一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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福沢諭吉の器用さについて

2006-07-01 11:16:19 | Essay
まだ若い頃に『福翁自伝』を読み、奇妙に思ったことがあった。
それは、福沢が自らの手先の器用さを述べている一節である。
「私は旧藩士族の子供に較べてみると手の先の器用な奴で、物の工夫をするようなことが得意でした。たとえば井戸に物が墜ちたといえば、如何いう塩梅にしてこれを揚げるとか、箪笥の錠が明かぬといえば、釘の尖などを色々に曲げて遂に見事にこれを明けるとかいう工夫をして面白がっている。また障子を張ることも器用で、自家の障子は勿論、親類へ雇われて張りに行くこともある。」
読んだ当時は、武士(しかも「貧士族」)の実態などは知らなかったから、武士というのは、武張ったことを専門に行ない、このような小手先の技などは軽蔑していた、と思い込んでいたからである。

下層武士階級は、俸禄だけでは一家の生活を支えられず、手内職をほとんどの家庭で行なっていたことなどは、頭の片隅にもなかった。

であるから、現在の目で見ると、まず下層武士の生活には手先の器用さは、必要不可欠なものであること、そして、その中でも、福沢は自らを誇るほど器用であったことが、何とも面白い(もっとも、生活の必要さだけではなく、慶喜などは刺繍が得意だったというから、器用な人は、どの階層にもいたわけである)。

このような器用さが、後々の福沢の言動と関係あるのかないのか、に関しては、まだ知見が足りないので、何とも言えないが、今日「武士道」の復権などを公言している人びとは、かかる実態を把握しているのだろうか。

参考資料 福沢諭吉、 富田正文 校訂『新訂 福翁自伝』(岩波文庫)