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四国88ヶ所 自転車遍路の旅⑪

2006-07-12 22:58:58 | 遍路

         雲辺寺への道途中。ベンチがありここで昼食。  

  本日は四国88ヶ所自転車遍路の旅の7-3.通算⑪です。いろんな出会いがあります。  「雲辺寺」は香川県の最初の札所であるが、実際の住所は徳島県池田町ということである。自転車は香川県と徳島県の県境の尾根を延々と行くことになる。九時十五分に「三角寺」を出発して国道百九十二号線を目指し、一旦平地まで一気に降りることになる。せっかく三百メートルほど登ったのだから、そこから「登り足せば」楽なのだが、雲辺寺山は平地を走る国道を挟んだ反対側に聳えているため、一旦全ての「貯金」を使い果たさなければならない。

  弘法大師が病封じのために椿の杖を地面に突き立て、それが椿の木になったという伝承のある「椿堂」を経由して国道に出ようと思ったのだが、「椿堂」にいたる分岐道が分からず、整備された舗装道路を道なりのまま国道百九十二号線の交差点に出てしまった。そこから、右折し徳島県池田町方面へと自転車を漕ぎ出した。国道は徐々に登り坂になっていく。しばらく走ると「椿堂」からの道が右手から合流し、距離的に二~三キロメートルくらいは遠回りした感じである。五月晴れのうえ、気温も結構高く、だらだらとした登り勾配を延々と漕ぎつづけ汗がどんどんと流れてくる。一時間程度自転車を漕ぎつづけたが、登りの傾斜がだんだんときつくなり、いよいよ自転車を降りて押して登る。一般的に、峠とかトンネルとかがあると、その手前四~五百メートルぐらいからだんだんと傾斜がきつくなる場合が多い。十~十三パーセント位かと思う。それで私のパワーでは漕ぎきれず、押して登りということになるのだが、程なく峠やトンネルに到着することが多い。

  しばらく、自転車を押していたら、「七田」という地名のところがあり、「四国の道」の標識が建てられていた。傍らの案内板には「雲辺寺」への道が記され、そこから国道を離れて舗装道路が左のほうへと降りていっている。 この「四国の道」は遍路道ではないのだが「雲辺寺」へのショートカットの道のようで、この道を行こうかという誘惑にかられたが、二万五千分の一地図を見ると、どうも途中からは山道のようだ。トライアル仕様の自転車ならともかく、荷物を積んだツーリング姿の自転車では山道を行くのは不可能だ。最初の予定通りに国道百九十二号線を自転車を押して登りつづけることとした。すぐに愛媛県と徳島県の県境を横切る「境目トンネル」の入口が見え、ほっと一息着いた。「境目トンネル」は道幅が狭く、歩道はあるのだが七~八十センチ程度でやはり狭い。大型トラックが頻繁に行き交い車道を走るのは危険だし、かといって歩道上を走るのも狭い上にガタガタなため困難。仕方なく、かなり窮屈ではあるが歩道上を自転車を押して歩くことにした。それでも大型車が追い越していく時にかなりぎりぎりに迫ってくるので、大変緊張しながら約十分間かけて「境目トンネル」を通過した。

  トンネルを出ると徳島県池田町佐野の集落で、国道は下り坂になる。久しぶりに自転車に乗って下っていくと食料品店があり、そこで香川県道8号線の「曼陀トンネル」への道を尋ねた。「雲辺寺」へは、佐野から県道8号線を辿り、県境の尾根に向かって戻って登って行く感じである。丁度「境目トンネル」と「曼陀トンネル」に挟まれたあたりが愛媛・徳島・香川の三県の県境であり、今度は徳島県と香川県の県境を横切る「曼陀トンネル」目指し、それを超えて香川県側から「雲辺寺」にいたる県境の尾根道に出るのだ。佐野から「曼陀トンネル」までは最初のうちしばらくは漕いで登ったが、後は殆ど自転車を降りて押して登る。二~三十分ほど押して登ると、「曼陀トンネル」入口に着いた。このトンネルは歩道がないが、交通量が少なく、大型トラックは殆ど通らないので、そのまま自転車に乗り込み、快適に通過した。トンネルを越えると少し広場になっており、案内板がある。「雲辺寺」まで九キロメートル以上ある。尾根道に向かって自転車を漕ぎ出したが、最初のうちは山の斜面を縫うようにして九十九折れの道を走るが、傾斜もゆるく、自転車で漕いで登った。山の斜面に沿って徐々に高度を上げ、しばらく走りつづけるとやがて、「七田」からの「四国の道」との合流地点に着いた。この地点は登ってきた道、この先斜面を尾根に登って行く道、「四国の道」と作業用の林道の四叉路になっている。「四国の道」のほうを見ると、結構な山道である。通ってこなくて正解であった。時計を見ると午前十一時五十分。丁度休憩用の丸太のベンチがあり、適度な木陰にもなっているので、ここで昨夜仕入れてきたロールケーキとチーズパンを食べ大休止とすることとした。

  ここからは斜面を尾根に向かって登って行く道となり、傾斜も急になる。再び自転車を降り、押して登る。しばらく登るとやがて尾根道に出て、高圧送電線・鉄塔と並行して走るようになる。尾根道になると比較的傾斜の緩やかなところや、ほんの数箇所だが短い下り坂があり、そんなところでは自転車に乗り距離を稼ぐ。やがて、前方遥かに「雲辺寺山頂」広場と鉄塔とロープウェイの駅が見え出した。

   このあたりからは、自転車は押して登るばかり。天気は快晴で気温はかなり高く汗が滴り落ちて来る。道は一応舗装はしているのだが整備されておらず、路面はいたんででこぼこであり、道幅もかなり狭くなるところもある。この道は到底バスではこれない。自家用車やタクシーでも「難路」となる。したがって、ツアーの団体遍路さんは、ロープウェイを利用して登ってくるのだ。私は、ひたすら自転車を押して登った。尾根道に沿って「四国の道」の標識がたくさん立てられてあり『雲辺寺○.○キロ』と書かれた標識が、大体二~三百メートルごとにある。両側が高原野菜の栽培地域というところまで来るとあと二~二.五キロメートルくらい。自転車を置いて身軽になっていこうかとも思うが、ここまで「苦労をともにした」相棒という感じがして、どうしても山門までは連れて行ってやろうという気が湧いてくる。「四国の道」の道標で、「雲辺寺」がだんだんと近づいてくるのが励みになってくる。

   あと一キロメートルを過ぎたあたりに、「鮎苦谷川」方面から上がってくる道路との交差点に着いた。結構整備された舗装道路で、おそらく自動車遍路さんはこの道路から上がってくるのだろう。そういえば、延々と登ってきた尾根道では、農作業用の軽トラック以外一台の乗用車にも出会わなかった。 やっとのことで、十三時五十分第六十六番札所「雲辺寺」山門に到着。傍らに愛車を止めて記念撮影。八十八ヵ所で一番標高の高い(九百十メートル)寺で比較的境内も広く落ち着いた寺である。ロープウェイで登ってきた一般の参拝者も多い。本堂と大師堂にお参りし納経帳に記帳を頂いた後境内を歩いていると、朝の「三角寺」で出会ったアゴヒゲの若い歩き遍路さんが追いついてきて、再会した。

 

  私「やはりまた会いましたね。早いですね。」

  アゴヒゲ遍路さん「こんな登り道なら、殆ど歩きと時間が変わらないですね。ただ,予定では十五時頃到着でしたので、随分早く着きましたが。」

  私「境目トンネルの手前の七田から入られたのですか。」

  アゴヒゲ遍路さん「いや、境目トンネルを越えて、佐野から遍路道を上がってきました。」

  私「私は曼陀トンネルから尾根道を、相棒の自転車も押して登ってきて、山門まで連れてきてやりました。」

  アゴヒゲ遍路さん「ええ、山門のところで見かけました。」

  私「ところで、学生さんですか?」

  アゴヒゲ遍路さん「いえ、教師をしているのですが、一年契約でして、今年は契約を断って遍路にやってきました。社会の教師をしているのですが、遍路することによって、学ぶところや得るところが多いと思いましてやっています。」

  私「私は、大学職員をしていますが、仕事の都合上区切り打ちを自転車でしています。次は歩いて通し打ちをして、自分を見つめなおしたいと思っています。」

  アゴヒゲ遍路さん「今回の遍路では、ここから先はもう自転車には追いつけませんが、いつの日かまた四国のどこかでお会いできればいいですね。」

 

  このアゴヒゲの若い歩き遍路さんは、お参りする時も声高に読経するわけでもなく、物静かになにやら念じてそしてそっと納め札を納めている。宗教に熱烈に帰依するという感じでもなく、なにやら心に期するところがある感じである。遍路での一期一会はかけがえのないことなのだろうが、旧知のように語りあ得るようになるには、何か重たい雰囲気が邪魔をしてなかなか難しい。 「雲辺寺」の境内にはこじんまりした水堂があり、中に入るとセンサーが働いて水が竜口から出てくる。井戸水とのことで『お大師様の井戸です。飲んでください。』と書いてある。一口飲んでみたが、あまり冷たくはないが、湧水独特のあっさりした甘さがあった。身も心もリフレッシュして、十四時二十五分「雲辺寺」を後にした。                                 (続く)


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