一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(28) ― 『黒船前夜の出会いー捕鯨船長クーパーの来航』

2006-07-25 11:49:22 | Book Review
ペリー来航の8年前、つまり1845(弘化2)年、浦賀に来航した外国船があった。
アメリカの捕鯨船〈マンハッタン〉号――船長はマーケーター・クーパー。日本近海での鯨漁の途上、鳥島に漂着した〈幸宝丸〉の船員11人と、難破船〈千寿丸〉の船員11人を帰国させるべく、鎖国の禁を破って日本にやってきたのである。

本書は、
「日米交流の原点ともいうべきマンハッタン号事件を、日米双方の資料を駆使してつづる黒船前夜の歴史秘話」
を語る。

ペリー来航を重視するあまり、それ以前の異国船来航の歴史は、一般にあまり知られていない。

本書によれば、アメリカ船に限っても、これ以前に、1837(天保8)年の〈モリソン〉号来航があった。
目的は「7人の日本人漂流民たちの送還をきっかけにして日本との通商」を図ること。非武装であり、日本側の砲撃により、日本近海を立ち去った。

そして、〈マンハッタン〉号の来航である。
この間に「阿片戦争」(1840 - 42) があり、日本側での対外政策の変更があった(「無二念打払令」から「薪水給与令」へ。異国船との無用の摩擦を回避する目的)。

この政策変更と、老中・阿部正弘の決断とによって、〈マンハッタン〉号は、砲撃されることも、長崎回航を命ぜられることもなく、浦賀に入ることができたのである(船員たちの上陸は許可されなかったが、食料・水・薪・修理用木材などが無償で提供された)。

一方、〈マンハッタン〉号は、捕鯨のための航海を一時中断してまで、日本人漂流民を送還させるために日本に立ち寄ったわけだが、その背景には、クーパー船長の人道的な考えとともに、
「閉ざされた国・日本を探ろうとするひそやかな好奇心もあった。」

したがって、その情報はアメリカにとって貴重なもので、日本派遣を命ぜられる以前のペリーに大きな示唆を与えた。
「クーパー船長の日本訪問談は彼(ペリー)の運動に願ってもない援護射撃となってペリーを喜ばせた。モリソン号事件の記憶も新しかった当時、武器を持たずに江戸湾に進入したクーパー船長の、大胆でしかも考え深い行動はペリーに強い印象を与えたのである。それに加えて、船長は捕鯨船の安全のために日本の開港が必要であることだけでなく、日本が経済活動の活発な、知的レベルの高い、通商の相手として不足のない国であることを語っていた。」
のである。

それもこれも、日本近海がアメリカをはじめとする各国の捕鯨船にとって、大きな操業海域となっていたから。
その活況ぶりは、
「わが国(アメリカ)の捕鯨船が、今日、このとき、太平洋をその帆で真っ白にしている」
と、ある海軍海洋調査隊の士官が述べたほどであった。

春秋の筆法を以てすれば、捕鯨が日本の開国を招いた、とでもなろうか。
本書は、ペリー来航以前の日米関係を知る上で、参考となること大であろう。

平尾信子
『黒船前夜の出会いー捕鯨船長クーパーの来航』
NHKブックス
定価:本体830円(税込)
ISBN4140017066