一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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最近の拾い読みから(15) ― 『明治大帝』その1

2006-07-10 11:27:43 | Book Review
gegengaさんのブログ「かめ?」に「そもそも〈教育勅語〉なんていうものは」という記事があります。

そこで立花隆『天皇と東大』の紹介をされているわけですが、どうやらこの本にも「トンデモ」が入っていそうな気配。
本来なら直接「立花本」を検討するところなのですが、未読なので、その前準備として、その他の本では「教育勅語」および明治政府の教育政策はどのように説明されているかを、若干調べておきたいと思います。

ということで、まずは手近にある飛鳥井雅道の『明治大帝』から。

飛鳥井は基本的に「明治天皇制には2つの側面がある」とみています。
「ひとつは機構として確立してくる天皇であり、今ひとつは機構をこえるカリスマとしての天皇の側面である。」
前者を表すのが大日本帝国憲法ですが、その中にも、「カリスマ性」は含まれざるを得ない(天皇の「超法規的な存在」規定。また、憲法以前に発せられた軍人勅諭を直接の法源とする「統帥権の独立」)。

後者が、元田永孚(もとだ・ながざね)・佐々木高行(ささき・たかゆき)など「侍補(じほ)」グループによる「天皇親政運動」に端的に現われてきます(ちなみに、本書全5章の内1章が「親政運動」に当てられている)。

本書には、直接「親政運動」とは何か、という定義は述べられていませんが、次のような記述があります(これが「教育勅語」と密接に関連してくる)。
「元田的に儒教の原理をおしつめ、『天子に無限の政治的道徳的努力を要求』し、その結果、『明治天皇個人は元田の教育によって、理想的な君主となった』とする。」

具体的な政治として、元田は、
「君民同治を以て政治の極点と云が如き、もつとも我政治の目的に非ざるなり』
とするのです(「君民同治」とは、ここではイギリス的な立憲政体を指す)。「聖天子」による道徳的「君主親裁」です。

しかし、伊藤博文らの考えは違う。
「近代国家は行政のルールで動いていくべきだ(中略)、時々の具体的な天皇の意志は黙殺する以外にない。内閣の役割はそこにある。」

この対立が、明治政府による教育方針をめぐって表面化します。
1879(明治12)年「聖旨(せいし)」(=天皇の個人的意見)としての「教学大旨」が、伊藤博文内務卿に渡されたのです。
「教学ノ要、仁義忠孝ヲ明カニシテ、智識才芸ヲ究メ、以テ人道ヲ尽スハ、我祖訓国典ノ大旨、上下一般ノ教トスル所ナリ。然ルニ輓近(ばんきん)専ラ智識才芸ノミヲ尚(たつ)トビ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷(そこな)フ者少ナカラズ。」
これは、明らかに、道徳教育を軽視する近代化政策への批判、でした。

この項、つづく


飛鳥井雅道
『明治大帝』
講談社学術文庫
定価:本体1,103円(税込)
ISBN4061595709


*ちくま学芸文庫にもあり(1,102円(税込)、ISBN:4061595709)