一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

最近の拾い読みから(8) ― 『西洋の音、日本の耳―近代日本文学と西洋音楽』

2006-07-02 11:33:31 | Book Review
本書の刊行後、瀧井敬子著『漱石が聴いたベートーヴェン―音楽に魅せられた文豪たち』や松田良一著『永井荷風 オペラの夢』などの、「近代日本文学と西洋音楽」をテーマにした書籍が出版されている。

その中でも、本文が550ページ近くもある本書は、基本資料としての価値を失っていない。

内容的には、万延元(1860)年遣米使節の西洋音楽体験に始まり、島崎藤村・上田敏・永井荷風・石川啄木と、個々の文学者の西欧音楽体験が、元資料の引用を豊富に含んで記述されていく。

日本の近代化という図式の中での展望は、瀧井敬子著の方が分り易いが、逆にここでは、「文学」と「音楽」との関係が露にされているようだ。

「音楽」そのものを聴くよりは(当時、国内では実際の音楽体験がしにくかったこともある)、作曲家の「思想」を論じるという傾向が強かったのが、明治時代の特徴であろう。

特に「思想性」の強いヴァグナーなどは(「強く」はあっても、決して「高い」とはいえないのであるが)、
「藝術というものはすべて、美学的に正当な価値をもつばかりでなく、倫理的にも正当な価値をもっていなければならなかったのである。彼は、自らの将来の作品が、『公衆』――娯楽のためにオペラに行く金持ち達――のためのものではなく、『民衆』――どのような社会階級の人であるにしろ、高い理想を求める人々――のためのものになるだろう」(デヴィッド・G・ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』)
という考えを持っていたために、その「思想」が論じられることが多かった(本書「付録 明治文壇とヴァーグナー」)。

我が国にヴァーグネリズムの影響を決定的に及ぼした仲介者」であるといわれる、姉崎嘲風(あねざき・ちょうふう、1873 - 49) は、ドイツ留学中に実際のヴァグナー音楽を聴いていたにもかかわらず、
「ニーチエがワグネルに於て無二の畏友を発見せしは決して偶然にあらず、而して此天才の革命楽詩は天下に行はれてドイツの人心に清新剤を与へ、高遠の理想を吹き込みつゝあるなり。」(姉崎嘲風「高山樗牛に答ふるの書」。本書より再引用)
と、「思想性」の面を重視しているほどであるのだから(後の「教養主義」的音楽鑑賞方法にもつながる)。

さて、今日、音楽を直接耳にすることは、いともたやすい。
しかし、その際「音楽」そのものより「物語」を求める傾向はありはしないか(教養人の「思想」に代わる、大衆の「物語」)。
フジ子・ヘミングなるピアニストや、大江光なる「作曲家」のありかたを見ていると、そのように感じられてならないのだが……。

中村洪介
『西洋の音、日本の耳―近代日本文学と西洋音楽』
春秋社
定価:本体4,800円(税抜)
ISBN4393934040

 *上記のデータは1987年4月20日刊行の初版時のもの。
**2002年7月に新装版刊行(定価5,250円。ISBN4393934695)。