曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

微妙な立ち位置 

2016年03月20日 | NPO法人の活動

所属しているNPOの、今まで所属していた部門で、責任者ではないものの、責任者に代わってもろもろの雑用をひきうけていた私。

先日、「もうできない」発言をし、メンバーに自分の仕事を振り分ける(できればすべてやめたかったが)事にし、その体制づくりというか、引継ぎの為の話し合いが行われました。

忙しい人たちの集まりなので、いちばんは現委員長と、新委員長の予定に、副委員長と会計他庶務の担当の私が合わせるという日程で、行われました。

こちらは、実家母Yこさんの骨折入退院騒ぎがあった直後でして、はっきり言って、心身ともに疲れ切った状態。気の合った友達にグチでも聞いてほしい気分。

自分では、正副委員長は、「ある程度本心が話せる相手」と思っていました。今度委員長になる人もずっと一緒に活動をしてきた人なので、少しぐらいは愚痴も聞いてくれる相手であると、思っていたんです。

4人で集まるところ、先に副委員長から少し遅れますのメールが入り、私が行ったとき、新委員長と、現委員長が先に2人で何やら深刻に話をしておりまして。

二人の話を邪魔しないように、棚の整理なんぞして私は黙って控えておったんであります。2人の話の中でも、ご自分の家族の病気の話も出てきたので、ちょっと私も仲間に入ってもいいのかなと、実家の母親の話をしかけたところに、副委員長がやってきまして、私の「実はまた、実家の母が骨折しまして…」に対しては、こちらにすると、その話は無視される形で、

「では、議事に入ります。」となりました。

ここで、私って微妙な立ち位置と思ったわけです。

微妙に、もう中心になってやらない人間と無駄な話をする時間はないとの空気感が漂ったんです。

まあ、普通、「母親が入院して…」と言いかけたのを、さえぎってってことは無いと思うんですけどね。

新現委員長2人ともノーリアクションでした。(その前の2人の話に入ってはいけないという雰囲気からもそれは感じてはいたんですが)

正直、む~~んとなったんですねえ。相手が感じたかどうかはわかりませんが。

今日の内容は→

私の作成していた書類や、日当や交通費の書類の提出と確認→事務局への提出→公的機関への提出もろもろ、担当者の確認、そして、年間の予定の作成と、手続き云々。報告書の作成(各部門ごと、同じ部門ごとの集約、年間のすべての活動の集約、活動に伴う保険の手続きとその報告)つ会員への文書の発送(その前の印刷).施設に訪問するので、その相手先とのやりとり、日程調整、派遣するメンバーの調整、さらに必要な備品の調達と在庫管理、その出金と会計報告等など、そして、訪問先から回収したアンケート用紙のまとめ等、山ほど仕事があるのですが、施設への連絡以外は、他のメンバーに振り分けることになっています。

振り分け先については、現委員長がやってくれました。ネックは備品管理と注文とその会計でしたが、文句を言っていたご本尊が、承諾したそうで、内心やってみればわかるだろ!みたいなのが、正直な気持ちです。前の委員長で、この人もえ~。よしこさんがやるんでしょ?それに、みんなよしこさんがやるものと思ってるよと言っていた人にも、2つぐらい仕事を回し、他の事も何人かに振り分けをし、一応全体の話がすんだところで、現委員長と新委員長との2人の打合せ。

副委員長とわたくしめはお暇になりまして、やっと、実家母の話題をごちょごちょと、副委員長は最近生まれたお孫さんの写真を見せてくれて、お返しにYこさんのサイボーグ写真を見せて、ひそかにお互いちょっぴり、私的な話。

そして本題に戻り、いよいよ終了というところで、わたくしから確認事項

ある意味、一番の確認事項でございます。

前委員長も、現委員長も忙しくので、緊急連絡先にはなれない、また、事業責任者の名前は出すが、連絡先はわたくしよしこの電話番号になっているのですが、

「それはどうしますか?」

しばし無言の後、事業責任者となりました。

はい。これで、わたいの雑用のかなりの部分がやっとやっと、減ります。

まあ、その…、書類からわたくしの名前がなくなるつうのも(何年も私の名前だったからね...("= =) トオイメ)なんというか、多少の痛みもあり、でもまあ、いつもいつも最後までいたのも、これで、とっとと帰ることも出来、よかったじゃん。

でもねえ、立ち位置微妙です。もう仕事もやめているわけだしね。

はっきり言って、現委員長と、新委員長との考え方の相違は(向こうから見ると家庭の事情なんぞくだくだ聴いている暇はなく)私が微妙な立ち位置にいることを、実感させられるのですなあ...("= =) トオイメ目