気功と太極拳の関連についての講義録、最終回である。
長い文章ではあるが、全体を通して読むと太極拳の原理と重なる部分が多いことに気がつくだろう。
シンプルであるけれど奥が深い。それが太極拳。
まだまだ勉強することはいっぱいあるなぁ~。
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揺れる、動く、その原因は
もうひとつ例をあげると、丹田の気が動きだした時に起こる現象として、身体のある臓器に疾患がある場合は、その気が自然にその臓器に到達するということが起こる場合があります。その時にその人の感覚としては、例えば心臓病を患っていると心臓が気持ち悪くなるといことがあります。その時重要なことは、それにとらわれたり慌てたりせず、精神状態を自然に保ってリラックスすることです。なぜならば、気が動きだして病のある病巣に行くわけですが、その精神状態を安定させてその臓器を緩めるという意識で、その気が病巣に行って通ろうとする、その病巣の阻害する力を緩める、という意味があります。ですから、精神的なリラックス、ある臓器を緩める、ということが必要になってきます。
次に、経絡のある部分が詰まっている場合、内気が活動し始めると、その経絡が詰まっていることによって、ある種の動作ある種の反応が起こることがあります。
例えば手の経絡が詰まっているとすると、気が動きだすために震える状態が起こってきます。
なぜそのような現象が起こるかというと、気が詰まっている部分に衝突し、その衝突によって今度は筋肉がそれの通りをよくするために参加してきます。そのために身体が震えたり、筋肉が震えたりという現象が起こります。通りがよくなれば自然にその動きは消えます。だから、そういう動きは悪いことではないので、あまり構わないようにしますが、それが非常にいいことだと思うことはもっと悪いことですから、とらわれないことが重要です。その経絡の詰まっている部分が任脈、督脈の上であるとすると、身体の揺らぎ、あるいは全身の震えという現象が起こります。その時には慌てずに自然に任せます。初めの段階はその状態が非常に強烈で激しいものですが、段々消えてゆくか、あるいはあるリズムをもった自然な動きに、自然に変わってきます。
最終的な段階として、練習を始めると首がゆっくりと回りだす、あるいは身体が自然に揺れだすということが起こります。なぜなら、毎日の生活の中で、必ず首、腰が疲労するのが常です。ですから、練習を始めるとすぐにそういう柔らかい動きが起こるのは、自然な練習の結果です。しかし、病気が重かったり、身体の質が非常に弱い人はここで指導者、気功の導師の助けが必要になってきます。その先生の助けによって詰まりをなくすということが必要です。
「太極の気」、「太極の力」によって場を変える
そのひとつの方法は、「太極の気」、「太極の力」によって周囲の気の場を変えることで、その中の病人の疎通をよくする助けをするというものです。
どういうのが「太極の気」というかというと、陰と陽に分かれて表現される力。気というのは円です。陰と陽に分かれているというのが特徴です。ですから「太極の気」、「太極の力」といいます。
もうひとつの方法は、例えば鍼灸のように、ある一定のツボ、あるいは経絡に、指なら指を当てたりする。つまり、経絡の流れをよくするために、直接対象治療で注入するという方法です。ある場合には、この二つの方法を結合させて、周囲の気の場を変えながら、しかもその経絡、ツボに直接注入するという、二つを合わせた方法を用いることがあります。この時に起こってくる現象として、治療を受けている人間の身体が知覚的でなく、まったく自然にそういう回りの気、あるいは注入された気によって動きだすということがあります。
その原因は、また、二つに分けることができます。
第一番目は、身体の外の気、外界の気の場の変化によってその本人が誘導されるということ。外界の気に感応するということです。
第二番目は、外界の気を身体で吸収して、身体が外界の動くという信号の気を吸収することによって、それが外側に表現される。つまり、外界の動の信号を身体の中に一度吸収して、そして動くという表現が起こる、ということです。
もうひとつ、動く理由があります。
それは、外気と身体の中の内気が結合することによって経絡の中を流れ、その流れが病巣に衝突して震えだすという状態です。
その動きの過程として、まず不動、次に動き出すわけですが、その動きは小さく、そして大きく、また小さく、そして動かなくなる、そういう過程を通ります。動きの形態も、まず初めは猛烈な不規則な動き、次第に円い柔らかい太極拳のような動きになってきます。
気の感応というのは、一人一人全部異なるものです。
体質の問題もあり、それがいいとか悪いとかいう問題とは別です。ある人は内面の感応が非常に大きくて、外側の感覚が小さい。ある人は、外側の感覚が非常に強いんですが、内側の感覚が少ない。同じ感応でもそういう違いがあります。
「神」とは「自然の気術」
気によって精神的な反応も起こります。ものすごい愉快な感じになるとか、あるいはものすごく悲痛な精神状態になるとか。ですからその表情としてある人は笑うようになったり、ある人は泣くようになったり。でもこれは決して精神病ではありません。
これによって、気というのは内臓、身体を調整することができ、また、精神状態も調節することができるということがいえると思います。今用いた方法が、いわゆる外界の気の場を調節し、また直接に身体の経絡、ツボを使って内気を誘導するという結合の方法です。
その気自体、自然にそういう動きの気がありますから、ある程度練功が熟すれば、自然に動くようになります。誘導しなくても動くようになることになります。つまり、最終的には強い意識を用いなくても、気が自然に動き、それによって柔らかい円の動きが生まれ、自然のエネルギーに即応することになります。これがいわゆる「神」という段階だと思います。
「神」というのは、なにも神様という意味ではなくて、「自然の気術」のことを指します。昼と夜の転換であり、春夏秋冬の季節の転換であり、そういう大きな自然の「気術」それを指揮しているものとして「神」という概念を使っています。
長い文章ではあるが、全体を通して読むと太極拳の原理と重なる部分が多いことに気がつくだろう。
シンプルであるけれど奥が深い。それが太極拳。
まだまだ勉強することはいっぱいあるなぁ~。
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揺れる、動く、その原因は
もうひとつ例をあげると、丹田の気が動きだした時に起こる現象として、身体のある臓器に疾患がある場合は、その気が自然にその臓器に到達するということが起こる場合があります。その時にその人の感覚としては、例えば心臓病を患っていると心臓が気持ち悪くなるといことがあります。その時重要なことは、それにとらわれたり慌てたりせず、精神状態を自然に保ってリラックスすることです。なぜならば、気が動きだして病のある病巣に行くわけですが、その精神状態を安定させてその臓器を緩めるという意識で、その気が病巣に行って通ろうとする、その病巣の阻害する力を緩める、という意味があります。ですから、精神的なリラックス、ある臓器を緩める、ということが必要になってきます。
次に、経絡のある部分が詰まっている場合、内気が活動し始めると、その経絡が詰まっていることによって、ある種の動作ある種の反応が起こることがあります。
例えば手の経絡が詰まっているとすると、気が動きだすために震える状態が起こってきます。
なぜそのような現象が起こるかというと、気が詰まっている部分に衝突し、その衝突によって今度は筋肉がそれの通りをよくするために参加してきます。そのために身体が震えたり、筋肉が震えたりという現象が起こります。通りがよくなれば自然にその動きは消えます。だから、そういう動きは悪いことではないので、あまり構わないようにしますが、それが非常にいいことだと思うことはもっと悪いことですから、とらわれないことが重要です。その経絡の詰まっている部分が任脈、督脈の上であるとすると、身体の揺らぎ、あるいは全身の震えという現象が起こります。その時には慌てずに自然に任せます。初めの段階はその状態が非常に強烈で激しいものですが、段々消えてゆくか、あるいはあるリズムをもった自然な動きに、自然に変わってきます。
最終的な段階として、練習を始めると首がゆっくりと回りだす、あるいは身体が自然に揺れだすということが起こります。なぜなら、毎日の生活の中で、必ず首、腰が疲労するのが常です。ですから、練習を始めるとすぐにそういう柔らかい動きが起こるのは、自然な練習の結果です。しかし、病気が重かったり、身体の質が非常に弱い人はここで指導者、気功の導師の助けが必要になってきます。その先生の助けによって詰まりをなくすということが必要です。
「太極の気」、「太極の力」によって場を変える
そのひとつの方法は、「太極の気」、「太極の力」によって周囲の気の場を変えることで、その中の病人の疎通をよくする助けをするというものです。
どういうのが「太極の気」というかというと、陰と陽に分かれて表現される力。気というのは円です。陰と陽に分かれているというのが特徴です。ですから「太極の気」、「太極の力」といいます。
もうひとつの方法は、例えば鍼灸のように、ある一定のツボ、あるいは経絡に、指なら指を当てたりする。つまり、経絡の流れをよくするために、直接対象治療で注入するという方法です。ある場合には、この二つの方法を結合させて、周囲の気の場を変えながら、しかもその経絡、ツボに直接注入するという、二つを合わせた方法を用いることがあります。この時に起こってくる現象として、治療を受けている人間の身体が知覚的でなく、まったく自然にそういう回りの気、あるいは注入された気によって動きだすということがあります。
その原因は、また、二つに分けることができます。
第一番目は、身体の外の気、外界の気の場の変化によってその本人が誘導されるということ。外界の気に感応するということです。
第二番目は、外界の気を身体で吸収して、身体が外界の動くという信号の気を吸収することによって、それが外側に表現される。つまり、外界の動の信号を身体の中に一度吸収して、そして動くという表現が起こる、ということです。
もうひとつ、動く理由があります。
それは、外気と身体の中の内気が結合することによって経絡の中を流れ、その流れが病巣に衝突して震えだすという状態です。
その動きの過程として、まず不動、次に動き出すわけですが、その動きは小さく、そして大きく、また小さく、そして動かなくなる、そういう過程を通ります。動きの形態も、まず初めは猛烈な不規則な動き、次第に円い柔らかい太極拳のような動きになってきます。
気の感応というのは、一人一人全部異なるものです。
体質の問題もあり、それがいいとか悪いとかいう問題とは別です。ある人は内面の感応が非常に大きくて、外側の感覚が小さい。ある人は、外側の感覚が非常に強いんですが、内側の感覚が少ない。同じ感応でもそういう違いがあります。
「神」とは「自然の気術」
気によって精神的な反応も起こります。ものすごい愉快な感じになるとか、あるいはものすごく悲痛な精神状態になるとか。ですからその表情としてある人は笑うようになったり、ある人は泣くようになったり。でもこれは決して精神病ではありません。
これによって、気というのは内臓、身体を調整することができ、また、精神状態も調節することができるということがいえると思います。今用いた方法が、いわゆる外界の気の場を調節し、また直接に身体の経絡、ツボを使って内気を誘導するという結合の方法です。
その気自体、自然にそういう動きの気がありますから、ある程度練功が熟すれば、自然に動くようになります。誘導しなくても動くようになることになります。つまり、最終的には強い意識を用いなくても、気が自然に動き、それによって柔らかい円の動きが生まれ、自然のエネルギーに即応することになります。これがいわゆる「神」という段階だと思います。
「神」というのは、なにも神様という意味ではなくて、「自然の気術」のことを指します。昼と夜の転換であり、春夏秋冬の季節の転換であり、そういう大きな自然の「気術」それを指揮しているものとして「神」という概念を使っています。
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