なんと一昨日出産のため入院した長女がきょう一時帰宅で帰ってきた。きのうから陣痛の促進剤を経口及び点滴にて続けていたのだが生まれる様子がなく、胎児にも負担になるということで自宅にてしばらく様子を見ることとなった。
きょう10日がまさに予定日だったので楽しみしていたのだが、喜びはもう少し先になりそうだ。帰ってきた長女も元気そうでひと安心、まあ「果報は寝て待て」とも言いますし時の流れに任せましょう。
そんな二人目の孫という嬉しい話とは反対に、散歩の時ちょっとショックというか驚いた事があった。あの「マルバヤナギ」という名前が最近わかった大きな木、「この木なんの木」と呼んでとてもお気に入りの場所の話である。
先日(7月30日)訪れた時に大きな一つの枝が折れてしまったのを発見したのですが、まあこれもショックと言えばショックなんですがねえ…
でもまだ大部分はしっかりとしていたように見るんです。
木の全体からすれば1/5にも満たないくらいの枝だったが、元通りになるには時間がかかるだろうなあというくらいに思っていました。
ところがきょうCobbyとの散歩で訪れると、なんと木がなくなってしまったのです!
あの大きな木の根元からこうしてバッサリと切られていました、なぜ?
確かに折れた箇所が根本に近い場所でしたし、そこから中の空洞部分も見えてはいました…
左の残った枝も「危険」と判断されればそちらだけ切るなり、枝をはらうことでなんとか木を維持することはできなかったのでしょうか。
土手から見ると以前との違いは歴然、
この大きな日陰を作ってくれていたマルバヤナギがなくなると…
こんな感じでただの広場になってしまいました。
とても悲しかったですね、この広場にグランドゴルフで来る年寄りたちが太い枝に紐をかけハンガー代わりに器具をぶら下げているのには「不謹慎」さを感じていましたが、小さな子どもたちが楽しそうな声を上げて木登りに興じているさまはいまどきなかなか見られない貴重な場所だったのですがねえ。
この驚くばかりのボリュームが老木に負担となっていたのでしょうか…
それにしても今回の判断をした役所は「万一子どもが乗っている時に折れたら大変危険」として伐採してしまったのでしょうか、あまりに短絡的な判断としか思えません。この貴重な命あるマルバヤナギを多少外側の枝打ちなどを行い支えを付けるなどして守ることができなかったものでしょうか・・・木の周りのゴミを地域の方がきれいにされたりして大事にしてきたのを見ている人間としてはとても残念です。
真夏でもこの樹の下はとてもひんやり涼しくでCobbyとベンチに座りしばし休んだりして私には「オアシス」的な場所だったんです。思えば昨年の夏はたくさんのセミの抜け殻を枝や木の周りに発見して、日暮れ時にCobbyと再訪し幼虫が木登りしている様子をカメラに収めたりと子どもたちのための自然教育的側面も担っていた木なんですよね…そんなことを考えながら寂しくなったベンチで休憩していたら、足元の小さな草の枝にこんなものを発見しました・・・
なんとセミたちがこんな小さな草の葉や茎につかまって脱皮していたんです。 | |
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ここにあった「この木なんの木」はセミたちの遺伝子の中にも刷り込まれた場所だったのかもしれません、なんだかこれを見て余計に悲しくなってきました。
さて帰ろうかと立ち上がりこの大きな切り株に思わず手を合わせている自分がありました・・・「この木なんの木」の木霊(こだま)がまだここにいるような気がして。
ありがとう、大きなマルバヤナギさん。そしていつまでも地域の方々を見守っていてくださいと・・・。
私とそしてCobbyも「あなた」のことはけして忘れません、いつまでも心のにその大きくて優しく美しい姿が残っています。
・・・そしてできるなら、その逞しい切り株から新しい命を吹き返してください。子どもたちとここを訪れるすべての生き物たちのために。