2005年11月27日に亡くなられた岩村昇さんは、日本 キリスト教海外医寮協力会の活動として、1962年にネパールで医寮奉仕を行ないました。
ネパールでの医療活動は過酷でしたが「学ぶことの方が多かった」といいます。1970年代はじめ、病で倒れた老女を若い運搬人が3日間背負って病院へ運んでくれた。お礼をはずもうとする岩村さんを運搬人は「ばかにするな」と怒 った。ではなぜと聞くと
「共に生きるために。生きるとは、弱き者と分かち合うことだ」。
岩村さんはこの言葉を胸に刻み込んだといいます。(朝日新聞「惜別」を参考)
「分かち合うことだ」の言葉は、自分を省みて動揺します。
「生きるとは、弱き者と分かち合うことだ」の言葉は、強者と弱者の格差を広げる新自由主義の路線を疾走する小泉改革とも違います。
分かち合いは共生する心です。共生の反対は敵対です。ある国に敵対意識や対抗意識が強くあると、ある一つの側面に目 を奪われて、相手の全体像を見られなくなると思います。そして脅威なるものを強調して、相手を軍事的に抑止する方向に向かいます。
日本 国憲法前文「政府 の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにすることを決意」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しょうと決意」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等に立たうとする各国の責務である」
これらの理念は、共存・共生の心に貫かれ、世界の人々の未来に対する“道しるべ”となりうるものです。
日本 は軍隊による国際貢献ではなく、国連創設60周年記念式典でアナン事務総長が述べた「救う手立てがありながら、数億の人たちが飢餓や病気、環境悪化にさらされたままだ」という、世界の現実を解消することに貢献することだと思います。
ネパールでの医療活動は過酷でしたが「学ぶことの方が多かった」といいます。1970年代はじめ、病で倒れた老女を若い運搬人が3日間背負って病院へ運んでくれた。お礼をはずもうとする岩村さんを運搬人は「ばかにするな」と怒 った。ではなぜと聞くと
「共に生きるために。生きるとは、弱き者と分かち合うことだ」。
岩村さんはこの言葉を胸に刻み込んだといいます。(朝日新聞「惜別」を参考)
「分かち合うことだ」の言葉は、自分を省みて動揺します。
「生きるとは、弱き者と分かち合うことだ」の言葉は、強者と弱者の格差を広げる新自由主義の路線を疾走する小泉改革とも違います。
分かち合いは共生する心です。共生の反対は敵対です。ある国に敵対意識や対抗意識が強くあると、ある一つの側面に目 を奪われて、相手の全体像を見られなくなると思います。そして脅威なるものを強調して、相手を軍事的に抑止する方向に向かいます。
日本 国憲法前文「政府 の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにすることを決意」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しょうと決意」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等に立たうとする各国の責務である」
これらの理念は、共存・共生の心に貫かれ、世界の人々の未来に対する“道しるべ”となりうるものです。
日本 は軍隊による国際貢献ではなく、国連創設60周年記念式典でアナン事務総長が述べた「救う手立てがありながら、数億の人たちが飢餓や病気、環境悪化にさらされたままだ」という、世界の現実を解消することに貢献することだと思います。