静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

百科全書(4)

2010-06-02 14:38:49 | 日記
 
 ⑦ ディドロと百科全書

 この『百科全書』は一七五一年に発行が開始されるや直ちに人びとに迎え入れられ、完成を見ないうちから成功は確実となった。政府当局やイエズス会の弾圧や妨害にもかかわらず発行は続けられ、一七七二年には本卷一七巻、図版一一巻が完成し、続いて補巻の四巻と図版1巻、索引二巻が一七七六年から八〇年にかけて発行された。ダランベールがひとつの「百科全書」を完成させるのは幾世紀にもわたる事業であると述べたにもかかわらず。

 科学史家ギリスピーはこの壮挙を「ディドロの『百科全書』は啓蒙思想の最も大胆な事業であって、<百科全書派>と<哲学者>とはほとんど同義語のようなものになっている。この書物はそれ自体が産業の博物誌であった」と評価した。(ギリスピー『科学思想の歴史』島尾訳)。
 ギリスピーのいうように、哲学書とでも言うべき内容がこめられており、われわれはこの書を読むことによって当時の思想の一般的傾向を読みとることができる。とくにダランベールの「百科全書序論」やディドロの「哲学」「技術」の項目などは優れた問題提起をしている。

そのなかにあって、百科全書運動の最大の中心人物がディドロであったことは一般に承認されているところである。ディドロは、少年のころからギリシア・ローマの古典の素養を身につけ、後にはホメロス、ウェルギリウス、セネカ、ルクレティウス、プリニウスに関する注釈を著したという。そのような素養が彼の思想を培ってきたのだし、この運動に大きく貢献した。

 ディドロはいう、従来の辞典類は「その形式そのものからいって、ただ所々参照されるにのみ適していて、筋道の立った読み方を拒むものである」(「趣意書」)と。彼は従来にはなかった新しい百科全書への抱負があった。彼は、従来の百科全書への個別的批判はしていないが、当時もっとも名声の高かったエフライム・チェンバースの『百科全書』(ロンドンで発行されて版を重ね、イタリア語訳も出ていた)だけには言及している。その内容に触れる必要はないが、一つだけ、チェンバースの「学問と技術の系統図」には別の樹を置き換えなければならないと批判していることだけは指摘しておきたい。

 
 ⑧ ディドロたちの自己評価

 前に述べたことだが、科学や学問は人間生活の向上に貢献するものでなければならないというのがディドロの一貫した思想であり、百科全書運動を支える精神であった。また「事実というものは、たとえどんな性質を帯びていようと、哲学者にとっては真の富である」(「『哲学断想』)というのもディドロの信念であった。

 『百科全書』の出版は先述のように成功はしたが、ディドロたちの自己評価には厳しいものがある。ディドロはいう。
 「執筆者の選択に関して細心の注意をはらう時間的余裕はなかった。若干の秀でた人に混じって、才能のない人、凡庸な人、まったく出来の悪い人がいた。こうした理由から、大家の手になる作品が小学生のような未熟な文章と並び、崇高な事柄ととなり合って愚劣なことが見出され、力強さと、純粋さと熱意と分別と理知と典雅さをこめて書かれたページが、みすぼらしく、けち臭く、平板で、くだらないページの裏に書かれているといった、あの玉石混交が生じたのだ」。
 また好意的な批評家たちさえも「怪物」と評し、ヴォルテールは「がらくたの山」と文句を言ったという(プルースト『百科全書』平岡訳)。ダランベールが幾世紀にもわたる事業と言っていたにもかかわらず、ディドロは、時間的余裕がなかったと告白しているのである。

 そして、たしかに、『百科全書』に盛られた学問の原理や技術の蓄積は、その後の二世紀の間に時代遅れのものになり、当時の真理も真理ではなくなったものも多い。この間の科学・技術の発達を測るための基準にはなるけれども。だがしかし、古代からの知識の蓄積も、しばしば、誤謬と軽信の巨大な蓄積に過ぎない、などといわれてきた。
 ディドロ自身は先に述べたように、率直にいろいろな誤りを犯しただろうことを認めている。

 フランスのディドロ研究家ジャック・プルーストは次のように言う。
 「今日私たちは、『百科全書』を、それが創出した<真理>の総和でなく、むしろ、そのいつも変わらぬ根強い謬見に照らして」評価すべきであり、また同時に、当時の情勢の中で、「あえて、誤謬と対決し、承知の上で、冷静に誤謬に陥る危険を引き受け」たことを評価すべきであると。
 さらに、「誤謬への権利は、自由への第一の要求事項である。それはまた『百科全書』の編者たちがもっとも粘り強く要求していた」権利であり「彼らが時として”真理”をかすめえたのも、もっと率直に言って、彼らが若干の真理を述べえたのも、彼らの第一の関心が真理ではなく、真理の探究にあったからである」、つまり、「百科全書的思潮は、うぬぼれた人士がそう思ったように、人間知識の総和ではなく、一つの精神的傾向、精神の習慣なのである」と。(プルースト『百科全書』平岡・市川訳参照)。

 私などは何も言う資格はないのだが、成るほど、そういうものかと感心する。つまり言えば、人間の歴史は誤謬だらけだったというべきなのか。誤謬を恐れてはいけないということなのか。
 このような精神がフランスの市民革命を用意し、思想的に準備したのだと思うが、それはここでの主題ではない。