ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

映画「この自由な世界で」の感想

2008年12月18日 | 映画
「自由な世界」という言葉から、どんな世界をイメージしますか?
「自由」の意味にもいろいろありますが、私が抱く「自由」のイメージは、開放的で伸び伸び生きられる世界、なんとなく明るい感じの言葉だと思っていました。
でも、この映画で描かれているのは「自由市場」という世界です。

ロンドンで暮らしているシングルマザーのアンジーは、勤めていた職業紹介会社をクビになってしまいます。
理不尽な扱いを受けてきたアンジーは、それならばと自分で職業紹介所を立ち上げます。
バイクに乗って営業先を回り顧客を開拓し自分で道を切り開いていくアンジーの姿は、最初はパワフルでかっこよくて反骨精神にあふれています。
幼い息子と一緒に暮らせるようになるために必死に働くアンジーには、不法移民の家族を救おうとする優しい一面もあったりします。
しかし、競争にさらされ利益を追ううちに、彼女は他者を犠牲にするようになっていきます。
それでも、アンジー自身も豊かにはなれず、相変わらず多額の借金を抱えています。
最初は颯爽としていたアンジーですが、その表情はどんどん険しく目つきはキツくなっていきます。
搾取される側から搾取する側になったアンジーは、ますます他者を犠牲にするようになり、「自由」な道を突き進んでいきます。

自由市場なのは日本も同じで、価格の安さを求めるあまり生産工場を国外に移し、賃金の安い外国の労働者から搾取しているのは私たちも同じなのではないか…。
また、国内においても、ここ数ヶ月の間の雇用状況の急激な悪化と短期雇用の問題点が浮き彫りにされるのを見ていると、自由市場の非情さに、これでいいのかと考えさせられます。
この映画を観たのが半年前ならもっと実感が少なかったかもしれませんが、全世界的に自由経済が崩壊しつつある今では、「自由」という名の残酷さ冷たさに、人間的な温かさを失った不条理を感じました。
搾取される者たちの怒りがアンジーに向かいますが、その怒りは私にも向けられているような気がしました。

自由経済の競争の中を生き抜くには、他人を犠牲にするのは仕方のないことなのでしょうか。
もはや“神の見えざる手”もあてにはならず、このまま自由市場は崩壊するのでしょうか。

搾取される側の痛みを同じ人間として感じないのか。
搾取する者は搾取される者より偉いのか。

そんな問題を突きつけてくる作品です。