静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

二大政党制の夢

2012-06-25 21:03:55 | 日記

 エルヴィン・シャルガフ(『重大な疑問』の著者)は、1905年生まれのオース
トリア系ユダヤ人、1934年にナチスの手をのがれるためにアメリカに移住し、永
らくコロンビア大学で教鞭をとった。その彼がかつてこう言った。
 「代議制民主主義というのは、私がアメリカで長い一生の間観察してきたように、
代議的でも民主的でもない。それはおそらく今までも一度もそうではなかったのであ
ろう。ド・トクヴィルが150年も前にその悪の多くを認めていたからである」(山
形他訳)。
 人は或はこう言うかもしれない「シャルガフは自然科学者であって、政治学ではア
マチュアに過ぎない」と。だが前回紹介したように彼は専門家というものを信用して
いない、健全なアマチュアこそ必要なのだと言っている。
 彼はこうも言っている。本当のことを言えば、私はこれまで民主主義の中で生活し
たことがあるとは思わない。民主主義という語を調べてみたら、きわめて厄介で捉え
どころのない語で、捉えたと思ったら「うなぎ」のような機敏さですり抜けてしまう
と。どうも彼は物事を「うなぎ」にたとえるのが好きらしい。「うなぎ」自体が好き
なのかも知れない。するりと抜ける点では「どじょう」もよく似ている。だけどやっ
ぱり、どじょう鍋よりはうなぎのかば焼きの方がましかもしれないな・・・。
 
 ところで彼は、選挙民の心をマスメディアの広告によって動かす技術は、非常に金
がかかり複雑なので、選出されることの専門家である「政治家」という階級が発生し
てしまった、どう得票するかということは統治能力とは無関係の特殊能力であるとい
う。日本ではそういうのは恐らく「政治屋」というのだろう。日本では軽々しく「階
級」などと言わない。「身分」だろう。新憲法のもとでも、何代にもわたる世襲政治
家の家系が誕生してきた。
 シャルガフは、アメリカ大統領の過大な権力や、完全に非代議的二大政党制のなか
で、アメリカ市民たちは”圧力団体の民主主義”の中に生きることを余儀なくされて
いるといっているのだが・・・。 

 日本の学校では、普通極めて常識的なことを学ぶ。選挙制度でいえば、小選挙区 
制、中選挙区制、大選挙区制、比例代表制などの各制度の長短を教えてくれる。そし
て、小選挙区制なら二大政党になり易く、比例代表制なら小党分裂になりやすいなど
と。二大政党制になると似たような、つまり主義主張が同じような政党が交代に政権
を握ることが多く、第三政党が議席を得ることが難しい。だからアメリカ合衆国では
労働者の政党、社会主義政党は現実において存在しないと同様であり、ヨーロッパ大
陸諸国と大きく違うということなど。わが国の公立学校などでは民主主義国であるた
めには小選挙区制であるべきだなどとは、まあ、決して教えないだろう。
 ところが大手新聞はずっと前から、いつからか覚えていないほど昔から、小選挙区
制と二大政党制を賛美しそれを要望する社説を載せ続けてきた。新聞社というのは自
己の主義主張を貫くところだから、学校教育のような学問的見地で社説を書くことは
とはないのだろう。ここで学校教育というのは高校以下の公立学校のことである。大
学のことは知らない。多分違うのだろう。例えば少し前になるが、ある大学の某教授
(慶応義塾大学教授、東アジア国際関係論)が、今年はじめの台湾の総選挙を見てき
てその感想を書いていた。「立法院(議会)選挙では政治に対する人々の熱情と二大
政党制の確立に羨ましさを感じた」(「朝日」12・1・28)とあった。二大政党
制は余程優れたものなのだろう、この教授にとっては。
 たまたま先日(6月20日)の新聞(朝日・オピニオン)に吉田貴文という記者の
東大名誉教授坂野潤治氏(日本近代政治史)へのインタービュー記事が載った。吉田
氏の問題提起は、民主・自由両党の事実上の大連立を眼にして「二大政党が互いに政
策を磨いて政権の座を争う。英国流の議会政治を見本に目指した二大政党制の『理 
想』は幻だったのか、それとも当然の帰結なのか」ということであった。学校教育の
ことはいざ知らず、新聞記者という職業につくと二大政党制を賛美するようになるの
だろうか。とくに権威のある記者は、私の見たところやっぱり圧倒的に二大政党賛美
者が多いということを確信するような問題提起であった。
 教授の坂野氏は「日本に二大政党政治は合わない」と答えている。しかし二大政党
政治の欠点を述べているわけではない。推測すれば、二大政党政治は良い制度だが日
本の国、あるいは国民が悪いのだと言っているようにも聞こえる。

 私には、大学の先生や大新聞の論説委員や大政党の幹部政治家などに小選挙区制・
二大政賛美者が極めて多いように思える。これを「原子力ムラ」になぞらえて「二大
政党ムラ」というのはどうだろう。新聞社が二大政党論の学者だけを選んで記事を寄
せてもらったりインタービューをしたりしているのだろうか。ならば「ムラ」ができ
るのも当然か。学校では、3・11までは原発の恐ろしさを教えることは難しかった
が、二大政党政治や小選挙区制の欠点は教えることができた。二大政党待望論を主張
しつづけてきた大新聞の社説は、早く民主党は自民党と妥協して消費税増税法案を通
せ通せ「加油・加油!」と叫んでいるように見えてしようがないが、二大政党制への
道ならしをしているのだろうか。
 
 シャルガフは、二大政党は肥大した大学の男子学生社交クラブ(フラターニテイ)
のように見えるという。辞書を引いてみた。fraternity とは<1 兄弟関係、2 兄
弟間の情愛、友愛、3 <米>相互の友情と福利を増進しようとする男子大学生の友
愛会>とあったが、シャルガフのいうのは 3 の「男子大学生の友愛会」のことだろ
う。「肥大化した」という意味がいまいち分らないが、とにかくあまり良い外見では
なさそうだ。
 ここで私は、かつて呉智英氏が言った言葉を思いだした。呉氏は、フランス革命の
三つ目の理念「博愛」の語源はフラテルニテ(兄弟のように仲良くする)で、日本語
では他人なのに仲良くすることを義兄弟と呼ぶが、売春や麻薬に手を染める犯罪集団
の閉鎖的で独善的な組織原則「義兄弟」こそ、まさしく民主主義の三理念の一つであ
る、と述べた(ブログ「友愛について」<1909・9・17>参照)。
 このフラテルニテがラテン語の frater(兄弟、従兄弟、義兄弟など)から来てい
ることは明らかであるが、英語になって fratanity。これがもし呉氏のいうように「
売春や麻薬に手を染める犯罪集団の閉鎖的で独善的な組織原則『義兄弟』」を意味す
るならば、合衆国の民主党と共和党はまさにそのような「義兄弟」としての関係にあ
るということになる。呉氏もなかなか穿ったことを言う。シャルガフ氏がこれを聞い
たら「言い得て妙」と喜ぶかもしれない。呉氏的表現を用いるならば、民主党と自民
党はまさに「義兄弟」的なフラテルニテ=フラターニティであり、シャルガフのいう
「肥大した大学の男子学生社交クラブ」ということになるのではないか。
 シャルガフは、アメリカはマニ教的二元論の国だという。マニ教というのは、3世
紀にペルシャ人マニが創設した宗教で、ゾロアスター教の二元論と禁欲主義に基礎に
置いている。いつもそうだったかは分らないが、多分カルヴァン主義の遺産が関係し
ているのだろうと彼は言っている。このあたりの彼の主張については、すでに以前ブ
ログ「神の国アメリカ」で検討した。アメリカは常に外部に「悪の帝国」をつくって
戦争をしかける。国内的には反対政党の選挙戦で莫大な、日本人から見れば天文学的
な資金を用いてお祭り騒ぎのような選挙行事を行う。それが国内的には「肥大した大
学の男子学生社交クラブ」の対抗試合いだったとしたら? わが国でもそのような二
代政党政治に近づけば近付くほど「夢」が叶い「理想」が実現するのだろうか。

 冒頭に紹介したように、そもそもシャルガフは代議制民主主義に対して疑問を投げ
かけて、それは代議的でも民主的でもないと否定的見解を述べていた。もっとも、代
議制民主主義に否定的考えはルソー以来多くを見てきたのだから何ら珍奇な思想では
ないが。古代アテナイの有権者は2万人程度、今日では数千万人、一か所に会して討
論をするなどということは不可能である。いくらネットが普及しているからといって
、討論にはならないし投票の秘密が守られる保証は何もない。
 シャルガフは「民衆の政治的見解の表現を可能にする代議制組織の一例」として、
彼の考案した形態を載せている。真面目なのか不まじめなのか、皮肉なのか本心なの
かもはっきりしないが、政治にはアマチュアの彼のこと、聞いてみる価値はあるかも
知れない。
 いくつか面白そうなところを、私が多少アレンジして紹介しよう。
 1、政党数は5つ。最も保守的な紫から、青、緑、黄を経て、最も急進的な赤まで
の色によって政党に命名する。
 2、各政党はあらゆる情報伝達メディアを自由かつ平等な使用権を持つ。
 3、全候補者を男女一人づつ2人1組で指名する。候補者の(くじで選ばれた)一
方は補欠として活躍する。
 4、選挙の全費用は限定され、それは国が負担する。
 5、議員の任期は4年、2年ごとに半数を改選する。続いての再立候補はできない
が前任期の満了後4年経過したら再立候補可能。
 6、全代議士に対しては、選挙民によるリコールができる。
 7、内閣は議席数3位までの政党で編成する。閣僚は同等の権限を持つ。閣議の運
営は互選で選ばれた任期2年の一人の大臣によって運営される。
 9、内閣はその構成員の中から任期1年の大統領を選出する。その権限は儀礼典礼
上のものに限られる。

 アメリカの政治組織が念頭にあるからこうなっているが、シャルガフが日本人なら
「内閣はその構成員の中から任期1年の天皇を選出する」とするかも知れない。私も
以前友人に「天皇も選挙で選んだらどうだろう」と言ったら笑われてしまった。どう
いう意味の笑いであるかは追求しなかったが。
 とにかく、今の総理大臣は「決められない」「決断力がない」とマスコミは大手柄
で言い立てるし、国民も同調する向きが多い。民主主義の原則は少数意見の尊重と多
数決だ。意見が分れて決まらないなら採決すればいい。何でも首相一人に決断させよ
うとするからそうなる。いや、自分が独断で決定するのが民主主義だと思っているの
だ。アメリカの大統領もそう思っているらしい。そういう傾向が高じてくればヒトラ
ーやスターリンを嗤えない。日本国民は、日本列島を破滅に陥れるかも知れない決定
を総理大臣一人に委ねてしまった。
 上述のシャルガフ流の提案では、閣僚は同等で互選で選ばれた大臣が期限づきで運
営する。運営の仕方はいろいろあるだろう。閣議で紛糾すれば、議長役が採決をとり
決定すればいいことだ。民主主義は議会の積み重ねだ。下部の組織から上部の組織ま
で民主的に議論され、最後は多数決によって決する・・・小学校の生徒でも知ってい
る。なのに、現実の政治家たちは、国民生活よりも自分たちの利益や選挙しか頭にな
いから、左右を見ながらいわゆる政局で動いている。政策は飾り文句に過ぎず、その
飾り文句さえ自分たちで無視する。今や、よろよろと崩壊の道を辿っているように見
えてくる。


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