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映画「モンゴル」の感想

2008年04月21日 | 映画
浅野忠信さんについては、私は携帯電話のCMで見た印象くらいしかありませんでした。
でも、『モンゴル』がアカデミー賞の外国映画賞にノミネートされたときの浅野さんのインタビューを見て、彼の役者としての真摯な態度や、知的で優しそうな感じが好きになって、『モンゴル』を観にいってきました。
台詞が全編モンゴル語で騎馬のシーンも多く、浅野さんがとても努力なさったことが想像されました。
浅野さんは登場した瞬間から賢者の風格で、その知的で穏やかな雰囲気と、剣で人を切り殺していく様子とにギャップを感じてしまいました。
でも、史上最大の帝国を築いたチスギス・ハーンがこのイメージどおりの人物だったとしたら、闘うための「強さ」と「優しさ」という二つの資質は相反するものではないのでしょう。
チンギス・ハーンの人物像でもう一つ感心したのが、妻への愛情の深さです。
9歳のときに妻を選んだのときの様子は、ただインスピレーションに導かれたという感じで、その数年後に妻を迎えに行くまで二人は会わず、その間も、その後も二人は魂で結ばれているのです。二人の間の細かいエピソードは描かれていませんし、「お前なしでは生きていけない」と言うほどの精神的な結びつつきの根拠は示されていないのですが、妻は夫を救うために他の男に体を許しても心は夫と繋がっているのです。そして、妻と他の男との間に生まれた子ども達を我が子として慈しむチンギス・ハーン。子供を大切にするのは民族の掟でもあり、牧歌的な人間としての器の大きさを感じますが、それがまた闘いという殺し合いとの矛盾を感じさせます。
全編を通してストーリーがとびとびで、細かい説明やエピソードを省き、まるで大河ドラマのダイジェスト版のような印象でした。
その大局的見地から出来事を眺めているような感じは、まるで神の視点のようでした。
チンギス・ハーン自身も空の神に祈り、助けを求め、神の力をかりて、まさに奇跡的な運命をたどっていきます。
雷や雨や自然の風景が、神からの啓示のように表現されています。
雄大な自然の中で繰り広げられる闘いのシーンに生々しさはなく、人間も自然の一部であり「闘い」という営みさえも自然なことのように感じられるほど幻想的に描かれています。
チンギス・ハーンは部族を守るため、民族の掟と品格を守るため、そして自分の信念が正しいと信じて民族を一つにするために闘ったのでしょうか。
それでも、大軍が殺し合いをするシーンには私は共感できませんでした。
かつて日本にも戦国時代があり、今現在も地球上から紛争は絶えません。
闘うことが昔も今も変わらない人間の本能のように思われて、私も神に祈りたい気持ちになりました。




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