伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

宮崎勤の死刑判決

2006年01月17日 | 一般のニュース
ハンドクリームはアトリックスを使っていたが、
安さに負け100円ショップのアロエ入りハンドクリームを買ってみた。
使い心地は悪くない。べたつきもないし、
指先・足のかかとなどがこれでつるつるになるから
いい買い物だと思った。
洗顔クリームも百均で売っているが、
これはさすがにまだ買ったことがない。
ちょっとためらうというか、大丈夫かなと思うんよね。
だってお肌のことだから。
でも、今度買ってみようか。


1月17日はニュース的に忙しい日だった。
ヒューザーの小嶋社長の証人喚問、
から話題をそらせるかのようなライブドアのブタエモン…
いや堀江氏への強制捜査、宮崎勉の死刑判決。
また今日は、阪神大震災が起こった日でもあった。

この中で私が特に思うところのあるのが宮崎勉の死刑判決だ。
日本初のオタクの犯罪(?)として有名になったこの事件。
裁判では刑事責任能力の有無が長年争われたそうだ。
つまり、精神鑑定を行って、
宮崎が(犯行時に)正常か異常かを判断するのに時間がかかったと言うことか。


私が思うのは殺人を犯す人間なんていう者は、
その殺人時には当然少しハイになっていて(マーダーズハイってのか)、
普通時に比べ、ちょっと異常になるのは当たり前のことだと思うのだ。
だから、精神鑑定なんてどう考えても無駄のような気がする。

普通、殺人者というものは、
生まれつき殺人者として生まれるのではなく、
普通の人がある時人を殺して、はじめて殺人者になるのだろう。
もともと殺人が好きで、週に1回人をコロさないと我慢出来ない、
というような殺人淫楽者ならともかく、
殺人者というのはもともと普通の人であって、
何らかの理由で殺人を犯すのであって、
殺人を犯した時に普通の人とは違った異常な状態になるのだ。
殺人という行為自体が異常なものであるわけで、
殺人を行なった時に異常だったから罪に問われないというなら、
殺人を犯した者は誰でも無罪になってしまう。

宮崎の場合、確かに殺人淫楽者という側面があったのだろう。
彼は幼女を殺して犯すことに快楽を見出す。
しかしだからと言って、
普通の殺人者でなくて淫楽症という病気だから、
普通の殺人者として扱わずに野放しにして良いということでもないと思うのだが…。

オウムの麻原しょうこう松本にしても、
殺人を指示したその時には
失禁したり異常発言をしたりしていたわけではないだろう
(それだったら信者が離れる)。
弁護士一家の殺害指示にしても、サリン撒きにしても、
精神異常だったからそんなことを指示したとは、思えない。
たとえ今オシッコをもらしていようが、
殺人をした時点で異常でなかったら断罪されるべきなのだ。
…と言う私は異常なのでしょうか。

宮崎に関しては、責任能力があるとかないとか、
そんなのは弁護士の戦法であって、とても気分が悪い。
責任を逃れようとしているのだ。
それ以前に自分のしたことともっと向き合うべき
(心理学者なり何なりが向き合わせるべき)なのではないだろうかと、
モラリスティックな発言をしてみる。

「淫楽症という病気」の中に沈んでしまって、
自分というものに客観的な視点を持てない。
これは、オタクの特徴でもある。
「ロリコン」という言葉が一般的になり、
それがあたかも社会で認められてしまっているかのように勘違いする連中。
これからはペドフィリアという言葉を使えば
多少はそれが病気だという認識が出来るかもしれない…
(この言葉が正確なのかちょっと自信がないけど…)

ええー、宮崎勤の勤の字が間違っていた。
勉と書いていた。ひいい。面倒くさいので直さずそのまま…






美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



COMMENT:
AUTHOR: 千住 東
DATE: 01/20/2006 00:04:16
伊佐子さん、こんばんは。

宮崎被告の事はずっと忘れていましたが、やっと決着が着いたんですね。
彼がこの世から消えても殺された人たちが帰って来るわけじゃないけど、
被害者の家族はこれで一応気持ちにケリが着いたんじゃないでしょうか。

オウムの方はまだまだ掛かりそうですね。
仮に麻原こと松本被告を死罪にしても、
オウム教の組織が根絶やしになるのは難しいでしょう。

都内在住で毎日地下鉄を利用している私は、
サリンのおかげでダイヤが大乱れになり、
パニくりそうになりながら、
鈍い頭をフル回転させて何とか仕事場にたどり着いたのを思い出します。
その頃は六本木界隈で仕事をしていたのですが、
その日の夜の六本木や神谷町の駅は見事に閉鎖して
お巡りさんがしっかりと見張っていました。
不謹慎だけど、こんな光景は今後そうそうお目にかかれないなぁと思ってしまいました。

自分も含め、果たしてこの世の中の大人たちの何割が、
『なぜ、人は人を殺めてはいけないのか』という根源的な問いに
きちんと分かりやすく説明出来るのでしょうか?