中国語学習者のブログ

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于丹《論語心得》 2.心霊之道(1)

2011年05月20日 | 中国文学

 中国師範大学教授・于丹の《論語心得》の第二話は、《心霊之道》というタイトルがついています。現在のような動きの速い、複雑な社会に於いては、一人一人の人が、仕事にせよ、家庭生活にせよ、思い通りにならず、悩むことが多々あります。そんな中、人はどのような心持ちで、世の中と向き合うべきなのでしょうか。現代人の感覚で読み解く孔子の思想、その第二話の始まりです。

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 □ 一人一人の人の一生は、残念なことや思い通りにならないことから免れることはできない。おそらく私達はその事実を改めることはできず、私達が改められるものは、こうした事情に対する態度である。《論語》の精華の一つは、私達に、如何にして穏やかな気持ちで生活中の欠点や苦難と向き合うべきか、教えてくれることである。2500年余り前の《論語》が、本当に現代人の心の中のわだかまりを解いてくれるのだろうか。人生百年、何事も慣れれば悩まずに済むのか。人の一生の中では、いつもこのような思い通りにならない事情に巡り合う。

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□ 孔子には弟子3千人、72人の賢人がいた。こんなに多く弟子がいると、それぞれの家に悩ましい事情もあった。それでは彼らはどのように人生の悩みに対応していたのだろうか。孔子の弟子の司馬牛はある日憂え悲しんで言った。「他の人には皆兄弟がいるのに、一人私だけにはいない!」同じ弟子の子夏が彼をなだめ励まして言った。「商これを聞く。死生に命有り、富貴は天に在る。君子は敬して失わず、人と恭して礼有り、四海の内は皆兄弟也と。君子は何をか兄弟無きを患うや。」子夏は自分の名を“商”と称していた。彼の話はいくつかの段階に分かれている。人の生死や富貴というものは天命に帰する以上、個人では決定できないし、操作することもできない。ならばそれを承認し、且つ順応することを学ばねばならない。しかし誠実で敬虔な心を保ち、自分の言行の過ちを少なくし、他人に対して十分に尊重し、謙虚で礼儀正しくすることは、自分自身の修養を高めることで実現することができる。一人の人間が自分をちゃんと律することができれば、世の中の人々は皆その人を愛し敬うこと自分の手足や兄弟と同じである。だからちゃんと修養を積んだ真の君子は、またどうして兄弟がいないことを憂う必要があろうか。

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□ この話は孔子の口から出たものではないが、《論語》が提唱する一種の価値観念を代表している。つまり、人は先ず人生の遺恨に正確に向き合うことができなければならず、最短の時間内でそれを受入れなければならない。その中でつきまとって、毎回毎回あれこれ問うてはならない。そんなことをしても、苦痛が重くなるだけである。二番目の態度は、できるだけ自分ができることでこの遺恨を補うことである。現実の生活の中の足りないところを認め、自らの努力を通じてこの不足を補うこと、これこそが《論語》が私達に語る生活の欠点に対する態度である。もしある人がこの遺恨を受入れられないなら、どのような結果をもたらすだろうか。ある種の遺恨は、実際たいへん大きく大きく拡大される。遺恨が拡大した結果はどうなるのか。それはインドの詩人で哲学者のタゴールが言うように、「もしあなたが太陽を見失って泣いているなら、あなたは星をも見失うことになるだろう。」

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□ 私は以前ある雑誌の転載記事を見たことがある。そこに書かれていたのは、イギリスの有名なテニス・プレーヤー、ジーン・ギルバートの物語である。この少女は小さい時に一度、思いがけない事故を経験した。ある日、彼女は母親と歯科医に行った。このことは本来些細なことで、彼女はすぐに母親と家に帰れると思っていた。しかし、虫歯は心臓病を誘発することがあることを、私達は知っている。おそらく彼女の母親はそれ以前にこのような隠れた病気を持っていることを診断で発見されたことがなかったのだろう。その結果、少女は人々を驚かせる場面を目にすることになる。彼女の母親はなんと歯科医の手術椅子の上で亡くなってしまったのだ。この暗い影は彼女の心にずっと存在し続けた。或いは彼女は精神科の医師に診てもらおうとは思いつかなかったのかもしれない。或いは彼女はこの心の傷を根本から治療しなければならないとは考えたこともなかったのかもしれない。彼女ができたのは、ひたすら避けること、永遠に避け続けることで、歯が痛くてもずっと歯医者に行く勇気がなかった。後に彼女は有名なスター選手になり、満ち足りた生活を送った。ある日、彼女は虫歯が痛くて我慢できなくなった。家人は彼女に、歯科医に家に来てもらうよう勧めた。私達は病院に行く必要はない。ここにはあなたのプライベートの弁護士がいるし、プライベートの医師もいる。それに、家族全員があなたに付き添ってあげる。それなのにまだ何を恐れるの?そして歯科医に来てもらった。すると意外なことが起こった。正に歯科医が傍らで治療器具を整え、治療の準備をしている時に、ちょっと振り返って見ると、ジーン・ギルバートは既に死んでいた。当時、ロンドンの新聞は、この事件を記述する時に次のような論評を用いた。「ジーン・ギルバートは、この40年間のある念頭により殺された。それは心理の暗示力である」と。一つの遺恨がどんなにまで大きく拡大されたことか。それはあなたの生命の中の一つの暗い影となり、あなたの生命の本質にまで影響を及ぼすのである。

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□ もちろん多くの人が、上のような極端な例に直面するとは限らないが、皆さんは次のような説明を聞いたことがあるに違いない。一人の人が怒ったり悩んだりしている時、ある測定器でその人の吐き出した空気を測定すると、それは灰色で、その中の二酸化炭素量は特別に多いと。したがって、長期間人生に悩んできた人の遺恨は、自分ではそこから抜け出すことができず、一人の人の生命の質に損害を与え得る。生活の中の欠陥から免れることができない以上、どのような態度でこのような欠陥に向き合うかは非常に重要である。心持や態度が異なれば、完全に別の生活の質をもたらすことができる。

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□ ひとつの寓話がある。それによると、ある村にたいへん貧しい少女がいた。彼女は父親を失い、母親と助け合い、内職をしてなんとか生活を維持していた。彼女はたいへん自分を卑下していた。というのは、これまできれいな服や首飾りを身につけたことがないからである。このような極めて貧しい生活の中で、彼女は18歳になった。彼女が18歳のクリスマスに、母親は未だ嘗てなかったことだが、彼女に20ドルを渡し、この金で自分自身のためにクリスマスプレゼントを買うようにと言った。彼女は望外の喜び様であったが、大通りを堂々と歩いて行く勇気が無かった。彼女はお金を握りしめ、人ごみを避けるようにして、塀の隅にへばりつくようにして商店の方に歩いて行った。道々、彼女はどの人の生活も自分より良いと思い、心の中で残念に思うことしきりであった。私はこの村でもっともうだつの上がらない、最もみっともない子供であると。自分が事の他あこがれている青年の姿を見ると、彼女はやっかみの気持ちで、今晩の盛大なパーティーで、誰が彼のダンスのパートナーになるのかしら、と思った。彼女はこのようにしてためらいながら、人ごみを避けつつ商店にやって来た。店の入り口を入るや、彼女は目が刺されたような痛みを感じた。彼女は、カウンターの上に飾られた、特別に綺麗な緞子でできた髪飾りを見たのだった。

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 この寓話は、次回に続きます。この寓話が教えることと、孔子の思想はどのように結びつくのでしょうか。次回をお楽しみに。


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