一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

最近の拾い読みから(19) ― 『天皇と日本の近代』その2

2006-07-14 10:49:37 | Book Review
1890(明治23)年6月、大日本帝国憲法の施行を前にして、「教育勅語」の「文部省原案」(中村正直案)が、法制局長官だった井上毅に、山県有朋首相より示されます。

中村正直案には、
「父ハ子ノ天ナリ、君ハ臣ノ天ナリ」
との一節があり、「〈倫理主体〉としての天皇像」が想定されていました。
これは、元田永孚の
「聖上陛下、君ト為リ、師ト為ナルノ御天職ニシテ」(「教育論附議」)
と同根の発想なのは明らかです。

しかし、大日本帝国憲法の執筆に参加した井上は、
「君主は臣民之良心之自由に干渉せず」
という信念を持っていましたから、この案には反対です。

もともと、「教育勅語」の必要性は、同年に開かれた地方長官会議で「徳育涵養ノ議ニ付建議」が出されたことによります。
それを受けた山県有朋は、「教育にかかわる天皇のことばの必要性を痛感し」
「軍人勅諭」を念頭に置いて、中村に案を作らせたのですから、このような
「一ノ国教ヲ建立スル」
ことにつながる文案が出てくるのも当然でしょう。

そこで井上は、大日本国憲法との整合性を持った、自らの案を執筆することになります(山県首相への提案として)。

一方、元田永孚も、この中村案に対して、個人的草稿「教育大旨」を執筆します。

実際の「教育勅語」は、この井上案と元田案とを摺り合わせる形で出来上がってくるのですが、八木によれば、基本的には井上毅の思想が盛り込まれているということになります。

つまりは、
「『教育勅語』と『大日本帝国憲法』とは、とうてい切り離すことが不可能な、密接に結びついた一体的な思想体系」
なのです。

この項、つづく


八木公生
『天皇と日本の近代(下)―「教育勅語」の思想』
講談社現代新書
定価:本体735円(税込)
ISBN4061495356