静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

手づかみの味

2010-06-30 13:06:58 | 日記
 ①ソクラテスの瞑想

 プラトンの『饗宴』はとても有名な本なので、それに触れるのは気がひけるが、まあちょっと。
 ソクラテスとアリストデモスは連れ立ってアガトオンの家での宴会に出かける。が、隣家の前まで来るとソクラテスは突然立ち止まってしまい、アリストデモスに先に行くようにいう。ソクラテスがなかなか来ないのでアガトオンが奴僕を迎えにやらせるが、いくら呼んでもいらっしゃらないという。するとアリストデモスがいう。ソクラテスには時々このようにどこででも立ち止まる癖がある、邪魔をしないほうがいいと。

 
 実際、ソクラテスにはしばしばそういうことがあったらしい。その理由にはいろいろ言われている。私はこう思う。ソクラテスは天才だ。天才は宇宙からインスピレーションをうける、別の表現をすれば天から啓示を受ける。それを受けるために立ち止まる・・・。まことにお粗末な私見である。
 実は私も若い頃、突然頭の中で音楽が鳴り出したことがある。ほんの二三回だけ、それっきりである。モーツアルトは天才である。しょっちゅう天の啓示を受けていたのだろうな・・・。

 ギリシアの宴会は変わっている。食事が終わってから酒になる。ローマでもそうだったらしい。ソクラテスは宴会の食事の半ばごろになってやっとやってきた。アガトオンは食卓の端、というより臥台の端のほうに一人離れて横たわっていたが、ソクラテスに、どうぞ私の傍に座ってください、あなたの身に触れて、あなたが隣家の前庭での瞑想で得た結果のわけまえに預かりたい、という。

 言われるとおりソクラテスはアガトオン(著名な悲劇作家)の隣に横たわるが、「互いに体が触れることによって、知恵を充満したものから空虚なものに移すことができるようだったら、君の傍に座る特権を尊重しないではいられない。私の知恵は下等な、あやふやな、夢のようなものだ、だが君の知恵は華々しい」(生田春月訳参照)などと、いやみとも聞こえることを言う。だけど、いや待て、実際肌を通じて知恵が伝道することもあるかもしれないではないか!なんでも簡単に否定してはいけない。

 横たわって食べるのだからナイフやフォークを使うはずもない。手づかみである。あらかじめそのように調理されているか、食卓の傍で召使(奴隷)が食べやすいようにさばいてくれる。指を洗うための水、ナフキンなども用意されている。

 ②ナイフとフォーク

 ナイフとフォークがいつごろヨーロッパに普及したかは知らない。一説によると、フォークは11世紀のベネツィアの支配者の妻が初めて使ったとか。料理研究家の辻静雄氏は、フォークを使い出したのはコンスタンチノーブルあたりからだろうという(辻静雄『料理に「究極」なし』)。だがヨハン・ベックマンは「今でもトルコ人は誰もが指を使っている」(『西洋事物起源』)という。18世紀の話である。
 ベックマンはこうもいっている。「現在フォークは、文明国では食事のときになくてはならぬものであり、フォークを使わずに食べるということは嫌悪感を抱かせる」。 
 
 民俗学者の梅棹忠夫氏は、フィレンツェのカトリーヌ・ド・メディシスがパリのアンリ二世(後の)に嫁ぐとき(1533年)、一式のナイフとフォークを持参したと述べている。また梅棹氏は辻氏との対談で、カトリーヌ・ド・メディシス輿入れのときのフォーク持参に関して、「フランス人はそれまで手づかみで食べていた・・・フランス人というのはその頃はまだ無知蒙昧で・・・」と話している(辻、上掲書)。

 本多勝一氏は違ったことを言う。「この熊手みたいなものは、ハシ(箸)の文化が古い国では必要のない道具だった。ヨーロッパのように、ごく最近まで手づかみで食っていた地方で、ついこの100年か200年前になって拡がったものにすぎない。16世紀に来日したポルトガル人・ルイス=フロイスは『われわれはすべてのものを手を使って食べる。日本人は男も女も、子供のときから二本の棒を使って食べる』と書いている」(本多勝一『実践・日本語の作文技術』)。

 本多勝一氏以外は、ナイフとフォークは文明の証であり、手づかみは野蛮の証拠だというのだろうか。インド人は今でもカレーライスを指でつまんでたべる。野蛮! 東アジア、ベトナム・中国・韓国・朝鮮・日本などでは箸を使う。これも文明以下。ソクラテス、プラトン、アガトオン・・・手づかみでたべるだけでなく、寝転んで食べている!みんな野蛮! キケロもタキトゥスもマルクス・アウレリウスもみんな未開人!

 江上トミさんという人の話。
 「私は料理を学ぶために、各地に出かけたのですから、指で食べることまで教えを受けました。たびたびこれをくり返しているうちに、指先が唇にふれて味わう感覚のよさをつくづくと知りました。これらの国の人びと(筆者注:インド・東南アジアの)が昔ながらの風習を、いまだに捨てきれない意味がよくわかりました。それとともに、金属製のもので食べる味のまずさ、その冷たい感触が、料理の味をもの寂しくすることに気づきました。こうして物を味わう点から見ると、指先が第一・・・これは口で感じる最初の一瞬にかかる、味の局地といえるでしょう」(江上トミ『世界の料理』)。

 私は学生時代友人に誘われて初めて握りずしを食べにいった。そのとき習った食べ方。三本の指でつまみ、ひっくり返してネタに少量の醤油をつけて食べる・・・。このごろは進化して、回転寿司屋さんにいくとみんな箸で食べている・・・まだ文明の域に達していない。ナイフと熊手みたいなものを使って食べなさい!

③お好きなように

 バートランド・ラッセルは古代ギリシアの悪口を言っているが、本当は敬愛の念を抱いていたし、西洋文明を鋭く批判しながらもそれに誇りをもっていたに違いない。
 古代ギリシアやローマ人が素手で食べようが、ヨーロッパ人が熊手様のもので食べようがそれはその民族・国民の勝手だ。そこに優劣・野蛮文明の証を見ようとする態度にこそ文明の明を欠くものだというべきだ。
 その国の国民が王政をとろうが立憲君主制をとろうが、共和制をとろうが、民主主義をとろうが、それはその国民の勝手だ、他人に迷惑をかけなければそれでいいじゃないか、どうぞお好きなように!そうしたければ相互批判は活発に行うがいい。

 「ドミノ理論」によって、共産主義になるかもと口実をつけて、他国を侵略した国があった。共産主義国家などこの地球上に一度も成立したことはないと私は思うのだが。
 今度は別の理由でベトナム戦争よりも長い戦争を仕掛けている。現地司令官が更迭されるなど大変だ。都合よく「北朝鮮の軍艦攻撃」や「ロシアのスパイ事件」などが起きてくれる。

 フランスの思想家レジス・ドゥブレはこのようなことをいった。「共和国(フランス)の学校は知性豊かな失業者を生み出す」「デモクラシー(アメリカ、日本も含む)の学校は競争力のある馬鹿者を育成している」と。悲しいね。

 ついでに言うと、「共産」の語が日本生まれなのに対し、「共和」は中国産である。『史記』によると紀元前841年、西周で、幼い太子に代わって周公と召公が共和して政治を行い、共和と号したことによるという。フランスの「共和」は「レス・プブリカ」からきていることは言うまでもない。古代ローマで「公のこと」、つまりローマの共同社会のことである。ローマ市民権を持つ人たちによって構成されるというのが建前であった。
  (支離滅裂なことを書いてしまった<いつものことだが>この辺で終わりにしよう)