静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

魔術と医術(2) ローマの病気と魔術(その2)

2009-12-25 14:42:05 | 日記
 デモクリトスとマギ
 先に述べたゾロアスターは二万の詩句をつくったとか、ヘルミップスという人物がその解説者であったとか、それらはみんな失われてしまったとかプリニウスはいろいろ言う。また名前以外の記憶は何一つ残さなかった人もいる。
 そして、トロイ戦争を描いた『イリアス』には魔術への言及は全くないのに『オデュッセイ』は魔術に満ち溢れて、この作品の全背景をなしていると驚きの声を上げている。彼が事例としてあげているのは、プロテウスの挿話、セイレンの歌、キルケの挿話、冥府からの死者の呼び出しなどである。筆者もこのプリニウスの指摘がなければその違いに気がつかなかった。だがいまこの問題を追求している余裕はない。プリニウスが気にしたのはホメロスのこの二つの作品の間に何があったのかということだろう。
 そのほか彼は「テッサリア人」が魔術と結びつけられている話や、メナンドロスが「テッサラ」という題で悲劇を書いたことなどに触れている。こういうことも彼にとっては驚きだった。

 前述のオスタネスはギリシア人の間に魔術への研究欲を掻き立たせた。それは熱狂とも言えるものになった。当時のもっとも優れた思想家・哲学者たちが魔術に魅かれた。プリニウスはいう、「私は、文学上の卓越性と名声が、そのような知識(scientia)から求められたことに気づいている」と。ピュタゴラス、エンペドクレス、デモクリトス、プラトンも海外へ魔術を学びに行った。だがそれは旅行をしたというより亡命をしたのであり、彼らは帰ってきてからそれを教え、魔術を自分たちのもっとも貴重な秘儀と考えたと説明している。

 プリニウスはデモクリトスの挿話を書いている。デモクリトスは、アポロベックスという人とダルダヌスという人の著書を入手しようとして、後者の墓にまで入り込んだが、こういうことは徹頭徹尾信頼性にも品位にも欠けると批判する。また彼は、デモクリトスが『キロクメタ』(「手で作られたもの」「手による処方」という意味)という書物の著者であるのは明らかであるといっている。だが、それがその品性に欠ける書によるものであるか否かは述べていない。デモクリトスの作品の愛好者たちはデモクリトスの名誉を慮ってこの著書を贋作としたが、本物だとプリニウスは主張している。この真贋問題は今日まで続いている。
 
 プリニウスは、デモクリトスが人心に魔術の甘美さをしみこませたのだと批判し、魔術的植物が注目されるようになったのはピュタゴラスとデモクリトスのせいで、二人はマギを権威としてそれに従ったのだという。
 彼はこのようにデモクリトスに批判的であったが、『魔術から科学へ』の著者パウロ・ロッシは、デモクリトスは自然への接近という点で、他のいかなる哲学者よりもすすんでおり、そのため、コルメラ(一世紀中ごろのローマの著述家)やプリニウスから正しくも魔術師といわれたのだという。ロッシは、当時魔術は科学であったと示唆しているのである。

 プリニウスはデモクリトスの医薬について多数の例を述べている。ほんの一・二挙げる。アグラオポディス(明るい光)という植物があって、マギたちは神々を呼び出したいときにそれを用いる。ある病気には罪人の頭蓋骨がよく効き、他の病気には友人や客人の頭蓋骨がよく効く。アカエメニスとう植物を入れたブドウ酒を犯罪者が飲むとすっかり自白する。アダマンティスという植物をライオンの近くに置くとライオンは仰向けに寝転んで疲れたように欠伸をする・・・もうこれはきりがない。

 彼は、それ以外にもモーゼやエホバも魔術の一派であるとしている。聖書にでてくる東方の三博士もマギであったことはよく知られている。また彼はイタリアでも一二表法のなかに魔術の痕跡があったし、元老院が人身御供を禁止する(紀元九七年)までは、忌まわしい儀式が行われていたとしている。
  
 魔術はガリアの属州において、ドルイド教の妖術という形でその住処を見出した。ティベリウス帝がこのドルイドの僧侶・預言者・祈祷師たちを追放したが、依然としてブリタニアでは隆盛を誇り盛大に魔術の儀式が行われているという。そこではまだローマ帝国の威令が及んでいないのである。プリニウスは、「人間を殺すことが最高の宗教的儀式であり、さらにそれを食べることが健康によいとされたような奇怪な儀式を一掃したローマに負う恩義が、いかに大きいものか、はかり知り得るものではない」と「ドルイドの妖術」追放に賛意を表し、言外にローマの平和の意義を強調しているように見える。

  
 ネロとマギ
 皇帝ネロは、自分が芸術的な天才であると本当に信じていたらしい。しばしば俳優気取りで舞台に立ったり、歌ったりした。戦車競技にも熱中した。声を良くするためといってネギを好んで食べたり、胸の上に鉛の板を載せて寝たりしたという。それだけでなく、科学的実験らしいことをやったことをプリニウスは伝えている。ネロは、水をいっそう冷たくするために、一度沸かした水をガラスの器に入れ、それを雪の中に差し込んで冷やすという方法を発見したという。沸騰させていない水に較べて良く冷えるのだそうだ。その実験が正しいかどうか、筆者には分からないが、ネロにしては上出来ではないか。スエトニウスはこの水を「ネロの蒸留水」と呼んでいたらしい。そんな程度ならご愛嬌ということにもなろうが、ネロの考えることは少し違う。

 人間の幸運の絶頂に昇りつめたネロは、ついに神々に命令を下すという野望を抱いた。ネロは、未来を占ったり霊界や下界の人間と話ができるという魔術師オスタネスにその野望を託した。おそらく、先ほど述べた「魔術について現存する最初の論文」でも読んで学習したのだろう。だがやがてそれが欺瞞でいんちきであることに気づかされた。そこでネロは魔術を見限ったが、その見限ったことが魔術のいかさまぶりを最高度に証明しているとプリニウスは言う。神々に命令を下すためには、地獄の神であろうとその他どんな神であろうとかまわないが、ネロは何かの神の知恵を借りるべきであったとプリニウスは痛烈に揶揄している。彼が嫌ったのはマギたちが自然界を支配できると考えたり、人生を助けるどころかその邪魔をしたり害を加えたりすることへの嫌悪であった。

 プリニウスのマギへの批判は当時の医学への批判につながっていく。彼はマギたちの膨大な治療法を紹介しながら批判を加える。それは、民衆にそのようなごまかしの医療に引っかからないように忠告を与えているように見える。いまここで彼が暴露しようとしたマギの療法を列挙することはあまり意味のないことだが、二・三の例をあげておく。

 ナトリックスという植物の根を引き抜くとファトゥイ(悪夢のことか)というものを追い払う。まだ動いているモグラの心臓を食べると占いと予言の能力が与えられる。生きたモグラから抜いた歯をお守りにすると歯痛が治る。気が変になっている人には、ネズミの脳を水に入れて飲ましたり、イタチの灰を飲ます、さらにハリネズミの干し肉を食べされる・・・。膨大なこのような事例をあげたのち、こんなことがどうして信じられようかとプリニウス自身は言うのだが・・・。