ルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」(岸本佐知子 訳 / 講談社)は、2020年の本屋大賞翻訳小説部門第2位 (それに第10回"Twitter文学賞”海外編第1位)を受賞している。去年からずっと読みたいと思って、amazonの買物リストに入れておいた本だ。
「なんだろう〜?」と思わせる不思議なタイトルと、古い映画のような雰囲気のカバー写真がシックで知的。24編のお話からなるこの本は、作者自身の体験に根ざした様々なシーンが淡々と、壮絶に思える場面でもどこかユーモラスな醒めた目線で、詩的な物語になって描かれている。
アラスカで生まれ、鉱山技師だった父についてアメリカ各地の鉱山町を転々とし、第二次世界大戦に伴う父親の出征でテキサス州エルパソに移り、そこで”腕はいいが酒浸りの歯科医の祖父”の元で、母親と叔父もアルコール依存症という貧民街という環境の中で育ち、終戦後、両親と妹と移り住んだチリのサンチャゴではお屋敷に召し使いつきの豪奢な生活を送る。。。。
その後、N.Y、メキシコ、カリフォルニアに住み、その間、教師、掃除婦、電話交換手、ERの看護師などをしながらシングルマザーで4人の息子を育て、アルコール依存症を克服してからは刑務所で受刑者に創作を教え、1994年にはコロラド大学の客員教授となり、最終的に准教授になるが、子供の頃に煩っていた脊柱側湾症側彎症の後遺症による肺疾患が悪化し、ガンのために68歳で死去する。ルシア・ベルリンの生涯は、それだけでもう圧倒される。
ERの看護師の目線で書かれた「わたしの騎手」はたった2ページの短い作品だが、最後の2行が素晴らしい。「暗い部屋で二人きり、レントゲン技師がくるのを待った。わたしは馬にするみたいに彼をなだめた。「どうどう、いい子ね、どうどう。ゆっくり・・・ゆっくりよ・・・」彼はわたしの腕の中で静かになり、ぶるっと小さく鼻から息を吐いた。その細い背中をわたしは撫でた。するとみごとな子馬のように、背中は細かく痙攣して光った。すばらしかった。」
1ページと2行(!)、という短い物語もある。「まだ濡れているときはキャビアそっくりで、踏むとガラスのかけらみたいな、だれかが氷を囓ってるみたいな音がする。」”マカダム”という道路の舗装の素材がタイトルになっていて、それがとても印象的な情景を創り出している。精錬所から吹いてくるテキサスの赤土。埃が舞う道路。。。行間から土埃の匂いとテキサスの暑さが伝わってくる。
「深くて暗い塊の夜の底。」で始まる「どうにもならない」も好きな物語だ。
「酒屋もバーも閉まっている。彼女はマットレスの下に手を入れた。ウォッカの一パイント瓶は空だった。ベッドから出て、立ち上がる。体がひどく震えて、床にへたりこんだ。このまま酒を飲まなければ、譫妄が始まるか、でなければ心臓発作だ。」。
部屋中の小銭を掻き集めて、朝の6時からやっている歩いて45分かかる酒屋までなんとか行きつき、息子たちが目を覚ます前に家に戻る。。。。13歳の息子がいう「どうやって手に入れたんだよ、酒」。。。まだ明け切らない暗い朝の通りを、道路のひび割れを数えながら、倒れそうになりながら、よたよたしながら歩く彼女の姿は、ずっと昔に観た映画「酒と薔薇の日々」のラストシーンを思い起こさせる。(「酒と薔薇の日々」は1962年のアメリカ映画。ヘンリー・マンシーにの美しい主題曲が有名だが、内容はアルコールに溺れていく男女のシリアスで哀しい内容。リー・レミックが演じる壊れていく女性の姿が切ない)。
どこから読んでも、何度読んでも、簡潔で無駄のない文章がその時その場の情景をまるで眼の前に見るように描きだす。行ったことのないチリやメキシコやアリゾナの暑い空気や色が感じられ、やりきれない思いや絶望感、諦めなどが背景と一緒にくっきりと立ち上がる。”絵を描くように文章で表現する”という言葉を思い出す(翻訳の素晴らしさも見逃せない!まるでルシア・ベルリン本人が直接日本語で書いたようなキリッとして淀みのない美しい文章!)。
こんな本は時間があるときにゆっくり、味わいながら、丁寧に読みたいものだ。本の中に入り込んで、物語の主人公と一体化するような読書は、今回のコロナウィルスの自粛のお陰と言ってもいいかもしれない。
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