さて、この本は「論」なのでしょうか、それとも「読み物」なのでしょうか。
多くの評者は、どうやら「論」として受け取っているようですが(「論」として受け取ると、意外と陳腐な部分が多い。一例、「サミュエル・ジョンソンの有名な言葉」)、小生は、あえて「読み物」として考え、元編集者として、その改善案を。
もちろん「読み物」の中に「論」があってもいい。しかし、本書の眼目からすれば、テーマはやはり、
「余は如何にして愛国者となりし乎」
でしょうね。
本書の中にも、既にそのような記述が散見されるのだけれど、それが時系列的に整理されているわけではないし(「論」のところどころに差し挟まれる形)、主な部分になっているわけでもない。
けれども、小生は、その部分が一番興味深いし、ひいては「論」にもつながってくるんじゃないかと思うんですよ。それに「論」の説得性も増すしね。
――大学時代、「生長の家」の寮に入り、国旗掲揚と国歌斉唱を毎日「やらされる」話などは、興味深い。強制された儀式と集団生活が、いかに「刷り込み」に効果的か!
さて、「余は如何にして愛国者となりし乎」という観点から、本書を見てみると、次のような「愛国者」の類型がありそうなのね。
第1に「素朴愛国者」というか「即自的愛国者」。
「日本に生まれたのだから、その国を愛するのは当然じゃあないですか」
と胸を張るような手合いね。
しかし、これを説得するのは、かえって難しい。
「近代国家(nation-state: "One nation, one language, one state") はフィクションだ」
なんて言ったって、
「何のこと、それ?」
なんて顔をされるだけかもしれない。
ただ、著者の場合には、「日の丸・君が代に縁がなかった」小・中・高校時代にも、このような「愛国者」だったことはなかったようだ。
現在でも、そのような存在やあり方には、違和感を感じているだろうことは、随所に触れられている。
鈴木邦男
『愛国者は信用できるか』
講談社現代新書
定価:本体735円(税込)
ISBN4061498428
多くの評者は、どうやら「論」として受け取っているようですが(「論」として受け取ると、意外と陳腐な部分が多い。一例、「サミュエル・ジョンソンの有名な言葉」)、小生は、あえて「読み物」として考え、元編集者として、その改善案を。
もちろん「読み物」の中に「論」があってもいい。しかし、本書の眼目からすれば、テーマはやはり、
「余は如何にして愛国者となりし乎」
でしょうね。
本書の中にも、既にそのような記述が散見されるのだけれど、それが時系列的に整理されているわけではないし(「論」のところどころに差し挟まれる形)、主な部分になっているわけでもない。
けれども、小生は、その部分が一番興味深いし、ひいては「論」にもつながってくるんじゃないかと思うんですよ。それに「論」の説得性も増すしね。
――大学時代、「生長の家」の寮に入り、国旗掲揚と国歌斉唱を毎日「やらされる」話などは、興味深い。強制された儀式と集団生活が、いかに「刷り込み」に効果的か!
さて、「余は如何にして愛国者となりし乎」という観点から、本書を見てみると、次のような「愛国者」の類型がありそうなのね。
第1に「素朴愛国者」というか「即自的愛国者」。
「日本に生まれたのだから、その国を愛するのは当然じゃあないですか」
と胸を張るような手合いね。
しかし、これを説得するのは、かえって難しい。
「近代国家(nation-state: "One nation, one language, one state") はフィクションだ」
なんて言ったって、
「何のこと、それ?」
なんて顔をされるだけかもしれない。
ただ、著者の場合には、「日の丸・君が代に縁がなかった」小・中・高校時代にも、このような「愛国者」だったことはなかったようだ。
現在でも、そのような存在やあり方には、違和感を感じているだろうことは、随所に触れられている。
「オリンピックになれば『ガンバレ! 日本』の大声援で、テレビでも日本選手の出るものしか放映しない。日本選手が出なければ、決勝戦も放映しない。これではオリンピックの精神に反するだろう。」などの記述に、それは読み取れるんじゃないでしょうか。
長くなりそうなので、この項、つづく
鈴木邦男
『愛国者は信用できるか』
講談社現代新書
定価:本体735円(税込)
ISBN4061498428