静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

クレオパトラの真珠(2) ポンペイウスと真珠

2009-12-14 16:01:23 | 日記
 真珠の一般的な説明のあとに、真珠にまつわる逸話が三つでてきます。その最初がポンペイウスと真珠の話です。
 プリニウスは、「自然の壮麗さは、宝石という、もっとも小さい存在の中に凝縮されている」という名言? を残していますが、ローマで最初にその宝石の収集を始めたのはスラの養子スカウルスでした。だが、ローマ社会に真珠や宝石を流行させたのはポンペイウスだといいます。

 ポンペイウスというのは、言うまでもなく、地中海の海賊を退治し、ポントスのミトリダテス王を破り、シリアやフェニキアなどの東方領土を拡大し、第一回三頭政治を行ったあのポンペイウスです。今日、ポンペイウスはカエサルに較べてまるで人気はありません。カエサルと並ぶ武将だったのですが。だがプリニウスはポンペイウスを「ヘラクレイトス(ギリシア神話最大の英雄)やリーベリ・パテル(生産と豊穣の神)の輝かしい業績にも比すべき大ポンペイウスの勝利とすべての偉業の全記録について述べることは、彼一個人の名誉というよりも、ローマ帝国の名誉に関することでる」と極めて高い評価を与えています。対照的に、彼はカエサルの戦功を全くといっていいほど評価していません。むしろ批判的です。

 このようにポンペイウスの「偉業」を称えたプリニウスですが、その人間性についてはまた極めて辛らつな批判を浴びせかけています。
 ポンペイウスは三回も凱旋行進を許された幸運な男でしたが、なかでも前六一年に行われた三回目の凱旋行進は途方もなく豪華絢爛たるものでした。その様子はプリニウスの記述によって伝えられています。その行進では、次から次へと宝石や黄金でできた宝物などが運ばれてきました。宝石でできた幅三フィート長さ四フィートもある賭博盤、三台の黄金の臥台、ミネルヴァ、マルス、アポロンの黄金像がそれぞれ三体、その他、説明もできないような豪華な品々。そして三三の真珠の冠、真珠で現されたポンペイウスの像。この像は、美しい毛髪が額から後方へなびいているたいへん見事な像、つまり「全世界で畏敬されているあの気品のある頭の像」であったのです。
 ここでプリニウスの堪忍袋の緒が切れたたようです。

 この凱旋行進では、勝ったのは「浪費」、負けたのは「簡素耐乏」である、この凱旋をほんとうに祝賀しているのは法外な「浪費」なのだ、と彼は言います。そして「大ポンペイウスよ、真珠のように金(かね)のかかるものは、女性だけに意味があるのだ。君はそんな真珠を身につけることはできないし、またつけてはいけないのだ。それなのに、身につけるどころか、それで自分の像までつくってしまった。そんなことが君の価値を誇示する方法だと考えるなんて・・・。君がピレネー山脈の頂上にたてた戦勝記念碑こそが、それに勝る君自身の像ではなかったのか」

 プリニウスの言っていることを補足すると、ポンペイウスは若い頃すでにマグヌス(偉大な)という添え名を貰っていたので大ポンペイウスと呼ばれていました。また彼は、ヒスパニアでの戦功を誇ってピレネー山脈の頂上に戦勝記念碑を作らせたのです。前述のように、そもそもプリニウスは真珠自体の浪費を快く思っていなかったので、このポンペイウスの厚顔さは許すことができなかったのでしょう。そして言います。「このような真珠の見せびらかしは、むしろ容赦ない天の怒りの前兆と考えるべきだろうが、そうでなくても、大きな醜い恥辱であった。東方のきらびやかさで、いともまがまがしく現された胴体のない顔は、そのときすでに紛れもなく、ある意味ををもっていたのだ」

 「ある意味をもっていた」というのは、後年ポンペイウスがカエサルと争って敗れ、エジプトで殺害されたことを示唆しています。そして彼はポンペイウスのそのような贅沢が、のち、カエサルがスリッパに真珠を縫いつけたこととか、ネロが真珠で飾った俳優の仮面や旅行馬車などをつくったことなど、そのような浪費を容認しやすくしてしまったと非難しているのです。先ほどのように、ヘラクレスやリーベル・パテルの業績にも匹敵すると称揚していただけに、プリニウスの怒りと失望には大きいものがあります。