ポンペイウスの話題のすぐ後でプリニウスは、ロリア・パウリナのことを書いています。
ガイウス・カエサル(第三代皇帝カリグラ)の三番目の妻であったロリア・パウリナが、あるありふれた結婚披露宴で、エメラルドと真珠を交互に織り込んだ衣装をまとい、頭、髪、耳、首、指にいたるまで飾り立てていましたが、その総額は四千万セステルティウスにも及んだといいます。その彼女をプリニウスは見たと述べています。コムムという田舎からローマに学業のために出てきたプリニウスが、まだ十六・七歳のころです。よほど印象に残ったのでしょう、晩年『博物誌』でそれを話題にしました。
ロリア・パウリナは数奇な運命をたどった女性です。執政官級の人マルクス・ロリウスの娘ですが、最初ガイウス・メンミウスという人物と結婚しました。だが、彼女の祖母が絶世の美女であったと聞いたカリグラによって,いやおうなしにメンミュウスと離婚させられて、カリグラの妻、つまり妃になりました。
この強引なカリグラは、最初の妻を亡くし、その次に自分の妹ドルシラと二度目の正妻としましたが、そのドルシラにも先立たれ、ロリアを三度目の妻としたのです。それが紀元三八年、だがロリアは翌年早くも離婚させられました。
四一年、カリグラは暗殺されます。そのあと帝位についたクラウディウスの三度目の妻メッサリナは、放蕩と不倫のせいで殺され、ロリア・パウリナはそのあとの妻の有力候補の一人にあげられました。しかし、妃の座はゲルマニクス(第二代皇帝の養子)の娘ユリア・アグリッピナが手に入れてしまいます。元首の妻の座を争ったことを根にもったアグリッピナは、策略によってロリアを告発させます。ロリアは国家に対する危険な計画を抱いたという罪を着せられ、持っていた莫大な財産を奪われたうえ、イタリア本土から追放されます。さらに追い討ちがかけられ、自殺を強要されてこの世を去りました。その経過はタキトゥスが『年代記』で語っています。
人間の歴史を書いたタキトゥスとは違い、プリニウスの関心は彼女の宝物、財産の性格とその社会的意味でした。
ロリアが四千万セステルティウスもする宝石や真珠を着飾ったのは、少しの間でも人目を引いて、自分がそれらのものに権利があることを記録的に証明したかったのだとプリニウスは推測しています。
だがその財産は皇帝からの豪華な贈り物というわけではなく、実は父から引き継いだ財産だったというのです。その父というのは先にも述べたマルクス・ロリウスです。この人は、アウグストゥスの忠実で有能な支援者であったということです。ガリア戦線で大敗するという失敗もあったが、東方でガイウス・カイサル(カリグラ)の同僚および指導者となり、それがティベリウス(第二代皇帝)の敵意を招いたともいわれています。いろいろの経過の後、マルクス・ロリウスはカリグラによって友人名簿から削られ、毒を仰いで死に追いやられたことはプリニウスの記述によって知られています。
プリニウスは、マルクス・ロリウスが全東方の王たちからの贈り物を受けて自らを汚辱したと言っています。贈り物などではなく、収奪だったのでしょう。プリニウスは、それが毒を強要された原因であったことを示唆しています。
その彼の美しい娘が四千万セステルティウスを身に纏って、照明のもとで見世物になろうとは! とプリニウスの舌鋒には鋭いものがあります。そして彼女は、父と同じように毒を仰いで死に追いやられたのでした。
ガイウス・カエサル(第三代皇帝カリグラ)の三番目の妻であったロリア・パウリナが、あるありふれた結婚披露宴で、エメラルドと真珠を交互に織り込んだ衣装をまとい、頭、髪、耳、首、指にいたるまで飾り立てていましたが、その総額は四千万セステルティウスにも及んだといいます。その彼女をプリニウスは見たと述べています。コムムという田舎からローマに学業のために出てきたプリニウスが、まだ十六・七歳のころです。よほど印象に残ったのでしょう、晩年『博物誌』でそれを話題にしました。
ロリア・パウリナは数奇な運命をたどった女性です。執政官級の人マルクス・ロリウスの娘ですが、最初ガイウス・メンミウスという人物と結婚しました。だが、彼女の祖母が絶世の美女であったと聞いたカリグラによって,いやおうなしにメンミュウスと離婚させられて、カリグラの妻、つまり妃になりました。
この強引なカリグラは、最初の妻を亡くし、その次に自分の妹ドルシラと二度目の正妻としましたが、そのドルシラにも先立たれ、ロリアを三度目の妻としたのです。それが紀元三八年、だがロリアは翌年早くも離婚させられました。
四一年、カリグラは暗殺されます。そのあと帝位についたクラウディウスの三度目の妻メッサリナは、放蕩と不倫のせいで殺され、ロリア・パウリナはそのあとの妻の有力候補の一人にあげられました。しかし、妃の座はゲルマニクス(第二代皇帝の養子)の娘ユリア・アグリッピナが手に入れてしまいます。元首の妻の座を争ったことを根にもったアグリッピナは、策略によってロリアを告発させます。ロリアは国家に対する危険な計画を抱いたという罪を着せられ、持っていた莫大な財産を奪われたうえ、イタリア本土から追放されます。さらに追い討ちがかけられ、自殺を強要されてこの世を去りました。その経過はタキトゥスが『年代記』で語っています。
人間の歴史を書いたタキトゥスとは違い、プリニウスの関心は彼女の宝物、財産の性格とその社会的意味でした。
ロリアが四千万セステルティウスもする宝石や真珠を着飾ったのは、少しの間でも人目を引いて、自分がそれらのものに権利があることを記録的に証明したかったのだとプリニウスは推測しています。
だがその財産は皇帝からの豪華な贈り物というわけではなく、実は父から引き継いだ財産だったというのです。その父というのは先にも述べたマルクス・ロリウスです。この人は、アウグストゥスの忠実で有能な支援者であったということです。ガリア戦線で大敗するという失敗もあったが、東方でガイウス・カイサル(カリグラ)の同僚および指導者となり、それがティベリウス(第二代皇帝)の敵意を招いたともいわれています。いろいろの経過の後、マルクス・ロリウスはカリグラによって友人名簿から削られ、毒を仰いで死に追いやられたことはプリニウスの記述によって知られています。
プリニウスは、マルクス・ロリウスが全東方の王たちからの贈り物を受けて自らを汚辱したと言っています。贈り物などではなく、収奪だったのでしょう。プリニウスは、それが毒を強要された原因であったことを示唆しています。
その彼の美しい娘が四千万セステルティウスを身に纏って、照明のもとで見世物になろうとは! とプリニウスの舌鋒には鋭いものがあります。そして彼女は、父と同じように毒を仰いで死に追いやられたのでした。