中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

于丹《論語心得》を読む: 天地人之道(3)

2011年05月14日 | 中国文学

 中国・中央電視台の人気番組、《百家講壇》で放映された、中国師範大学 于丹教授の講演、《論語心得》の原文を読んでいます。是非、ビデオ版の講演で、于丹教授の歯切れの良い、中国語を味わってください。“百家講壇 于丹 論語心得”で検索すると、ヒットするはずです。

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[1] クリックしてください。中国語文と、語句の解説が見られます。
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□[1] これは何と誇らしいことだろうか。一人の人間が富める生活に惑わされることなく、また貧しくとも人としての尊厳と精神の快楽を維持することができるとは。このような儒家思想は継承され、歴史上、多くの精神の豊かな君子が出現した。東晋の詩人、陶淵明はその中の一人である。 陶淵明は83日間だけ彭澤の県令をしたことがある。それはごく小さな官吏であった。そしてある事件により、彼は官を辞して故郷へ帰った。ある人が彼に、上部の役所から人を派遣し仕事の検査に来るので、「束帯して之に見(まみ)え」なければならないと言った。つまり今日と同様、正装し、ネクタイを締めて、上役に会わなければならないと言う。陶淵明は言った。「我、五斗米の為に郷里の小児(田舎のこわっぱ)に向け腰を折る能わず。」つまり、彼はこのような役職の「給料」を守る為に、人にぺこぺこしたくなかった。そこで佩用した官印を置いて、故郷に帰った。家に帰ると、彼は自分の心情を《帰去来の辞》に著した。 彼は言う。「既に自ら心を以て形を役すに、なんぞ惆悵して独り悲しむ。」私の体はもう、心の欲するところに任せることにした。それは、良い物を食べ、良い所に住む為には、人にぺこぺこし、こびへつらわざるを得ず、心に多大な苦痛を受けたからに他ならない。「悟りて、已に往くものは諌めず、来るものは追うべしと知り」(過去のことはとやかく言ってもしかたがない。これから来る未来を追求するべきだと悟り)、そして故郷の田園に帰ってきた。陶淵明の真意は、詩の中に置かれた虚構の田園にあるのではなく、より重要なのは、彼が一人一人の心の中に一片の楽土を拓いたことにある。

■[2]


□[2] 「貧困に安んじて道を楽しむ」というのは、現代人の眼からは、頗る向上心に欠ける感じがする。このような激烈な競争を前にして、全ての人が自分の事業を発展させようと努力しており、収入の多少、職位の高低が、一人の人が成功したか否かの標しになっているかのようである。しかし、競争が激烈であればあるほど、益々精神状態を調整し、他人との関係を調整することが必要になる。それでは、現代社会で、私達はどのような人となりにならなければならないのだろうか。 ここで、また子貢が先生に、たいへん大きな問題を問うた。「一言にして、終身これを行うべきもの有るか。」先生、私に一字で、一生実践することができ、且つ永遠に有益な文字を教えてくださいませんか。先生は相談するような口調で彼に言った。「それ“恕”か。」もし一文字で言うとすれば、それは“恕”という文字であろう。どういうことを“恕”と言うのか。先生はそこで八文字を用いて解釈した。すなわち、「己(おのれ)の欲せざる所を、人に施すこと勿れ。」すなわち、あなた自身がやりたくない事を、他の人にやるよう強制してはならない、ということである。人は一生このことを実践できれば十分である。

■[3]


□[3] どういうことを「半冊の《論語》で天下を治める」というのか。時には一文字か二文字を学べば、一生涯それを用いることができる。これこそ本当の聖人というもので、聖人はあなたにたくさんのことを憶えさせようとはせず、時には一文字憶えれば十分であることもある。 孔子の弟子の曽子も嘗てこう言ったことがある。「夫子の道は、“忠恕”のみ。」先生は一生、学問の精華を学びなさいと言われた。それはつまり、“忠恕”の二文である。簡単に言うと、自己をしっかりと持ち、同時に他人を思いやるということである。 少しかみくだいて言えば、“恕”とは、他人に無理強いしてはならない、他人を傷つけてはならないということである。言外の意味は、もし他人があなたを傷つけても、できるだけ寛容でありなさい、ということである。しかし、本当に寛容であるのは口で言うほど簡単ではない。多くの場合、ある事情は本来もう過ぎ去ってしまっているのに、私達はまだ相変わらずそう思っている。このような憎むべきことを、どうして赦すことができるだろうか。そうして絶えず自分で咀嚼しているうち、一回一回また心が傷つくことになる。

■[4]


□[4] 仏教で一つ、おもしろい話がある。小坊主が老和尚と寺を出て托鉢に行き、川のほとりに来た時、一人の少女が川を渡れず困っていた。老和尚は娘に、「私がおまえをおぶって川を渡ってやろう」と言った。そして少女を背中に背負って川を渡った。小坊主はびっくりして目を見張り、口がきけなくなり、何も言うことができなかった。そうしてまた20里(10キロ)の道のりを歩くうち、我慢できなくなって、老和尚に言った。「お師匠様、私達は出家した者でありますのに、あなたはどうしてあの娘を背負って川を渡ることができたのですか。」老和尚は淡々と小坊主に言った。「ご覧、私はあの娘を背負って川を渡ってすぐ下ろしてやったのに、おまえはどうして20里もそのことを背負ったままでまだ下ろさないのかね。」 この話の道理は、実は孔子が私達に教えていることと同じで、重荷を下ろさないといけない時は下ろし、他人に寛容であれということで、自分の心を大空のように広々と、何のわだかまりもないようにしておきなさいということだ。何の所以(ゆえん)で「仁者は憂えず」と言うのか。あなたの心持ちが無限に大きければ、多くの事が自然と取るに足らない小さな事になるということだ。

■[5]


□[5] 生活の中で、全ての人が失業や、離婚、別居、友人の裏切り、肉親との別離に遭遇する可能性があるが、それが大事か小事か、客観的な基準は無い。このことは、1寸(3.3センチ)の長さのひっかき傷が、ひどい傷か、それともかすり傷と見做すかということと同じことである。もし甘ったれの女の子なら、一週間泣きわめき続けるかもしれない。もし大雑把な男なら、傷を負ってから治るまで、ずっと気付かないかもしれない。だから、私達の内心が甘ったれ「女」のようであるか、それとも大雑把な「男」のようであるかは、完全に自分で決めることができる。実際、《論語》が私達に教えるのは、事に遭遇してそれに対応できるにせよ放置するにせよ、自分の能力を尽くして助けを必要とする人を助けるべきであるということである。いわゆる「人にバラの花を与えれば、手にはその香りが残る」というのは、人に施しをするのは物を手に入れるよりもっと私達の心を幸福感で満たしてくれるということである。

■[6]


□[6] 皆さんがご存じのように、儒家理論の核心で最大の真髄は、“恕”以外にもう一つ、“仁”である。 孔子の弟子の樊遅は、嘗て極めてうやうやしく先生に“仁”とは何であるか尋ねたことがある。先生が彼に告げたのは“愛人”(人を愛せよ)の二文字だけであった。他人を愛することを仁”というのである。樊遅はまた、“智”とは何であるか尋ねた。先生は言った。「人を知ることである」と。他人を理解することを“智慧”という。他人のことに気を配り、愛することが“仁”であり、他人のことを理解することが“智”である。たったそれだけのことである。それでは、どうすれば仁愛の心を持った人になることができるのだろうか。孔子は言った。「己が立たんと欲して人を立たしめ、己が達せんと欲して人を達せしむ。能(よ)く近く譬(たと)えを取る、仁の方(みち)と謂うべきなり。」《論語・雍也》あなた自身が立とうと思うなら、すぐにできると思っても、他人を立たせなさい。あなた自身が理想を実現しようと思うなら、すぐにできると思っても、他人を助けて理想を実現させてあげなさい。自分の身近の小さな事から始めて、他人の身になって考えてやる。これこそ仁義を実践する方法である。

■[7]


□[7]確か大学の英語のテキストに、トルストイが書いた寓話が載っていたことを憶えている。その話というのは、ある国の王が毎日、三つの最も終極的な哲学の問題を考えていた。この世で、どのような人が最も重要であるか。どのような事が最も重要であるか。どんな時に実行するのが最も重要であるか。この三つの問題について、宮廷の大臣の誰ひとりとして、答えられる者がいなかった。彼はたいへん悩んだ。後にある時、彼はお忍びで城の外に出、辺鄙で遠い所まで行き、名も知らぬ老人の家に泊まった。夜中に、彼は騒がしい叫び声に起こされ、全身血だらけの男が老人の家に飛び込むのを見た。その男は、後ろから追手が来ていると言った。老人は、それなら私の所に隠れなさい、と言うと、その男を隠れさせた。国王はびっくりして眠れずにいると、しばらくして追手が来た。追手は老人に、一人の男が逃げて来なかったか聞いた。老人は、知りません、家には他に誰もいません、と答えた。そして追手が行ってしまうと、その追われている男はお礼を言って出て行った。老人は門を閉めると、また寝てしまった。翌日、国王は老人に訊ねた。どうしてあの男をかくまってやったのか。自分が殺されるかもしれないと恐れることがなかったか。そしてああしてあの男を出て行かせ、どうしてあの男がどういう人物なのか聞かなかったのか。老人は淡々と彼に言った。この世で、最も重要な人は今まさに自分の助けを必要としている人で、最も重要な事は直ちに実行することで、最も重要な時間は今で、一刻も遅れは許されない。国王は、はっと悟った。三つの長い時間考えても分からなかった哲学の問題が、あっという間に解決した。この話は、《論語》の脚注にすることができる。

■[8]


□[8] 実際のところ、孔子でも、荘子でも、陶淵明、蘇東坡からタゴールに至るまで、古今の中国内外の聖賢の意義はどこにあるのか。つまり、彼らの生活での体験を用い、私達一人一人にとって有用な道理を導き出しているのだ。これらの道理はあのレンガのような古典典籍ではなく、皆さん方に拡大鏡を持たせ、《辞海》をめくって、たいへん苦労して一生をかけ探究し理解したものである。真の聖賢は、もったいぶった様子で、顔をこわばらせて話をするようなことはしない。彼らは生き生きした人生経験を、時代を越え、今日まで語り伝え、私達の気持を今なお温かくしてくれる。彼らはといえば千古のかなたに居て、何も言わずに微笑み、注視しながら、私達が今も変わらず彼らの話の中から益を受けているのを見ているだけである。

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于丹《論語心得》を読む: 天地人之道(2)

2011年05月11日 | 中国文学

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 □[1] 私たちは、教師が激しい口調で厳しい顔をして、いつも学生達にこれこれをしてはいけないと叱責しているのをよく見かける。それはこの教師がまだ然るべき境地に達していないということで、本当に良い教師というものは、孔子のように、穏やかに学生達と議論しながら、こうした天・地・人の“三才”の共存共栄の関係を充分に説明できる。このようなある種の、落ち着き払って慌てない風格、このようなある種の慎み深く抑えの利いた態度は、実は正に中国人の人格の理想である。西洋と異なり、中国哲学が尊ぶのは、ある種の厳かで、理性的で、優しく重厚な美しさである。《論語》の中での孔子のイメージは、このようなある種の理想の探究の象徴である。孔子のこのイメージには、その内面から導き出されるある種の飽和した力が凝縮されている。この力こそ、後に孟子が説いた「浩然の気」である。天地の気が一人の人の心の中で凝縮された時にのみ、それはこのように強大になることができる。 



 □[2] 《論語》の思想の神髄は、天の大なること、地の厚きことの清華を人間の内心に取り入れ、天、地、人を完全な一体物とし、人間の力をそれにより比類無く強大にしたことにある。私達は今日よく、天の時、地の利、人の和は国家の隆盛、事業の成功の基礎であると言うが、これは《論語》の私達現代人への啓発である。私達は永遠に天地が私達に与えた力を忘れてはならない。何を以て「天と人の合一(一体化)」と呼ぶか。それは人間の自然の中での調和である。私達は調和のとれた社会の建設に努力しているが、本当の調和とは何であろうか。それはただ単に小さな地域の隣近所の調和ではなく、単なる人と人の間の調和でもなく、必ず大地の上の万物が調和し、快適に共に成長することを含まなければならない。人間は自然界の全ての物に、ある種の畏敬の念を払い、それに順応し、ある種の気持ちの通じ合いを持たねばならない。これはある種の力であり、もしこうした力を引き出し、鍛えて作り上げることができれば、私達は孔子のような度量を持つことができる。私達はこのことから、孔子の態度はたいへん公平で、彼の心の中は非常に厳格であったことを知ることができる。それというのも、その中にはある種の強い力があり、それは信念の力であるからである。孔子はとりわけ信念を重んじた人である。



□[3] 弟子の子貢が質問をした。国を安定させ、政治を安定させるには、どういうことが必要ですか。この話は、《論語》の中で「子貢、政(まつりごと)を問う」と呼ばれる。 孔子の答はたいへん簡単で、「兵足り、食足り、民これを信ずる」の三つである。第一に、国家機関は強大でなければならず、十分な兵力による保障がなければならない。第二に、十分な食糧があり、一般大衆が豊かな生活を送れなければならない。第三に、一般大衆が国家を信用しなければならない。 この弟子はひねくれていて、三つは多すぎる、もし一つ削らなければならなければ、先生は先ず何を削りますか、と尋ねた。孔子は言った。「兵を削ります。」私達はこのような武力による保障は必要ない。子貢はまた問うた。もし更にもう一つ削らなければならないなら、先生はどれを削りますか。孔子はたいへん真面目に彼に言った。「食を削ります。」私達はむしろ食事を削ることを良しとします。続いてこう言った。「古(いにしえ)より、皆死すとも、民の信無くんば立たず。」と。 食糧が無ければ、死んでしまうだけで、古より今日まで、死ななかった者がいるか?だから、死が最も怖いものではない。最も怖いのは、国民がこの国への信用を失って後の崩壊と士気の低下である。物質面での幸福な生活は、ただ単に一つの指標に過ぎない。本当に内心から安定を感じ、政権が認可されるのは、信用に基づく。これこそ孔子の政治理念であり、彼は信用力こそ国家をまとめるに足るものと考えた。 



 □[4] 今日、一つの考え方があり、それによると、21世紀にそれぞれの国の人民の生活の良し悪しを判断するのは、もはやこれまでのように単純にGNP(国民生産総額)を指標とするのではなく、更にGNH、つまりGross National Happiness、国民幸福指数をみなければならないと言われている。つまり、一つの国家が本当に強大であるかどうかを評価するのは、単純に国民生産総額の絶対量と成長速度を見るだけではだめで、人民大衆一人一人が心の中で感じていること――安全と感じているか、快適であるか、今の生活を本当に認めているかを見なければならない。我が国は1980年代末に国際的な調査に参加したことがあり、そのデータによれば、当時、我が国の国民の幸福指数は64%前後に過ぎなかった。1991年に再び調査に参加すると、この幸福指数は上昇し、73%前後に達した。これは物質的な生活条件の向上と、多くの改革措置の実施の賜物である。しかし1996年に再び調査に参加すると、この指数が68%に低下した。この結果は、人々を困惑させた。このことは、たとえ社会の物質文明が極度に繁栄したとしても、この文明の成果を享受する現代人には、依然として極めて複雑な心の迷いが存在する可能性があることを示している。



□[5] 私達は2500年余り前に戻り、当時の物資が乏しかった時代、当時の聖人や賢人がどのようであったか見てみよう。孔子が最も好きだった弟子を顔回という。彼はこの弟子を褒めてこう言った。「賢なるかな、回は。一箪の食、一瓢の飲。陋巷に在り、人は其の憂いに堪えず。回は其の楽を改めず。賢なるかな、回は。」(《論語・雍也》)つまり、顔回の家はたいへん貧しく、着るものも無く食べ物も少なく、たいへん粗末な路地の奥で暮らしていた。このような辛い生活は、他の人にはまったく我慢できないものだったが、顔回は逆にそれを楽しむことができた。ひょっとすると多くの人がこう言うかもしれない。生活というものは、貧しき日々も富める日々も訪れるだろうが、それにどう対応したらよいだろうか。顔回は本当に人を感服させた。それは決して彼がこのような苦しい生活の境遇を我慢できたからではなく、彼の生活態度に依る。全ての人がこのような生活は苦しく、嘆き悲しみ、不平を言っている時、顔回はその楽観的な態度を変えなかった。本当の賢者のみが、物質的な生活に縛られることなく、心持がそのようにあっさりと無欲で、穏やかな気持ちを保つことができる。なるほど、誰しも苦しい生活は望まないが、単純に物質的に極めて豊かであることによっても、同様に心の問題を解決することはできない。私達の物質面の生活は明らかに向上したが、多くの人が益々不満を持つようになった。それというのも、周囲には俄か成金の階層が存在し、総じて自分と釣り合いのとれない事も見受けられるからである。



□[6] 実際、人の視力には、二つの機能がある。一つは外に向かい、無限に幅広く世界を切り開く。もう一つは内に向かい、限りなく深刻に心の内を見つめる。私達の眼は、総じて外界を見ることは多いが、心の内を見ることが少なすぎる。孔子は私達に快楽の秘訣を教えてくれる。それはつまり、如何に心の内の安寧をさがし出すかということである。人々は幸福で快楽な生活を送ることを望むが、幸福で快楽であるというのはある種の感覚に過ぎず、貧富とは無関係で、心の内面と関連がある。《論語》の中で、孔子は弟子たちにどのように生活の中の快楽をさがすべきかを語っている。こうした考えは伝承され、歴史上多くの著名な文人や詩人に対し大きな影響を与えた。子貢が先生に尋ねた。「貧にして媚びず、富んで驕らざるは、如何。」ある人はたいへん貧しいが、金持ちにこびへつらわない。金持ちだが、横柄な態度で人を侮るようなことがない。これはどうだろうか。先生は言った。悪くない。しかしまだ不十分だ。もう一つ高い境地がある。それは、「貧しくて楽しみ、富みて礼を好む者なり。」より高い境地というのは、貧しさに安んじるだけでなく、こびへつらって人に援助を求めることがないだけでなく、心の中にある種の清らかな喜びを抱くことである。こうした喜びは、貧しい生活によって奪い去られることがなく、金があっても驕り高ぶり、贅沢の限りを尽くすということがなく、こうした人は、依然として心の内に喜びと豊かさを持ち、雅やかで礼儀正しい君子である。


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于丹《論語心得》を読む: 天地人之道(1)

2011年05月06日 | 中国文学

  中国では、数年前から《論語》ブームが起きています。所得が増え、街に物が溢れるようになると、次に求められるのは、精神的な豊かさということになるのでしょう。この《論語》ブームの火付け役が、中国師範大学の女性教授、于丹です。

“心得”とは、学習の結果、会得すること。“論語心得”とは、《論語》を現代人の目線で読み解く、ということで、本当の豊かさとは何か、何の為に働くか、そうした現代人の疑問にぴったり答えることができたことが、このブームにつながったのだと思います。

ところで、ご存じの方も多いでしょうが、《論語》の“論”は、“lun2”と2声で発音されます。4声ではありません。“lun2”と発音するのは“論語”の時だけで、一字で“lun2”と言うだけでも、“論語”の略称になります。

 

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[1]
 宋代の建国の宰相、趙普は、自分は《論語》半冊だけで天下を治めていると標榜したことがある。そこから、《論語》が昔の社会や政治の中で発揮した巨大な作用と、昔の人の《論語》に対する尊敬を理解することができる。この、嘗ては国を治める根本と称された《論語》は、現代の社会、現代人の生活にとって、どのような実際の意義を持っているのだろうか。皆さんは、孔子の《論語》は高尚過ぎて自分たちの及ぶところではなく、現在の我々はこれを仰ぎ見なければならない、などと思ってはならない。この世の中の真理は、永遠に純朴なもので、太陽が毎日東から昇るのと同じであり、春になれば種を播き、秋になれば収穫するのと同じである。



[2] 《論語》が皆さんに訴えるものは、永遠に最も簡単なものである。《論語》の真の意味は、どうしたら私たちの心が欲する快適な生活を送ることができるかを、皆さんに語ることである。わかりやすく言うと、《論語》は私たちが如何にして現代の生活の中で心の安らぎを得、日常の秩序に適応し、個人のあるべき基準を見つけるかを教えてくれる。




[3] それは、次のような一冊の語録である。2500年余り前、孔子が教鞭をとり生活する中でのごく一部のことを、弟子達が切れ切れに記録したものである。これら講義の筆記を主とする記録が彼の弟子達によって集められ編纂され、後に《論語》となった。《論語》には、厳密な論理性が無く、多くが事実に即して論じられ、その中には長篇の論説はほとんど無く、語録の一つ一つが簡単で短い。しかし実は、無言も一種の教育なのである。



[4] 子曰く、「天は何をか言わんや。四時行きて、百物生じる。天何をか言わんや。」(《論語・陽貨》)孔子は弟子達に言った。「ご覧、お天道様は空の上に在って、静かで厳かで何も言わないが、四季は移ろい、万物は成長する。お天道様はまだ何か言う必要があるのだろうか。」




[5] 皆さんがご存じのように、孔子には弟子が3千人おり、そのうちの72名は賢人であった。彼ら一人一人が一粒の種であり、あの生活態度、生活の智慧を広く伝播した。



[6] 私たちは、孔子は聖人であると言う。聖人とは、彼が生活する土地で最も行動力があり、最も人格的な魅力のある人物である。“神聖”神聖と言うが、“神”とは基本的に天空近くにいる人で、李白のような人物である。“聖”とは地面の近くにいる人で、杜甫のような人物である。孔子“聖人”が私たちにもたらしたのは、大地で生み育てられた信念であり、彼のような人は必ずや私たちの生活の中で自然に生み育てられ、また生まれ変わってきたものであるに違いなく、空から舞い降りてきたのではない。



[7] 中国の創世神話では、盤古(ばんこ)が天地を開闢したが、この開闢は、西洋の神話が語るような突然の変化ではない。例えば、大きな斧を手に持ち、パン、と割ると、金色の光が放たれ、様々な天地万物が現れる、というのは、中国人が叙述する情感とは異なる。




[8] 中国人がよくする叙述は、《三五歴紀》の描写のように、ゆったりと、穏やかで、憧憬するに値する長い長いプロセスである。天と地の混沌たること、鶏の卵のようで、盤古はその中で生まれ、18千年が過ぎた。天地が開闢し、陽気は清らかで天となり、陰気は濁って地となった。盤古はその中に居て、一日九回姿を変え、その智慧は天を上回り、能力は地を越えた。天は毎日一丈高くなり、地は毎日一丈厚くなり、盤古は毎日一丈背が高くなった。18千年後、天はたいへん高くなり、地はたいへん深くなり、盤古の背はたいへん高くなった。この話は、最初は「天地の混沌たること鶏の卵の如し」と言い、盤古はその中で18千年じっとしていた。後に、天と地が分かれるが、それは一つの固体が「パン」と真ん中で分裂するのではなく、二つの気体が次第に分裂し、「陽清の気」は上に昇って天となり、「陰濁の気」は下降して地になった。これは天地開闢の完成ではなく、こうした成長がたった今始まったのである。




[9] 中国人は変化を重んじる。盤古は天地の間で「19回変化した」とあるが、ちょうど生まれたばかりの赤ん坊が、毎日微妙に変化していくようなものだ。こうした変化は、最後には一つの境地に達する。それが、“神于天、聖于地” (智慧は天を上回り、能力は地を越える)である。この6文字は、実は中国人の人格の理想像である。理想主義の天空を持ち、自由に飛び回り、現実世界のたくさんの規則や障碍に妥協しない。しかも、地に足のついた能力があり、この大地の上で自分の行為を広く展開することができる。理想はあるが土地の無い人は、夢想主義者であって理想主義者ではない。土地はあるが天空の無い人は、実務主義者であって現実主義者ではない。理想主義と現実主義こそが私たちの天と地である。




[10] 盤古の変化はなお継続し、このお話は次にこう語られる:天地開闢の後、天は毎日一丈高く昇り、地は毎日一丈厚みを増し、盤古も「日に一丈伸び」、天地といっしょに成長を続けた。このようにして18千年が過ぎ、最後には「天の高さはたいへん高く、地の厚さはたいへん深く、盤古はたいへん背が高くなった」。人の意味と、天と地は同じもので、“天・地・人”は“三才”と並び称される。それゆえ、孔子から見て、人は敬い重んじるに値するもので、人はまた自らを重んじなければならない。



[11] 《論語》を読んで、私達は次のことを発見する。孔子は弟子達を教育する時、顔をこわばらせ言葉を荒げることが少なく、彼はいつも穏やかに、順序立って教え導き、人と議論する口ぶりである。これが孔子の教育の態度であり、儒家の一種の態度である。

 

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“天地人之道”とは、要するに人間としての生き方、人と人との接し方は如何にあるべきか、ということがテーマです。次回は、この続きを読んでいきたいと思います。





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