izumishのBody & Soul

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「永遠のソール・ライター展」で、かつてあった創造と自由の時代へ思いを馳せる

2020-02-04 14:42:39 | アート・文化

2017年の日本初の回顧展で大きな話題を呼んだ写真家ソール・ライター。それに続く第2弾「永遠のソール・ライター」は、前回とは異なる視点で新たに整理された作品が編纂されている。

今回は、「ハーパーズバザー」や「ヴォーグ」などでファッション写真家として活躍していた時代の商業写真よりももっと個人的な、“自分のためだけに作品を創造”していた時代を主体とした展示で、ソール・ライター自身の興味のあり方やモード写真の元になっている独自の世界を垣間見る内容になっている。

 

1946年、23歳になったソール・ライターがニューヨークに出て住んだのは当時の「ロウワー・イースト」。その後、ビートジェネレーションやカウンターカルチャーの発信地となる「イーストヴィレッジ」と呼ばれるアートの中心地へと変貌していく場所でもあった。

そこを拠点として撮影された写真は、1950年代当時のニューヨークの様子を独自の目線で切り取っている。

ソール・ライターの写真は「絵画のよう」と評されるが、そこにある対象(風景でも人物でも)をそのままストレートにではなく、雨に濡れた窓ガラス越しだったり、停車している車の窓から見た反対側の歩道を歩く人物だったり、高架鉄道の上から下にいる母親と乳母車に乗った子供だったり、ショーウィンドーや鏡などに幾重にもダブって見える人物だったりする。

カラー作品では、雪が降って全体が灰色のトーンになった風景の中に赤い傘や黒い日除けのテント、黄色い車などの色が際立っている。画家が作品を描くように、カメラを通して創造していた写真家といえる。

 

「三本の足」とか「尼僧」、「ニューヨーク」、「高架鉄道から」といった1950年代のモノクロ写真や、色彩感覚が素晴らしいカラー作品の「薄紅色の傘」、「雪」、「赤い傘」、「天蓋」。それに、妹のデボラや恋人のソームズを撮影した写真の数々。。。 

 「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。

  神秘的なことは馴染み深い場所で起きていると思ってる。

  なにも、世界の裏側までいく必要はないんだ。」

という言葉通り、周囲にある風景、妹や恋人や自分自身への思いを撮り続けていたソール・ライター。 

 

「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」というソール・ライターの作品は、分断と競争、ヘイトなどが広がる今の時代に見ると、かつてあった創造と自由への郷愁のようなものを感じさせる。

 ひっそりと、穏やかに、心豊かに暮らすこと。孤独でも誰からも侵されることのない自由があること。。。そんなことに思いを到らせる作品でありました。 

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/