一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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気球はしぼんだが……。

2005-06-14 00:33:20 | Opinion
観測気球はしぼんだ。

「中山文部科学相は13日、都内で記者団に対し、従軍慰安婦に関する11日のタウンミーティングでの発言について『そういう方々が日本人も朝鮮半島出身の方もいっぱいいて、筆舌に尽くし難い苦労をされたことはよく知っている。ただそういう用語はなかったということだ』と述べ、慰安婦におわびと反省を示した政府見解と、立場に違いはないことを強調した。 」(asahi.com : 従軍慰安婦発言、中山文科相が釈明、2005年06月13日19時53分)

しかし、ブログ「かめ?」でgegengaさんの言った懸念、
>この暴言に対する大衆の許容度は、私が思っているよりずっと高いのかもしれない
は、そのまま残っている。

小生も、この国の文部大臣の一連の暴言に対して、快哉を叫ぶ向きがいることを知って、本当に驚いた。
以下、その理由を、やや分析的に捉えてみたい。

「快哉を叫ぶ」ような向きは、ほとんど例外なく「植民地主義」への親和性(〈『博覧会の政治学』を読む。〉で紹介した「コロニアリズム」が持つ「まなざし」)を持っている。

まず、彼らのヴォキャブラリーには、中国あるいは韓国/朝鮮という用語はない。
第2に、第1と関連して、他国/他国民を蔑視する表現に溢れている。
第3は、他者の痛みをまるで理解していない。もし、自らが同じような立場だったら、という想像力すら働いていない。

以上のような特徴は、ここ百数十年の、この国の近代化の中で培われてきた、一般的な風潮なのかもしれない。しかし、それをしも誇るべき「歴史」と「伝統」とか呼べるのだろうか。

大きな原因を考えると、近代日本人の大多数は、結局のところ、「植民地」というのがどのようなものか、本当には分かっていなかったことにあるようだ。そして、現在も同様に。

植民地といったとき、せいぜい認識にあるのは、幕末当時と変らず、日本がもし他国の植民地となれば、国土は奪われ、富は収奪され、人々は「夷狄」に隷属させられる、というものだったのではないのか。
これが被害者としての植民地像だとすれば、一転して自らが加害者となった場合にとる態度も決まってくる。すなわち、他の国土を奪い、富を収奪し、住民を隷属させるというものだ。
このようなある種の「被害妄想」が、日清・日露の両戦争を生んだともいえる。
つまり、欧米諸国の植民地となるのが嫌だから、中国や朝鮮を植民地にしてしまおう、というねじれた判断である。
そして、前述したような態度を、より強化させていく。

一方、領土を拡張、富(資源)を収奪し人民(労働力)を隷属させる、という植民地観しか持ち得ない軍部主流派は、満州へ中国本土へと軍事的侵略を続けていく。そして、建前はともかく実際には、全アジアを西欧の植民地ではなく、日本の植民地とする「大東亜共栄圏」構想にまで突き進んでいくのである。
国民国家を形成する人々も、それを熱狂的に歓迎する。

結果はご存じのとおり。

それでは、現代のわれわれは「植民地」について知るところが多いか?
「鉄道や近代的教育制度などのインフラストラクチャーを整備した、日本の朝鮮支配は善政だった」と放言する馬鹿な政治家に、理論的に反論できる者が、はたしてどれだけいるか?
今、保守リベラリストに、石橋湛山ほどの見識を持った人間のありやなしや?

「過去の歴史に学ばない者は、同じ誤りを繰り返す」のである。

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1 コメント

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トラックバックありがとうございました (gegenga)
2005-06-14 22:24:41
こんばんは。

トラックバック、ありがとうございました。



こういう人たちがいることは知っていたのですが、「ここまで・・・」という驚きがあります。

その辺に関してまとめたエントリーをトラックバックさせていただきました。



どうなるんだろう、この国。
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