伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

山鉾巡行の中継

2008年07月22日 | 祇園祭
すいません。古い話ですが、
祇園祭・山鉾巡行のテレビ中継を見た。

何年か前から録画するようになったのだ。
今年の中継は、
意識して見た今までの中ではマシな方だった。


暑かったけどその代わり天気が良かったので、
鉾にビニールの覆いがかかってなく、
懸装品が全部よく見えた。
日光に眩しく映えて、それが良かった。


中継のゲストは原田伸郎と吉沢京子、
そして市田ひろみだったが、
のぶりんは笑わせ、吉沢京子は素直に感動していて悪くなかった。

中継位置でのアナは昨年よりマシになってた。
でも時間がないのにクイズを出すアナはうざかった。


カメラがとても良かった。

各山鉾の懸装品を丁寧に前、サイド、後ろ、
そして飾り金具などまで見せていた、ように思う。

菊水鉾を、
扁額のズームから徐々に引いていくカットも見事、
唐破風屋根をゆっくりパンして写していたのも良い。


特に素晴らしかったのは船鉾の巡行を写すカメラで、
二手に分かれて綱で鉾を引く曳き手の真ん中に
手持ちカメラが入ってゆき、
船を画面の中央に据えて、カメラも一緒に歩きながら、
まるで本当に船がしずしずと曳航しているような、
あたかもそんなアングルを作っていた。

KBS京都・カメラ部の仕事に私は思わず涙ぐんだ。



それに比べて、解説がいかん。

だらだらと喋って、
それも映っている画面と全く違うことを喋っていて、
画面と全然シンクロしていない。

喋っているうちに巡行の重要な画面が終わってしまう。
喋っているうちに、ひとつの山を完全スルーしたぞ。
まあ、それでもこれまでよりかはイラつきが少なくて、
本当にマシだったのだが。


こういう生中継の解説はむつかしいものだなと。
喋りすぎると重要な場面が終わってしまう。
喋らないと、
ただ巡行をだらだらと映すだけになってしまう。


もともと、祇園祭の山鉾巡行は、だらだらしたものだ。

原田伸郎が、
岸和田のだんじり祭をやっている人と知り合いで、
その人が山鉾巡行を見て、
だんじりはスピーディでスリリングなのに、
山鉾巡行の辻回しはしんきくさいと言った、
ということを言っていた。
のぶりんはいや、それは違うんだと弁解したということだが。


でも私も、
昔は、祇園祭といえばだらだらと町中を練り歩くだけのお祭、
という認識しかなかった。

曳き手の人がいやそうに重い山鉾を曳いている、
というようなそんな印象しかなかった。
「動く美術館」とも言われているが、
どこが?と思っていたし、
そんな大げさな、言うほどもない、とも思っていた。


ところが、実際に山鉾の懸装品は、
鶏鉾、函谷鉾、鯉山のものが重要文化財に指定されている。

そして見送りとか水引とか呼ばれる山鉾を飾るものは、
人間国宝の人たちの作品が使用されている。

画家でも竹内栖鳳、加山又造、梅原龍三郎(下絵)、
古くは円山応挙、与謝蕪村などが下絵を書き、
尾形光琳や長谷川等伯の絵をもとに刺繍や綴れ織が製作されている。


最近は復元新調がされているが、
それ以外のものは平均で200年くらい前のものを使っている。

あの山の上に乗る、すっとんきょうな人形(ご神体だが)も、
実は全部江戸時代の古いものだ。
中には名のある人が作ったという記録も残っているという。


私は巡行中継を見ていて、
あのへんてこな人形がフロートに乗って登場して来るたびに、
ぎゃはは、と心の中で笑っていたのだが、
例えば黒主山のご神体(大伴黒主像)は、1789年の作だという。
200年以上前のものだ。


古いものだと聞くと恐れ入ってしまう私は、
そういうことをだんだんと知るようになり、
祇園祭に対する考え方を改めるようになった。
笑ってごめんよ。


だらだらとした巡行にしても、
このだらだら加減が実は良いのだ、ということに気がついた。

辻回しを、
鉾が回るところだけを一瞬見ても何も面白くないし、感動もない。

あれは延々と準備をし、まだか、まだかと待ち、
うんと待たされた挙句にいきなり回るからカタルシスがある。
相撲の立ち合いと同じようなものだ。
儀式であり、段取りだ。準備が要るのだ。

つづく か




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