讃岐うどんやラーメン食べ歩きと、旅のブログ

讃岐うどんの食べ歩きが好きです。また国内・海外問わず旅が好きなので、ぼちぼち書いていこうと思います。

2019_軍艦防波堤を語る会_福岡県北九州市若松区

2019-04-09 21:00:00 | 旅行
 ちょっと前に、若松の軍艦防波堤を紹介したが、今回は軍艦防波堤を語る会に行ったので、ブログに記載します。4月7日は、沖縄特攻の「天一号作戦」で、戦艦大和が沈んだ日であり、大和の護衛艦であった凉月・冬月が被弾しながらも帰還しました。除籍後は、この地で防波堤として静かに眠っています。

 この船にゆかりの人たち(乗組員の子孫たち)や、語り継いでいこうという意思を持った人達により、毎年4月7日の前後に語る会を開催しているそうです。特に事前申し込みは不要で、当日会場に行けばいいとのことだったので、若松まで車で行きました。

 駐車は、サンリブの立体駐車場にしました。


 1.5Hまでは無料で、サンリブで1,000円以上買い物をすると、さらに1.5H無料になるという、お得感がある駐車場です。


 会場は、若戸大橋近くの旧古河鉱業若松ビルです。


 開始は13:00からですが、30分ほど前に行ってみると、すでに入ることができ、資料等を見ることができます。参加者は、だいたい80人くらいでしょうか。早めに行くと、好きな席を選べますが、ぎりぎりだと、かなり詰まった状態で席を探すことになります。立ち見にならないように、調整はしてくれますが。


 軍艦防波堤の今は、写真のように駆逐艦「柳」の一部が確認できる程度です。(柳は、天一号作戦には不参加)


 凉月、冬月は、防波堤として設置された当初は、このように原型を保っていましたが、今はコンクリートの下に埋没し、形を忍ぶことはできません。


 大和の周りを囲むように、駆逐艦が布陣をとりましたが、制空権のない日本海軍はなすすべもなく、大和は沈没しました。凉月、冬月は大和の両側後方にいますね。


 駆逐艦も無事ではなく、大きな犠牲を出しながらも両艦は帰還しました。その際に、大和の乗員等を救助しています。


 会が始まると撮影禁止となるので、プログラムまで紹介します。


①全員で黙祷の後、軍艦防波堤の説明や、当時の乗組員の肉声が残っているので、その紹介など。
②凉月、冬月の説明や、その歴史等。
③質疑応答や、自由意見の発表。

・艦これ関係での参加者が、10%くらいいる。(挙手をうながしたら、そのくらいいた)
・九州管内以外で、神奈川からの参加者もいた。
・北九州市内の主要駅などのポスターを見て来たという人も多いようだ。
・ネットで、この会を知った人もいる。(N村等)
・お年寄りの戦争体験など、発表者は多い。
・若い人でも興味を持っており(わざわざ来るくらいだし)、質問も結構ある。
 資料の写真撮影はOKだが、設計図保護のためフラッシュは厳禁です。


 おまけ 凉月の名前は、DD117 護衛艦「すずつき」に受け継がれています。


 さて、サンリブで買い物をしてから、帰りますか。

 福岡県北九州市若松区本町1-11-18 Pなし 軍艦防波堤を語る会 参加費無料 予約不要


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