報道メディアの狂乱ぶりを再確認したのだった。前月の12月10日に私のブログで、1993年頃のテレビ三大放送網の会社役員構成からみて、もうまともな報道はありえないだろうことは納得していたのだったが、湾岸戦争の報道もひどかったが、ストーン監督の映画『JFK』攻撃のすさまじさは、多くの貴重な資料となって残された。すでにアメリカの大本営報道はここまでになっていたのだ。今年2013年11月22日は、ケネディが凶弾に倒れてから節目の50年である。アメリカは果たしてこの間民主主義の自浄能力、メディアは批判能力を発揮してきただろうか。『JFK』をめぐる1991から1992年頃の映画公開前後の言説を振り返る。 . . . 本文を読む

ケネディ暗殺事件 マーク・レーンの『おおがかりな嘘ーだれがケネディを殺ったのか』その2

2012年07月19日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
前日のブログでマーク・レーンが弁護人を引き受けたハント対リバィ・ロビー社の二審における結果 ハント敗訴の評決は、全員一致をみて決まったことを紹介したが、これはハント側のアリバイ証明が薄弱だっただけで評決が下されたわけではなく、ハントが戦後一貫してCIAの対外工作に従事し、この裁判の過程で、カリブ海周辺諸国での活動を述べざるを得ない状況となり、正式なCIA職員として、カリブ海近隣諸国など、アメリカにとって好ましからざる政府の転覆工作に関わる仕事をしていたことを宣誓証言することとなったのである。もちろん秘密工作のすべてを宣誓証言するはずはない。しかしマリータ・ローレンツの捨て身の証言があり、陪審員・陪審員長を深く揺り動かしたことは確かである。そのマリータ・ロレンツの重大な証言とは何だったのか。 . . . 本文を読む

ケネディ暗殺事件 マーク・レーン の 『おおがかりな嘘』 1992年 飯塚忠雄訳 扶桑社

2012年07月18日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
マーク・レーン の 『おおがかりな嘘』は、すでに邦訳のある、『ケネディ暗殺の謎ーオズワルド弁護人の反証ー』中野国雄訳 1967年 徳間書店 に続く、日本語訳のあるものでは2番目の著書である。共著ではドナルド・フリードとの『ダラスの熱い日』井上一夫訳 1974年 立風書房 がある。前著『ケネディ暗殺の謎ーオズワルド弁護人の反証ー』が、アメリカ政府刊行の『ウォーレン報告書』に対する徹底的な反論であったのに対し、この『おおがかりな嘘』は、ウォータゲイト事件、の後を受け、アメリカの高まる政府批判や公式報告書不信の中で「アメリカ下院暗殺調査委員会」の結果報告後の状況が展望できる点にある。事件当日、ウォータゲイト事件の実行犯の一人、ハワード・ハントが、ダラスにいたのか、をめぐっておこされた裁判にも関わった弁護士、マーク・レーンの 事件追及の目は鋭い。 ウォーレン報告書以後の経過の情報の蓄積の乏しい日本では、オズワルド単独犯行 以外の可能性、つまり陰謀の可能性をアメリカ議会が指摘していたことなどを的確に知る機会が少ない。ジム・ギャリソンとともに、ケネディ暗殺事件を生涯をかけて探求しているマーク・レーンのことばに耳を傾けたい。 . . . 本文を読む

ケネディ暗殺 I am a patsy!I am a patsy!(私は身代わりですよ!はめられたんです!

2012年06月11日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
ダラス署でオズワルドが記者団に向かって、哀願するような顔つきで、言ったことばである。「私は身代わりですよ! はめられたんですよ!」 このことばは、テレビでも放映され、ケネディ暗殺事件を扱うドキュメンタリー放送には、このシーンがよく使われていた。日本で放送された特集番組でも収録されていたが、ほんの短い時間であったので、細かい内容の記憶が薄れていたのだ。仲晃『ケネディはなぜ殺されたのか』1995年 NHKブックス 日本放送出版協会刊 では、このオズワルドのこのことばをエピローグで紹介していた。 あの報道陣に向かって哀願するようにいったことばは、『ウォーレン報告』で結論するような、「自分のための歴史上の地位 ー彼の時代の先駆者として認められるような偉大な人物(マルクス主義者・共産主義者)としてとしての役割ー」に執着していた人間のことばであるとは断じてあり得ない。 オズワルドは、自分が罠に嵌められているのにようやく気がつき、報道陣に向かってあのことばを放ったのではなかったのか。 オズワルドは法に基づいて弁護士をつけてくれと何度も要求もしていた。居合わせた記者団・報道陣はそのことばを何度も聴いていたはず。しかし弁護士もつけられず、警察の調書も何一つ記録に残されないまま(オズワルドは、私は政府のための情報連絡の仕事をしている、逮捕などありえない、なんなら、連絡先に電話をしたらすぐわかるなんて言ったかもしれない。署員がオズワルドが何かの下級情報員をしているとあらかじめ知っていれば、調書・聴取は作れるはずがない)彼は警察署地下室に紛れ込んでいたジャック・ルビーの銃弾で消えた。 著者 仲晃は この著『ケネディはなぜ殺されたのか』で大統領暗殺事件の背景にある大きな力をあぶりだす。それは一体なにか? . . . 本文を読む

ケネディ暗殺事件 1964年6月発行のトーマス・ブキャナンの本『誰がケネディを殺したか』

2012年06月09日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
1963年11月22日ケネディがダラスで凶弾に倒れた。翌年(1964)9月に政府の公認の調査報告書『ウォーレン報告』が正式に発刊された。このブキャナンの著書『誰がケネディを殺したか』文藝春秋社 1964年 は アメリカ政府報告書刊行前に発刊されたものである。  フランスの週刊紙『レクスプレス』の1964年2月20日から6回にわたり連載されたものを元にフランスで最初に発刊された本の翻訳(内山敏訳)である。  著者ブキャナンは1919年生まれのアメリカ南部ボルチモア出身。戦後はパリ移住。アメリカ現地取材の後、アメリカで出版を試みるが、(当然ながら)断られたという本。ブキャナンが移り住んだフランスでもドゴール大統領が機関銃の一斉射撃を受けていた時代である。出版から五十年ちかくになる今、この本を読むとブキャナンの同時代を見る目は鋭かったことがわかる。旧保守・植民地主義は戦後世界で清算されていたわけではなく、旧来の過激な保守主義は陰に表に世界で猛威をふるっていた時代である。この本は冷戦の対立に隠れて、見ようともしなかったアメリカの草の根保守主義の伝統や、腐敗にも触れている。  また、1962年秋に起きたイタリア・シチリア島でのイタリア国有石油産業総裁のマッテイの専用機爆発とその死についても、ケネディを排除した勢力である「ミスターX」との関連を示唆している。この「ミスターX」とはどんな勢力なのか。 . . . 本文を読む

ケネディ暗殺事件 日本文で読めるケネディ文献 1 1964年~1992年

2009年01月03日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事
ケネディの文献も没後45年以上も経過し、日本語でも読める文献も相当な数に達している。1992年ストーン監督の映画が製作された頃、没後30年で関連する書籍も多く刊行された。その後インターネット時代となり、原資料にあたることは、以前に比べかなり容易になってきている。まもなく没後50年になろうとしている。20世紀の謎を解くことは21世紀の謎や、日本占領期の謎を解く鍵でもある。 . . . 本文を読む