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恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

2度目の遅刻

2007年02月16日 | 日記とか
やっちまいました。
やはり知らないうちに疲労が体の中に蓄積しているのか、
朝起きたら頭が重いのなんの。こりゃーやばいかなぁと思いつつも、
身支度をして家を出ようとするのですが、
こんな状態で朝のラッシュを乗り切る自信もなく、ここは甘えてしまうことに。
ちょうど今日の授業は3時間目からなので、学校に連絡を取って遅刻することに。
そしてそのまま一時間ほど休ませていただいていくらかすっきり。

授業でもどうも乗らず、低いテンションで終始してしまいました。
中には最後の授業もあったりしたんですが、まぁこりゃ仕方がない。
来年以降挽回させていただきます。
んー、やっぱり体調は自己管理の問題。
しっかり休めるときに休んでおかないと。

恐懼謹言。

山本五十六元帥の御言葉

2007年02月15日 | 日記とか
先日来、卒業アルバムの教員からのコメント欄に文章を載せるということで、
何かカッコいい言葉はないかなぁと歴史上の名言なんかを探しておりまして、
その中でであった山本五十六元帥のお言葉。

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。
-『山本五十六語録』

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるたろう。
これらをじつと、古らえてゆくのが男乃修行である。
-『男の修行』


多くの企業家などが座右の銘とする言葉なんだそうですが、
やっぱりこういう名言ってシンプルながら人生の指針を明確に表している気がします。
もちろんこんな長文をコメント欄にのせるわけにはいかないので、
実際はまったく関係ない言葉を寄稿しましたが、
これはこれで自分自身への生き方の励みとなるような、勇気付けられるような、
そんな言葉として胸に深く刻ませていただきました。
よし、頑張ります。

恐懼謹言。

可もなく不可もないバレンタイン

2007年02月14日 | 日記とか
というわけで毎年この時期になるとやってくるバレンタインデーですが、
今年は例年とはちょっと違った環境で迎えることになったわけです。
ある意味、モノをもらえる可能性だけは無限大にあるわけですが、
実際にいただいた総数というのが7つ。ラッキーセブン。
これが多いのか少ないのかはよくわかりませんが、
去年バイト先でいただいた数と大差がないんじゃないかなぁと思います。
傾向としては生徒→教員ではなくて生徒→生徒のパターンも多く見られました。
義理チョコの延長で友チョコとか言うらしいんですが。
ともかくそんなことで、学校内がいつもよりワクワク感で溢れていました。

で、まぁ、私自身もそこまで万人に好かれるような人間ではないので、
これだけもらえただけで満足であります。
普段でこそバレンタインデーという商魂魂見え見えな一日に辟易としていますが、
やっぱりここは人間、何かもらえるというのはいいことかなぁと。
それが例えキットカットだろうがチロルチョコだろうが関係なく。
とりあえずお返しのことを考えると頭が痛いですが。
ま、それはそのとき考えよう。

恐懼謹言。

その微妙なバランス

2007年02月13日 | 所感とか
今始まったことじゃありませんが、良い授業ってなんだろうとしばしば考えます。
もちろん今の自分がやってるのはお世辞にも良い授業とはいえません。
一年近く教壇に立ってきて、授業が終わるたびに反省の繰り返し。
おそらく最後の最後まで満足の行く授業ってのを追い求めていくのでしょうが、
今の段階で頭を悩ませているのは授業の相互性。

自分の教えるべきことを相手の都合を考えずにつらつらと教えていく、
ってのは案外誰でもできることで、それをどう盛り上げるかが問題。
教室が騒がしかったり落ち着かない場合、一喝しさえすれば、
簡単に静粛な教室は出来上がりますが、私としては、
一時間黙りっぱなしの生徒を前に授業をやるってのは好むところではありません。
やっぱり何かこちらの言ったことに対しての反応がほしいこともあるし。
ただ、その盛り上がりとうるさくなって収拾がつかなくなる、
というのは紙一重の部分で、のさばらせすぎてしまうと、
今度はこちらの話に耳を傾けてもらえないという状況になるわけで。

時間とクラスによっては生徒がずっとひそひそ話を続けているか、
完全に授業を放棄して突っ伏しているか、ってなことも稀ではありません。
もちろんその責はみんなの関心を引き付けられない私にあるわけで、
そこでどうやって前に集中させるかというのがなかなか掴めません。
どこまで抑え付けてどこまで認めるのか。
そういう基準は自分の中にしっかりと定めていかねばなりません。
どうもその日のクラスの雰囲気や、自分の気分によって乱高下するのはいかんなぁ。

恐懼謹言。

10日間熟成された納豆

2007年02月11日 | 日記とか
私は無類の納豆好き、というほどではありませんが、
おそらく他の人よりは比較的多く納豆を消費してるんじゃないかと思います。
先ごろ納豆で一騒動起こりましたが、そんなことで騒がれる以前より、
納豆には慣れ親しんできました。
小腹がすいたらコンビニによって納豆巻きだけ買い求めたこともあるぐらい。

で、今日は実家に帰って夕食をとったのですが、
晩酌をして〆で飯を食うかというときになって、無性に納豆が食べたくなり、
本日は納豆ご飯で夕飯を締めくくることにしました。
冷蔵庫から納豆パックを取り出し、茶碗にご飯を盛っていざ。
納豆には刻みネギと辛子・付属のたれを入れてかき混ぜ、そのままご飯上へ。

いい粘り具合を保ちつつ、そのまま口へ運ぶのですが、その直後に違和感。
なんか味が変。そして歯応えもなぜか部分的にシャクシャクする。
気のせいかなと思ってそのまま食べ続けるのですが、
やはりなんかおかしいなぁという違和感は消えず、
ん、と思ってふと納豆パックの裏に記載されてある賞味期限に目をやると、
恐るべきことに「1/31」の文字が。今日が2/11だから・・・。

ちょうど10日経過していたわけですね。
別に発酵食品なんだからこれぐらい過ぎていたって、体に影響はないのでしょうが、
それでも味の劣化は避けられません。
シャクシャクとした食感もおそらく長いこと冷蔵庫に入っていて凍ってたのかも。
なんでそんな納豆が冷蔵庫に入っていたのか、
ひょっとしてあの一時的なブームで家族が大量に買い込んでしまったのか、
ただ単に納豆の消費量が少なかっただけなのか。
なんにしてもおいしいものを食べられると思ってこういうことがあると、
なんだか損した気分になってしまいますな。
とにかくおなかを壊さないことだけを祈るばかりです。

恐懼謹言。

田中哲弥『ミッションスクール』

2007年02月08日 | 日記とか
たまには書評でも。

普段は歴史関係の書物とか、そういったタイプのものが多いのですが、
たまには小説でも読んでみるか、と、書店へ行って物色。
文庫本の辺りを見ていると、田中哲弥、という、懐かしい名前を見つけまして、
つい手にとって購入してまいりました。
中学生のころは結構この著者の作品が好きで、読み漁ったものですが、
最近はこのライトノベルというジャンルからは離れていたので、
久々の出会いでした。とはいえ、作品を出したのが7年ぶりらしいので、
実際に一番読んでいたころの次回作という扱いのようですが、
大人になって改めてこの作者の文章にふれることになりました。

タイトルは『ミッションスクール』
扉の紹介文によると、
「下痢のため一刻も早く排便したいのです」―謎の符牒とともに教室から姿を消した聖メヒラス学園一の美少女・山岸香織は、MI6の潜入工作員だった。国連事務総長直属の諜報員・吹石雄作は香織と接触、イラク軍のテロ活動を阻止するため極秘任務を開始するが…華麗なる諜報戦を描く表題作ほか、ホラー、ファンタジイ、アメコミ、純愛ロマンという5つのジャンルフィクションの定型による規格外の学園ラヴストーリー。
読後の感想を一言で表すなら、もうめちゃくちゃ。
設定も何もあったものじゃありません。不条理という言葉がぴったり。
ただ、だからといって面白くないとか馬鹿馬鹿しいというわけではなく、
この著者独特の文体というか言い回しが絶妙なんですね。
興味がある方はぜひ著者のホームページの日記をご覧いただきたいのですが、
好き嫌いは相当分かれるんじゃないかなぁとおもいます。
少なくとも万人受けするような作品でないのは前から一緒。
どこかすっ呆けたような、かつ、各所にちりばめられたネタ、
それに、よくこういうのが思いつくよなぁという感心もあって
私はこの著者の異才ぶりには驚かされます。
まじめに、ではなく、若干肩の力を抜いて読みたい方にはお勧めです。

久々に小説を楽しみながらあっという間に読破させていただきました。

恐懼謹言。

迷惑な長電話

2007年02月07日 | 日記とか
以前ヤフーのカレー特集を見て訪れた大沢食堂
カレーの辛さでその方面では有名なようで、一見の私もその辛さに泣きました。
で、今日は学校帰りがてらに前回気になった定食系のメニューを試してみるべく、
午後9時すぎに二度目の訪問と相成りました。
今回は前回と違って満席という程度に込み合っており、
ご夫婦二人で切り盛りする店内はてんやわんやとなっておりました。

そんな店内で私はホルモン定食を注文して、しばし待ちます。
と、そんな時、忙しい店内に一本の電話が。
どうもお客さんからの電話らしいのですが、おそらくネットで情報を見たかなんかで、
店の位置がわからない、というような内容の電話だったようです。
電話に出た奥様が懇切丁寧に場所を説明するのですが、
どうも電話先の相手はそれが理解できないようで、何度も何度も聞き返していて、
奥さんも「いや、ですから、旧白山通りをですね、まっすぐいって・・・」
なんて説明をしているのですが、相手には一向に通じずに、
そんなやり取りが二度三度。
にもかかわらず店内は大盛況なので、いい加減奥さんが、
「ちょっと今忙しいので、近くまで着たらまたかけてもらえますか?」
とお願いするのですが、これにも応じず、まだまだ粘る粘る。

これに痺れを切らしたご主人が「俺にかわれ!」と電話機を取るや、
やや強い語気で応対するのですが、それでも話す内容は変わらず。
「いや、巣鴨にいるんだったらその通りをまっすぐ行って・・・」
なんてことの繰り返し。
こっちとしては気になるのが、私の注文した料理がいつ出てくるかということで、
そんなくだらない電話に気を取られていつまでも料理が出てこないので、
その電話先の相手が憎いったらありゃしません。
適当なところでご主人は電話を切り上げましたが。

そしたら数分後、電話の内容から考えると予想以上に早く、
電話先の相手と思しき大学生風の男一人と女性二人がやってまいりました。
なるほど、こいつらが俺の料理が出てくるのを遅らせた奴らか、
と思ってしげしげと眺めてその会話の内容に耳をすませてみると、
なんでも巣鴨からタクシーできたそうな。
最初からそうしてりゃあんな長電話しなくて良かったのに。

ちょうど私はそこで出てきたホルモン定食を食べ終えたので、
店を出ようと席をたったとき、件の彼らは料理をオーダーしていました。
「カレーが名物ならカレーだよね。俺は大辛にしよう!」という声が聞こえました。
バカめ、この店のカレーが並辛でも辛いのを知らんのか。
こないだ私は中辛を頼んで泣きを見ましたから。
あえて何も言うまい。
私の料理が出てくるのを遅らせた、その報いを受けるがよい。
そう思って私は会計を済ませ、店を後にしました。

恐懼謹言。

「産む機械」発言騒動の是非

2007年02月05日 | 所感とか
あまり時事ネタは取り上げないのですが、やたらと騒がれている柳澤伯夫厚生労働大臣の、
いわゆる「女性は産む機械」発言についての私見を少々。

先に結論から言うと、マスコミはあまりに政府批判に熱中するあまり、
片言隻句、言葉尻を取って大げさすぎる批判をしているようにしか見えません。
「産む機械」という言葉だけが独り歩きしていて、確かにそれだけを聞くと、
なんだかこういう風に非難されてもしゃあないかなぁとおもってしまいますが、
では、実際には柳澤大臣はどういう発言をしたのかというと、

なかなか女性は一生の間にたくさん子どもを生んでくれない。
人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体わかる。
ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、
装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、
機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が一人頭でがんばってもらうしかない。


2007年1月27日、松江市で開かれた自民県議の決起集会での発言ということですが、
これは要するに子供を出産する女性のことを指して、後に、
「経済に携わってきたのでモノを生産する例なら分かりやすいと思った」(本人弁)
という一言に尽きると思うんです。
人間をある意味でものを生産する装置に例えたということだけで、
それ以上でもなければそれ以下でもない。
確かに大臣としてはいささか軽率な発言だったといわれることもありましょうが、
いまマスコミが総力を挙げて大騒ぎするような問題じゃないわけで。

で、またマスコミの悪徳いところというのが、
こういった「問題発言」の一部分しか報道しないというところ。
誰だって「女性は産む機械」なんて言葉を聞いたら反発しますよ。
でも、この大臣の発言はそういったことを意図してるんじゃないのは、
その前後の文脈を見ればすぐにわかることで、
これを意図的に隠蔽して一部分だけを強調してバッシングするのはアホらしすぎ。
そしてこれに同調して審議拒否なんてやらかしてる野党も、もうダメダメ。
なぜ民主党が与党になれないのかも真剣に考えたほうがいいんじゃないのかな。

政府を国民がしっかりと監視するということは絶対に必要ですが、
細かい部分の粗探しをして吊り上げるってのは完全にお門違いもいいところ。
基本、マスコミは信用ならないものです。

恐懼謹言。

youtubeでタートルズに出会う

2007年02月04日 | 日記とか
部活が終わって帰宅し、ネットでyoutubeを見ながらのんびりとする夕方。
空耳アワーの動画なんかを見ながら浮世を忘れて楽しんでいたのですが、
そんな中でたまたま懐かしいミュータントタートルズの動画に出会いました。
小学生のころ、スイミングスクールに通って帰ってくるとちょうど6時半で、
夕食前のひと時にこれを見て、その後ドラゴンボールZへ、
というのが水曜日の定番の流れになっていました。
懐かしさから動画を見てみると、それがまた空耳動画だったんです。

動画(音声注意)

いやー、しかしまぁ「もすかう」なんかにしてもそうなんですが、
こういうフラッシュを作ったり空耳を発見する職人さんもすごいわ。
困ったことに一度こういうのを見るとそれ以外の言葉には聞こえてこないし、
それ以降しばらく頭の中にメロディが残るという中毒症状になってしまいます。
懐かしさと馬鹿馬鹿しさと一抹の感動。
空耳にはある種の文化を感じずにはいられません。

恐懼謹言。

バイクの写真を撮らせてください

2007年02月03日 | 二輪/四輪車とか
部活を終えてバイクで自宅へと帰還する午後3時ごろ。
場所にして新大橋通りと環七が交差する交差点に差し掛かったとき。
車列をすり抜けていつものように横断歩道手前まで出てくると、
歩行者の一人がこちらに駆け寄ってきて、なにやら私に話しかけるのです。
何だ、道案内か、と思ってシールドをあげてその声に耳を傾けると、
「私、バイクが好きなんですよ」と、笑顔で話しかけてくるのです。
年のころにして30代の男性。お世辞にもお洒落な方とはいえません。
どちらかというと千代田区外神田の辺りにいそうなお方。

え、どういうことですか、と聞き返すと、
「それで、ここでバイクに乗って通りがかる人の写真を撮ってるんですが、」
奇特な人もいるもんだ。
「撮らせてもらってもいいですか?前に撮ったことありましたっけ?」
ってことは結構ここでそういうことしてるわけね。撮られたことはない、と、
こちらも怪訝そうな態度で返答すると、
「ですよね。で、あ、ちなみにそのバイク何CCですか?」
いや、400ですけど。
バイク好きなら一目見てわからんのかな。
一応はこのクラスではベストセラーのバイクで珍しくもなんともなかろうに。
「あー、そうですか、じゃあいいです」と答え、
私の元から去り、今度はまた私の後方に目をやり、新たな獲物を探し始めました。

どういうことなんでしょう。
400のバイクじゃつまらないってことなのか、
疲れてたのもあるし、早くトイレに行きたかったからそんな余裕がなかった私が、
あまりに非協力的な態度で余所余所しく接したことに脈がないと感じたのか、
その辺はよくわかりませんが。
ってか、そもそもバイクが好きだからといって外に繰り出し、
おまけに公道で人を捕まえてこういうことをお願いするのってなんなんだろう。
ひょっとしてナンバーを写真に収めて何か良からぬことをしようとしているのか、
はたまたそれを口実に何か高額なものを売りつけようとする新手のセールスなのか。

なんだったんでしょう、あの人は。
また明日通りかかったときに見かけたら試しに応じてみっかな。

恐懼謹言。