色々あった大会でしたが、とうとう決勝にやって来ました。その決勝は「智弁対決」となり、話題性としては最高に盛り上がったのです。
超満員のスタンドが早く帰ってきてほしいと思います。
ところで、智弁対決となった今年を含めて、過去の大会で近畿勢同士の決勝というのがどれほどあったのか? を検証してみたいと思います。
【選手権大会における近畿勢同士の決勝戦】
①第7回(1921年)
和歌山中 16-4 京都一商
②第8回(1922年)
和歌山中 8-4 神戸商
③第9回(1923年)
甲陽中 5-2 和歌山中
④第28回(1946年)
浪華商 2-0 京都二中
⑤第34回(1952年)
芦屋 4-1 八尾
⑥第43回(1961年)
浪商 1-0 桐蔭
⑦第63回(1981年)
報徳学園 2-0 京都商
⑧第79回(1997年)
智弁和歌山 6-3 平安
⑨第103回(2021年)
智弁和歌山 9-2 智弁学園
【選抜大会における近畿勢同士の決勝戦】
①第5回(1928年)
関西学院中 2-1 和歌山中
②第20回(1948年)
京都一商 1-0 京都二商
③第21回(1949年)
北野 6-4 芦屋
④第25回(1953年)
洲本 4-0 浪華商
⑤第42回(1970年)
箕島 5-4 北陽
⑥第51回(1979年)
箕島 8-7 浪商
⑦第86回(2014年)
龍谷大平安 6-2 履正社
⑧第89回(2017年)
大阪桐蔭 8-3 履正社
⑨第90回(2018年)
大阪桐蔭 5-2 智弁和歌山
夏も春も8回ずつ近畿勢同士の決勝が行われています。ちなみに和歌山と奈良の決勝での対戦は春夏を通じて初めてのことです。
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ちなみに、春夏の大会で優勝校が出ていない都道府県がどこどこあるのかも確認しておきます。今後の大会を見る時の参考にもなりますね。
【選手権大会の優勝未達成都道府県】
青 森 県
岩 手 県
宮 城 県
秋 田 県
山 形 県
福 島 県
山 梨 県
新 潟 県
富 山 県
石 川 県
福 井 県
滋 賀 県
鳥 取 県
島 根 県
岡 山 県
長 崎 県
熊 本 県
宮 崎 県
鹿児島県
【選抜大会の優勝未達成都道府県】
北 海 道
青 森 県
岩 手 県
宮 城 県
秋 田 県
山 形 県
福 島 県
群 馬 県
千 葉 県
山 梨 県
新 潟 県
富 山 県
石 川 県
滋 賀 県
鳥 取 県
島 根 県
福 岡 県
佐 賀 県
宮 崎 県
まあ、これはどうでもいい情報でしたね。ただ、今後の大会で優勝校を出したことのない地区がいつ優勝するかには興味を持っていただけるかと思います。選抜での千葉県、福岡県などは意外な部類でしょうか?
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では、本題に戻って決勝の試合結果です。上でネタバレ部分があったことはご容赦ください。
▽決勝
智弁和歌山
400 001 121│9
020 000 000│2
智弁学園
(和)伊藤・中西-渡部
(智)西村・小畠-植垣
予想外の大差がつきましたが、これは日程の影響が大きかったように感じます。8日間で5試合を戦う羽目になった智弁学園の方に蓄積された疲労が大きかったのではないでしょうか。智弁和歌山は初戦が8月24日となって、6日間で4試合を消化しましたから連戦は同じですが、試合数が2試合違うというのと、準々決勝以降は接戦続きだった智弁学園に心身ともに疲労が積み重なったのは間違いないと思います。
智弁和歌山は2000年の優勝以来の21年ぶり3回目の頂点に立ちました。夏の初優勝を目指した智弁学園は無念の準優勝でした。
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ところで、この決勝を最後に堅田外司昭審判が甲子園での審判を勇退されました。星稜のエースとして1979年夏の3回戦でこの年の春夏連覇を果たすことになる箕島と対戦し、延長18回サヨナラで敗れた、あの堅田投手です。これは高校野球ファンならご存知だと思いますが、試合後にこの試合の球審を務めた永野元玄さんから試合中に使用した泥のついた試合球を手渡され「ウイニングボールを渡されたら悔しさがよみがえるだろうから試合中に使ったボールを渡す。君は試合中は常に勝者だった。ナイスゲームをありがとう」と告げられたそうです。堅田さんはこのボールを「一生の宝物です。ボールを見るたび、あの試合に恥じない生き方をしようと思った」と後に語り、松下電器で選手、マネージャーを務めた後に「野球界に恩返しをしたい」と審判として2003年から甲子園に戻って来ました。以来、19年に渡って甲子園で雄姿を拝見して来ましたが、若手が育ってきたことで「後進に道を譲りたい」と甲子園での審判を退任することを決心されたそうです。地方大会での審判は続けられるそうですね。長い間、お疲れ様でした。
また、NHKの高校野球解説を20年に渡って務められた前田正治さんがこの決勝のテレビ解説を最後に解説者を退かれました。前田さんは関大では私の1年先輩で、現関大野球部の早瀬万豊監督の1代前のエースでした。スポーツ推薦のなかった当時の弱い野球部を背負って投げ続ける姿は悲壮感を感じさせましたが、その努力が早瀬くんに引き継がれ、旧関西六大学野球リーグの最後のシーズンに近大と優勝決定戦を戦うまでになりました。関大にスポーツ推薦が復活したのは1991年のことですから、それ以前の野球部員は苦しい時期を戦っていたのです。前田先輩も長い間ありがとうございました。お疲れ様でした。
襲い夏が終わりました。多くのチームが新チームに移行して秋を戦い始めました。来春の選抜には何の気兼ねもなく観戦できる日々がやって来てほしいですね。
これからも高校野球は見続けたいですね。よろしくお願いします。
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