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ラッシャー木村選手、死去

2010-05-24 18:49:54 | Weblog
ラッシャー木村さん、腎不全による誤嚥性肺炎で死去
5月24日18時7分配信 サンケイスポーツ

 元プロレスラーで2003年からプロレスリング・ノアの終身名誉選手会長に就任していたラッシャー木村さん(68)が24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去した。ノアの公式サイトで発表した。

 木村さんは1941年北海道出身。大相撲の宮城野部屋を経て日本プロレスに入門。その後東京プロレスから国際プロレスに移籍した。国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年にはIWA世界ヘビー級王座を獲得した。

 国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。第1次UWFにも参加したが程なく離脱した。その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客から「マイク!マイク!」とパフォーマンスを求めるマイク・コールが起こるほどだった。

 馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博していたが、03年3月の日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明している。



ちょっと早いですよねぇ、68歳・・・
ラッシャー木村選手は自分にとって最初に生で見たプロレスラーなんですよ。
ちょうど新日本対国際の第一ラウンド、対猪木戦の時、蔵前の廊下でパンフレットを購入していると「お疲れ様です。控え室ってこっちですか?」って木村選手が堂々と立ち入り禁止の場所から入ってきました。
係員があわてて控え室に誘導していました。

その後お客さんがもう入っているにも関わらず木村、浜口、寺西の3選手は通路で黙々とランニングしていました。

人がよくつて、国際軍団として悪役をやってたのに、どこかすっとぼけていて、「いじりがいのある」レスラーでした(当時はバリバリの新日本信者でした)

晩年は渕いじり、ディートンいじりと実は物凄く頭がいいんじゃないのってくらいアドリブが利くレスラーでした。

ひょっとするとWWEに一番あっている選手だったのかもしれません。

今はただただご冥福をお祈りいたしますとしかいいようがありません・・・

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