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四国88ヶ所 自転車遍路の旅⑰

2006-07-29 08:38:08 | 遍路
 四国88ヶ所自転車遍路の旅8-3 通算で17回目です。

 十四時四十分一宮寺を出発。八十四番札所へは十七時までに到着するのはちょっと無理なので、本日はできるだけ屋島に近いところまで行っておこうということにした。 
 一宮寺から交通量の多い県道に出てそこを右折し、高松市を南北に貫く幹線の国道百九十三号線まで行き左折。この国道沿いに、私が民間の会社に勤めていた頃のトップクラスの得意先である問屋の高松営業所がある。その営業所は移転したのだが、まもなく問屋自体が倒産してしまった。移転前の営業所は今でも、社名の書かれた看板がでており、事務所も倉庫も以前のままに残っていたが、敷地には杭が打たれ、鎖で閉鎖され、「管理物件」の看板が立てられ、全く人気もなくアスファルトの割れ目からは雑草が生え茂っている。懐かしさというより、悲哀感や無常感が漂っていて、複雑な心境となった。
  この先の道は国道に沿って栗林公園の前などを通り、高松の市街地へと入っていく。予定では余裕で行くつもりであったが、なにしろ車の排気ガスと炎天下。しかも歩き出して初日であり、さらに実は登山という程のことも無いと思い事前のトレーニングもしていない。私の方はちょっときつめの登山靴ということもあり、足に「まめ」ができだしている。“つれあい”のほうも調子がいまいちの様子である。
 栗林公園の背後に聳える「紫雲山」が見え出した頃、とにかく喫茶店があれば入って休憩しようと決めて歩き続けたが、なかなか見つからない。十五時三十分にやっと見つけた喫茶店に飛び込み、たっぷりと水分を補給し、身体を冷やした。明日以降が思いやられる。十六時十分に喫茶店を出て、再び歩きつづける。栗林公園を過ぎると、国道から離れて商店街へと入っていった。田町商店街を歩き、途中からは一筋東のライオン通りの商店街へと行き、ちょうど薬局があったのでシップ薬(“つれあい”の足に貼る)とバンドエイドを買い込む。やがて、琴電の「片原町」駅から、港方面に出て、いくつかのビジネスホテルがあるのだが、それらを通り過ぎ屋島に一番近い「東宝イン高松」に十七時三十分過ぎにチェックイン。
  部屋に入り靴を脱いで見ると私は両足の小指の全体と親指の付け根に、立派な「まめ」ができている。“つれあい”はというと、
 
  「食べに出るのも億劫。ねえ、コンビニで弁当買ってきて。」
 
 とのこと。痛い足にふたたび靴を履いて、ホテルの向かいにあるローソンまで買出しにでかけることとなった。“つれあい”も小ぶりの「まめ」が何箇所かにできている。「まめ」くらい破って消毒してバンドエイドを貼り付けて、我慢して歩くかとあきらめるが、靴の不調とトレーニング不足には大いに反省。 さっさと入浴、洗濯のあと私は「まめ」を破り、くだんの処置をして、明日の宿泊予定の民宿「ながお路」さんに予約の電話を入れた後、一階のレストランに食事に行く。“つれあい”は部屋でコンビニ弁当。なんともはや…。 本日の歩行距離は、ガイドブッグによると約二十七.五キロメートルであった。

  屋島寺、壇ノ浦から五剣山八栗寺の山寺を越え、東高松を歩く。足の爪が剥れ、  ちょっと「やばい」ことに… 
 
   二〇〇三年八月五日は、五時三十分に起床。さっさと本日の行動準備を整え、昨夜買ったバナナ一本を朝食とし、六時二十分にホテルをチェックアウト。足のほうは少しはましで、とりあえず本日はなんとかなるだろう(と思った)。
 第八十四番札所屋島寺は、高松市の東に位置する標高約三百メートルの溶岩台地である屋島の頂上にある。屋島は朝日を従えて、シルエットになって浮かび上がっている。それを目指して、まだ早朝で余り交通量のない幅の広い海岸道路を歩き出す。この海岸道路はもう少し時間がたつと、大型トラックなどが頻繁に行き交う幹線道路である。
 屋島の向こう、東側の入り江は壇ノ浦で源平の最終盤の合戦の地となったところである。この地で、平家の擁する幼帝安徳天皇が入水して亡くなっている。乳母(だったと思うが)の建礼門院も入水するが助けられ、後に出家し京都大原の寂光院で終生平家の霊を弔っている。那須の与一が扇の的を射抜いたのも壇ノ浦である。
 さて、屋島を目指してしばらく行くと幾筋かの川にかかる橋を渡り、海岸道路から離れ民家のある地元の町の生活道路に入っていく。五分ほど歩いたところで、年配の男性に屋島寺に歩いて登る道を尋ねたら、丁寧に教えてくれた。教えられたとおり二つの溜池の間の道を抜け、小学校の前を通ると急坂となってくる。地元のご婦人やお年よりも屋島の山頂に登るのか、結構多くの人が急坂を歩いている。そのほとんどの人と挨拶を交わし、屋島寺を目指した。途中に杖が置いてあり「使ったあとは返してください」と書いてある。道は整備されており、所々に休憩所も作られベンチが置いてある。
 私たちは、杖を借りて、休憩をとることも無く一気に屋島寺を目指した。 七時五十五分第八十四番札所「屋島寺(やしまじ)」に到着。屋島寺は屋島山頂の境内が広くきれいな寺で、この時間帯には参拝客はおらず、静かな雰囲気であった。本堂、大師堂とお参りを済ませて納経所のほうへ行くと、始発のケーブルカーで登ってきたのか、団体の遍路さんがやってきた。混雑する前に納経帳に記帳を頂こうと納経所に入ると先客がおり、その人が大量に掛け軸やら納経帳を持っている。しばらく待って納経を済ませ、歩き遍路の道を尋ねると、旧遍路道を教えてくれた。
  八時十五分に屋島寺を出発。旧遍路道は昔の仁王門を出て、ケーブルカーの山頂駅から続いている道を辿り、山頂の周遊道路のような道に出て、少し行くと丁石があり、遍路道の札がかかっている。そこから降りていくのだが、まるで崖のような急斜面を直滑降するようなきつい下り坂だ。屋島の頂上を越えて、登ってきた道の反対側の崖を壇ノ浦を目指して駆け下りていくのだが、所々階段状に整備されているところもあるが、足が弱くてはちょっと危険である。ただ、眺望はよく、行く手には壇ノ浦を挟んで、これから向かう五剣山が対岸に聳えている。
 「崖下り」を四~五十分ほどするとだんだんと傾斜もゆるくなり、やがて一般道へと出た。民家の間を通り、壇ノ浦の海沿いに入り江の最奥部まで歩いて行くのだが、さすがに歴史の地で、源平に縁のある跡地、安徳天皇を祀った神社、義経の弓流し跡、洲崎寺等の旧跡がたくさんある。                         

                                             (続く)

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