京都新聞に、
山折哲雄と麻生圭子(ケッ)の対談が掲載されていた。
京都の茶の湯を始めとした侘び寂び文化、
そして祇園祭の美にについて語っている。
祇園祭に触れ、
引き算の美学であるわびさびが特徴であるはずの京文化に対して、
祇園祭は過剰に飾り立てていて、ワビサビの対極にあり、
それはわびさびが始まる前の、
室町までの日本の文化のあり方だったと山折氏が分析していた。
私の考えによると、ワビサビの文化そのものが、
あとから出て来たインテリ富裕層のスノッブな文化であり、
もともと日本人は飾り立てることが基本だった、
と思うのだ。
今日、お寺へおまいりに行くと、
須弥壇というのか祭壇に、天蓋やら、幕やら、
何やらが金色や赤でごてごてと飾りつけてある。
本尊の仏さまは修復することなく、
古いまま色褪せてボロボロ状態で拝んでいても、
その周囲をこれでもかときらびやかに飾ってある。
これが日本の基本だと、私はある時思ったのだ。
本尊や本堂の建築は、
文化財になっているものはいじることが出来ない。
だから、ボロボロのままで置いておく。
だけど、本当はきれいに飾りたい。飾り立てたい。
せっかくの宝物なのだから、きれいにしたい。
だからせめて周囲だけでも、ここに尊い仏様、
神様がおられるのだから、ということで飾る。
神や仏は飾り立てる。
これが当たり前のことなのだ。
だから神社へ行っても毒々しく飾ってあるではないか。
祇園祭も八坂の神様へのお祭であるから、
ごてごてと飾るのは当たり前だ。
およそ祭は日本全国、派手でごてごてとしていて当然だ。
それに対して、ワビサビは千利休以後に出来た。
(かどうか知らないが、そういうことにしておこう)
文化が進んだ究極で、
当時の富裕インテリが編み出したわざとらしい美意識だと思う。
何もないことに美を感じ、
引き算することや、歪んだもの、
欠けたものにかえって美を感じる。
そういうきわめて意識的にというか、
頭で考えた末の、技巧的な美のあり方を
、当時のインテリスノッブが作り上げた。
スノッブ連中の酔狂のひとつではないかと思う。
禅の文化はそれに対してまったく違う。
同じ何もない文化でありながら、禅は基本が宗教である。
白隠や仙涯の作品は、
もともと何もない所から生まれていると思う。
実際に貧乏で、お金もなかったのではないか。
清貧の中から、何もなくてもそこに美を見出し、
意味を見つける、そこに教訓を導き出す。
その慎ましいありのままの文化が禅文化である。
ワビサビは、飽食、贅沢三昧、
あらゆる美に飽きた放埓の果てに、
引き算することがいいのだと気がついたスノッブの美意識である。
ワビサビ文化は本来、普通の、中流の人間には関係のない、
限られた人の文化ではなかっただろうか。
こうして私は、山折氏に異議を申し立てたい。ははは。恐れ多い。
註・
仙涯のがいの字が違いますがこのブログでは変換しないので、
涯の字を使っています
-----------------
COMMENT:
AUTHOR: ひでかず
URL: http://www33.ocn.ne.jp/~hidekazu
伊佐子さまの辛口のコメントをいつもおもしろく拝見しています.
さて,8月 2日から 9月15日に京都府京都文化博物館で
《KAZARI 日本美の情熱》展が開催されるそうです.
わたくしは6月に東京のサントリー美術館で見ましたが,
多方面にわたって,
いろいろなカザリをゴチャゴチャと展示しているのを,
堪能しました.これはオススメです.
ぜひご覧になって,
その感想をこちらのブログに記していただけたら,
とおもいます.
COMMENT:
AUTHOR: 伊佐子
ひでかずさん、お久しぶりです!
見ていただいているそうで、とても光栄です、
嬉しいです。
実は私も、そちらへしょっちゅう伺っています。
掲示板に書き込みしてませんが、
時々「大人の意見」欠乏症に陥って(笑)、
ひでかずさんのサイトを求めてしまうのです。
「KAZARI」展は、ぜひ行こうと思っている展覧会なんです。
辻惟雄のプロデュースですね。
チラシを貰って来て、「奇想の図譜」を読んで、行く気満々です。
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京都の茶の湯を始めとした侘び寂び文化、
そして祇園祭の美にについて語っている。
祇園祭に触れ、
引き算の美学であるわびさびが特徴であるはずの京文化に対して、
祇園祭は過剰に飾り立てていて、ワビサビの対極にあり、
それはわびさびが始まる前の、
室町までの日本の文化のあり方だったと山折氏が分析していた。
私の考えによると、ワビサビの文化そのものが、
あとから出て来たインテリ富裕層のスノッブな文化であり、
もともと日本人は飾り立てることが基本だった、
と思うのだ。
今日、お寺へおまいりに行くと、
須弥壇というのか祭壇に、天蓋やら、幕やら、
何やらが金色や赤でごてごてと飾りつけてある。
本尊の仏さまは修復することなく、
古いまま色褪せてボロボロ状態で拝んでいても、
その周囲をこれでもかときらびやかに飾ってある。
これが日本の基本だと、私はある時思ったのだ。
本尊や本堂の建築は、
文化財になっているものはいじることが出来ない。
だから、ボロボロのままで置いておく。
だけど、本当はきれいに飾りたい。飾り立てたい。
せっかくの宝物なのだから、きれいにしたい。
だからせめて周囲だけでも、ここに尊い仏様、
神様がおられるのだから、ということで飾る。
神や仏は飾り立てる。
これが当たり前のことなのだ。
だから神社へ行っても毒々しく飾ってあるではないか。
祇園祭も八坂の神様へのお祭であるから、
ごてごてと飾るのは当たり前だ。
およそ祭は日本全国、派手でごてごてとしていて当然だ。
それに対して、ワビサビは千利休以後に出来た。
(かどうか知らないが、そういうことにしておこう)
文化が進んだ究極で、
当時の富裕インテリが編み出したわざとらしい美意識だと思う。
何もないことに美を感じ、
引き算することや、歪んだもの、
欠けたものにかえって美を感じる。
そういうきわめて意識的にというか、
頭で考えた末の、技巧的な美のあり方を
、当時のインテリスノッブが作り上げた。
スノッブ連中の酔狂のひとつではないかと思う。
禅の文化はそれに対してまったく違う。
同じ何もない文化でありながら、禅は基本が宗教である。
白隠や仙涯の作品は、
もともと何もない所から生まれていると思う。
実際に貧乏で、お金もなかったのではないか。
清貧の中から、何もなくてもそこに美を見出し、
意味を見つける、そこに教訓を導き出す。
その慎ましいありのままの文化が禅文化である。
ワビサビは、飽食、贅沢三昧、
あらゆる美に飽きた放埓の果てに、
引き算することがいいのだと気がついたスノッブの美意識である。
ワビサビ文化は本来、普通の、中流の人間には関係のない、
限られた人の文化ではなかっただろうか。
こうして私は、山折氏に異議を申し立てたい。ははは。恐れ多い。
註・
仙涯のがいの字が違いますがこのブログでは変換しないので、
涯の字を使っています
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伊佐子さまの辛口のコメントをいつもおもしろく拝見しています.
さて,8月 2日から 9月15日に京都府京都文化博物館で
《KAZARI 日本美の情熱》展が開催されるそうです.
わたくしは6月に東京のサントリー美術館で見ましたが,
多方面にわたって,
いろいろなカザリをゴチャゴチャと展示しているのを,
堪能しました.これはオススメです.
ぜひご覧になって,
その感想をこちらのブログに記していただけたら,
とおもいます.
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AUTHOR: 伊佐子
ひでかずさん、お久しぶりです!
見ていただいているそうで、とても光栄です、
嬉しいです。
実は私も、そちらへしょっちゅう伺っています。
掲示板に書き込みしてませんが、
時々「大人の意見」欠乏症に陥って(笑)、
ひでかずさんのサイトを求めてしまうのです。
「KAZARI」展は、ぜひ行こうと思っている展覧会なんです。
辻惟雄のプロデュースですね。
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