izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

「Windjammer」のジミーさんに聞いた話の続き

2011-09-30 13:59:34 | 日記・エッセイ・コラム
夏前は、あるCDに付けるブックレットの編集仕事をした。
(一応、ワタシ、フリーランスの編集者である)
その時の取材で、CDに入れられなかったジミーさんから聞いた話ーーー


中華街善隣門前の通りにある「Windjammer」は、オーナーであるジミーさんが1972年に開店した店。
毎日ピアノトリオのジャズ演奏がある、バー・ラウンジである。
ライブハウスではないから、お客は食事をしたり、おしゃべりしたりしながら、くつろいで演奏を聴いている。
平日は会社帰りのサラリーマン、祭日には観光客が入る、”ジャズへの入り口”的な店だ。

ジミーさんが横浜に来たのは1960年。
その頃、中華街には134軒ものガイジンバーがあったという。

横浜に来たのは、叔父さん(船乗りで、奥さんが日本人)が住んでいた関係らしい。
その叔父さんが本牧でやっていた店が「イタリアン・ガーデン」(こちらも本牧を語る上で見落とせない店だ)。
ジミーさんによると、店が一番賑わっていたのは、1970年代から80年代初め頃。中華街の「ストーク」は大人の雰囲気、本牧の「イタリアン・ガーデン」は若い人が多かったとか。

そっか~。。。。何となく合点が行く。
当時の本牧は、まだ、広大な接収地に米軍の住宅地が広がっていた時代。
一方、関内地区には、外国の船会社や保険会社などが支社を置いていた。
若いアメリカ兵が多い本牧と、仕事で来ている外国人ーーこの違いが今に繋がって、「関内はジャズ、本牧はロック・ソウル」とが住み分けているようだ(本牧に住んでいるロック系のミュージシャンは多い)。

ジミーさんは、今もすごく"カッコイイ ガイジン"だ。
銀髪をきれいにオールバックに撫付けて、洒落た柄物のシャツを無造作に着ている。
昔の横浜には、こんな洒落た外国人が大勢いたんだろうな~。
そんな人たちを見ていたから、今も横浜には「遊び上手な不良中(高)年」がいる。

あるブルース系のライブハウスで知り合った中年男性3人組は、ハーレーを所有しているのだが「寒いっちゃ乗らねえ。暑いっちゃ乗らねえ。雨降っちゃ乗らねえ」で、「たま~に乗ると、カーブで曲がりきれなくてコケタ」とか、真面目な顔して話してた。
笑っちゃうことを至極さらっと、何気なく話すところが、江戸ッ子とは別のハマの粋を感じるところ。
ジミーさんは、そんな横浜の伊達男の雰囲気を今も漂わせているのだった。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 黄金町「試聴室その2」から、... | トップ | 10月の「経絡はまじょ会」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事