静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

魔術と医術(1) ローマの病気と魔術(その1)

2009-12-24 15:00:05 | 日記
  
 ローマの病気
 『博物誌』がいわば「生命に」関するものであり、人類を助けることが「自然」のもっとも大切な仕事であるというプリニウスの考えに基づけば、医術や医薬に最大の力点が置かれたのは当然であろう。薬園の野菜はもっとも身近な医薬でありえたが、それ以外の植物を含めて彼はその薬効の叙述に最大の力を注いだ。それに動物や鉱物などの薬効をも加えたものがのちに『プリニウス医学』として編集され、ヨーロッパ中世で広く普及した。今で言えば『家庭医学』とでもいうような本になって流布したのだろう。

 人生にとって病気はいつも恐るべき存在であり、人間の幸福と生命を奪うものであった。そして新しい病気は、いつの時代にもやってくるものだが、プリニウスの時代もそうであった。
 ローマ世界に新しい病気が拡がっていた。たとえばギリシア語でレイケン、ローマ語ではメンタグラなどと呼ばれる極めて悪質の皮膚病は、目だけを残して顔面全体を冒し、さらに顔、胸、両手へと下に広がり、それは焼灼剤で骨まで焼かなければ完治しないほどの、かつてローマ人が知らない病気であった。また、かかると三日であの世行きになる恐るべき「ちょう」、あるいはまたエジプトからもたらされたというハンセン病、だがこれは急速にイタリアから消滅したという。
 新しい病気が初めて現れると、誰彼なしにまず大衆に伝播した。ある病気は出し抜けにある地域に現れ、それが人間の特定の手足、あるいは特定の年齢、あるいは特定の社会的地位の人びとを、まるで厄病がその犠牲者を選択してでもいるかのように冒した。ある病気は子どもを、他のものは成人を冒し、ある病気は貴族が特別にかかりやすく、あるものは貧乏人がかかりやすい。さらに、ある病気は消滅したのに、他の病気は地方的に残っていたり、ある病気はある地域にだけ流行する・・・。そして現に三〇〇以上の病気があるのに、さらににこのような新しい病気が加わるのだ。

 
 マギの欺瞞
 このように、プリニウスは当時の医療状況に危機感を抱いた。彼は、その危機の一端がマギ(注)たちの呪術的・欺瞞的な医療法にあると考えた、。そして、その欺瞞を具体的に暴くとともに、アスクレピアデス(前一世紀頃のギリシアの医者、ギリシア医学をローマに移植)の医学体系もまた、マギのたわごとよりもひどいものだと告発するのである。プリニウスの、当時の医学や医薬に対しての数々の疑問と批判は、ます医術と魔術の親密性へ向けられた。
  (注)マギは、元来古代メディア<ペルシアの北東>の自然崇拝の祭司のことだったが、やがてゾロアスター教の祭司階級を意味するようになった。

 彼は、技術も数ある中で、このうえなくいかさまな技術が長期にわたって世界を支配してきた、それが魔術であるという。多くの技術のうち魔術のみが人間精神に至上の支配権を握り、他の三つの技術を抱き込んで自分に従属させた。他の三つというのは医術・宗教・占星術である。
 魔術は医術から起こったのだが、健康を増進するという仮面のもとに人びとの間に忍び込み、さらにその魅惑的な約束に、今でも蒙昧状態にある宗教を、そしてさらに占星術をも付け加えた。自分の運命を知りたいと熱望しない人はいないのだから・・・。このことは誰も疑わないであろうとプリニウスはいう。

 だがこの問題を論ずるのは容易ではない。彼は魔術が医術から起こったというが、逆に魔術から医術が起こったという主張も確かにあるのである。原始社会以来、医術の未発達のなかで魔術は唯一の治療法であった可能性は強い。そして、近代医学が発達した後も、病気治療に宗教や占いが果たしている役割も軽くはない。だがプリニウスの分析は魔術から始まる。そして、このプリニウスの魔術の歴史に関する記述は、ソーンダイクのいうように(『魔術と実験科学の歴史』)、魔術に関するあらゆる著作の中で、最も重要なものの一つといえよう。

 プリニウスは魔術の起源をペルシアのゾロアスターに帰している。今日ゾロアスターは紀元前七世紀の人といわれているが、プリニウスは、プラトンの死の六千年前というアリストテレスの説を採用している。ゾロアスターについては古来いろいろ異説があり、不明な点が多いし、プリニウスは、前五世紀頃に、プロポンネソスの住人といわれるもう一人のゾロアスターがいたという説も紹介していて、彼自身確信がもてないでいる。彼はゾロアスターの後継者の系統が失われていると指摘しているが、オルフェウス(ギリシア神話にでてくるアポロンとカリオペとの子)が彼の郷土のトラキアに最初の魔法をもたらしたとか、魔術について現存する最初の論文を書いたのはオスタネスであると述べている。このオスタネスは紀元前五世紀後半のペルシアのマギであり、ペルシア王クセルクセスがギリシアに侵入したとき随伴したといわれ、オリエントの魔術に関する著述の多くが彼に帰せられている。また、もう一人のオスタネスがいて、アレクサンドロス大王に使えてその遠征に加わったとされている。
 結局プリニウス自身にもマギについての正確な知識はなく、当時の一般的な認識の範囲に止まっていたように思える。