中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

最近の新聞記事から: CPI、PPI、及び“権数”について

2011年02月21日 | 中国語でどう言うか?


 最近、中国ではインフレ、物価上昇が話題になっています。国家統計局の2011年1月の物価統計指標が発表されましたが、その中で、気になったことばを拾ってみましょう。

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         国家統計局有責負責人表示: CPI権数不存在“人為圧低” 【熱点聚焦】
       1月CPI比去年同期漲4.9%低于預期  権数構成調整后誤差較小銜接較好
                        本報記者 鄭娜
            2011年02月16日 来源:人民網《人民日報海外版》

■ 国家統計局2月15日上午発布的1月份経済数据顕示,1月份全国居民消費価格指数(CPI)為104.9,比去年同月上漲4.9%,低于市場預期。1月份全国工業生産者出廠価格(PPI)比去年同月上漲6.6%,漲幅有所拡大。圍繞CPI的一些熱点問題,国家統計局城市司負責人進行了解読。

 先ず、“CPI”です。
 CPIというのは、[英]Consumer Price Indexの略、
・日本語: 消費者物価指数
・中国語: 全国居民消費価格指数

 これに対し、生産者物価という指標があり、こちらは“PPI”です。
 PPI: [英]Produce Price Index
    [日]生産者物価指数
    [中]全国工業生産者出廠価格

* 通常、PPIはインフレ率(物価上昇率)の判断に用いられ、日本の「卸売物価指数」に近い統計である。日本の卸売物価は輸送費や流通マージンを含んだものになっているのに対して、PPIは生産者の出荷時点での価格を対象としたものになっている。

という解説がありました。

 もうひとつ、気になったことばが“権数”です。

■ 権数構成調整后誤差較小銜接較好

 “権数”を手元の中日辞典で引くと、「臨機応変の知恵、機知」という訳が載っていましたが、どうも意味が違うようです。

  そこで、中国語検索サイトの《百度百科》で調べてみると:

・権数 quan2shu4 本来は、権力を掌握するための技術や要領。権謀や策略(=権術)の意味。統計学では、“権数”とは各項目の全体の中での比重を表す数値を言う。

 したがって、“権数構成”とは、物価を指標化するための統計品目の「比重」構成のことだと分かります。つまり、統計品目の数値を指標化する際の比重に調整が加えられたのですね。

 実際、本文記事に、次のような記述がありました。

■ 其中,最令人関的変化是CPI権数構成的調整。根据2010年全国城郷居民消费支出調査数据以及有関部門的統計数据,国家統計局対CPI権数構成進行了相応調整。其中居住提高了4.22个百分点,食品降低了2.21个百分点,煙酒降低了0.51个百分点,衣着降低了0.49个百分点,家庭設備用品和服務降低了0.36个百分点,医療保健和個人用品降低了0.36個百分点,交通和通信降低了0.05個百分点,娯楽教育文化用品及服務降低了0.25個百分点。

 そのうち、最も人々に関係のある変化はCPI比重構成の調整である。2010年の全国の都市、農村の消費支出調査データ、及び関係部門の統計データによれば、国家統計局はCPI比重構成に相応の調整を行った。そのうち、住居費は4.22%上昇、食品は2.21%低下、酒・タバコは0.51%低下、衣料は0.49%低下、家庭用設備機器及びサービスは0.36%低下、医療保険及び個人用品は0.36%低下、交通及び通信は0.05%低下、娯楽・教育・文化用品及びサービスは0.25%低下した。

 さて、もう一度、次の文をみましょう。

■ 権数構成調整后誤差較小銜接較好

“銜接”の意味ですが、

・銜接 xian2jie1 つながる。関連している

 つまり、統計品目の比重構成調整した後、当然以前の指標の数値と誤差が出ますが、その誤差を比較的小さく抑え、それにより以前の数値とのつながりが比較的良くなった、という訳です。

 これについては、本文の記述では、こうなっています。

■ 一是利用2011年新的権数構成和2010年已発布的CPI八大類別価格指数,対2010年各月的環比和同比価格総指数分別進行了測算,測算結果与已発布的価格総指数基本一致,誤差較小、銜接較好。

・環比 huan2bi3 前月比
・同比 tong2bi3 前年同月比
・測算 ce4suan4 推測し計算する。推計する。

 一つには、2011年の新たな比重構成と、2010年の既に発表されたCPIの八大分類別の価格指数は、2010年の各月の対前月比と前年同月比の価格総指数について、個別に推計をし、推計した結果と既に発表した価格総指数は基本的に一致し、誤差は小さく、つながりも良い。

 国家統計局城市司 “司”は国務院各部(日本の省に相当)の行政単位で、「局」に当たります。

 したがって、表題と本文の第一節を訳すと、こうなります:

     国家統計局責任者表明: CPIの比重調整には「人為的な引下げ」は存在しない
                       【話題の焦点】
     - 1月のCPI(消費者物価指数)は前年同期より4.9%上昇、予測を下回る
     - 比重構成調整後の誤差は小さく、つながりも良い

 国家統計局が2月16日午前に発表した1月の経済指標によれば、1月の消費者物価指数(CPI)は104.9で、前年同月より4.9%上昇したが、市場予測を下回った。1月の生産者物価指数(PPI)は前年同月より6.6%上昇、上昇幅は拡大した。CPIに関わる若干の話題の問題は、国家統計局都市局の責任者が分析を進めた。

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 この記事は、《人民日報》の【熱点聚焦】(話題の焦点)というコラムに掲載されました。

・熱点 re4dian3 話題。ホットな問題。
・聚焦 ju4jiao1 焦点、ピント(を合わせる)


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《雲郷話食》を読む: 春盤故事・咬春(春のプレートの話・春を食べる)

2011年02月20日 | 中国グルメ(美食)


 今年も、立春を過ぎて俄かに春めいてきました。この季節、春を感じるために昔の中国(特に北方)で食べられたのが生野菜を薄餅(バオビン。小麦粉を練って薄く延ばして焼いたもの)で巻いた、“春餅”(チュンビン)です。生野菜の細切りを並べたひと皿を“春盤”、「春のプレート」と言い、これらを食べることを“咬春”、「春を食べる」と言います。春の訪れを表現する、たいへん美しいことばだと思います。

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■ 正月里吃春盤、春餅,在旧時是北京人生活中的大事。清初陳維《陳検討集》記都門歳時道:

     立春日啖春餅,謂之咬春;立春后出游,謂之討春。

・都門 du1men2 “門”には一族、家、家庭の意味がある。ここでは、都の家庭、の意味。
・啖 dan4 [書面語]食う。食わせる

 正月に“春盤”(春のプレート)、“春餅”(チュンビン)を食べることは、昔は北京の人々の生活の中の重要行事であった。清の初め、陳維は《陳検討集》で都の家庭の歳時を記載してこう言っている:

   立春に“春餅”を食べることを、“咬春”(春を食べる)と言う。立春の後、ピクニックに出かけることを、“討春”(春を求める)と言う。

■ 這就是北京綿綿数百載,為迎春而薦春盤,吃春餅的風俗習慣。這個風俗,早在一千年前的唐代就很普遍了。《四時宝鑑》記云:

     立春日,都人做春餅,生菜,号春盤。

・綿綿 mian2mian2 [書面語]綿々と。長く続いて絶えないさま。

 これは北京で綿々数百年続く、春を迎えるために春盤を勧め、春餅を食べる風俗習慣である。この習慣は、早くも一千年前の唐代には普及していた。《四時宝鑑》の記載に言う:

   立春の日、都の人は春餅を作り、生野菜は、“春盤”と呼んだ。

■ 一千多年来,一直綿延到今天,也還有人做春餅吃,可見人們対于生活中有情趣的事,是多麼依依不捨地熱愛着呢。

・依依不捨 yi1yi1bu4she3 “依依”は名残を惜しむさま。“依依不捨”で別れを惜しむ。

 一千年余り、ずっと連綿と今日まで、人々は春餅を作り、食べてきた。ここから、人々の生活の中の情趣に満ちた事に対し、こんなにも名残惜しげに愛着を持ってきたことが分かる。

■ 吃春餅要有両様東西:一是春盤,二是春餅。

 春餅を食べるには、二種類のものが必要だ。一つ目は春盤、二つ目は春餅である。

■ 先説春盤。乾隆時《上書房消寒詩録》所收叶国観《咬春詩》云:

     暖律潜催臘底春,登筵生菜記芳辰;
     霊根属土含氷脆,細縷堆盤切玉。
     佐酒暗香生匕夾,加餐清響動牙唇。
     帝城節物郷園味,取次関心白髪新。

・匕 bi3 本来は、匙の意味。ここでは後に“夾”(はさむ)とあるので、箸や匙の類のことだろう。

 先ず春盤(春のプレート)のことを言おう。清・乾隆帝の時、《上書房消寒詩録》に収められた叶国観の《咬春詩》に言う:

   暖かさの足音が秘かに歳末の季節の底に潜む春を促し、宴会に出てきた生野菜が芳しい時節の到来を現わしていた。
   根菜は土から取ったばかりで薄い氷が付いている。細く切って皿に並べられた様子は玉(ぎょく)を均等に切り揃えたかのように瑞々しい。
   酒の肴を箸でつまむと仄かに生気が香り、追加された野菜を皆が食べている音が清らかに響き渡る。
   都の季節の到来物は故郷の味がする。次の関心事は老いた白髪に黒いものが生えてくるかどうかだ。

■ 一句話,所謂春盤,第一就是要有生菜,尤其是要有生蘿蔔、白菜心,還可以用如《北京歳華記》所説的一瓜之値三金的鮮黄瓜。還有暖洞子培的黄芽韭也少不了的。高士奇詩云:

     咬春蘿蔔同梨脆,処処辛盤食韭芽。

 一言で言うと、いわゆる春盤とは、第一に生野菜がなければならず、とりわけ生のダイコン、白菜が必要で、また《北京歳華記》で言うところの「一瓜の値三金」の新鮮なキュウリがあればなお良い。また温室で育てられた黄ニラも欠かすことができない。高士奇の詩に言う:

    春のダイコンを食べると梨のようにサクサクしている。あちこちでピリッと辛い春盤で黄ニラを食べている。

■ 并自注云:“黄芽韭初生最為美品。”這些都是給春盤増加無限春意的生菜。第二這些菜都要切成細絲。再加緑豆芽、開水焯過的緑菠菜,葷腥物醤鶏絲、白鶏絲、肚絲、蛋皮絲等等,以及醤肉(切成絲)、咸肉絲和在一起,故又叫作和菜。明末劉若愚《酌中志》云:

     立春之時,無貴賤皆嚼蘿蔔,名曰咬春。互相請宴,吃春餅和菜。
   又云:
     初七日,人日,吃春餅和菜。這和菜就是春盤。

・焯 chao1 野菜をさっとゆでること。
・和 huo2或いはhuo4 捏ねる。混ぜる。一般に粉や水を混ぜる時に使う。普通、和えものを和える時は“拌”ban4を使う。

 その注釈でこう言っている。「黄ニラは芽が出たばかりのものが美味しい。」これらは春盤に無限の春の息吹を増す生野菜である。第二にこれらの野菜は皆細切りに切られていなければならない。更にもやし、お湯でさっとゆでたホウレンソウ、肉類では醤油で煮た鶏の細切り、素茹でした鶏の細切り、豚の胃袋の細切り、薄焼き卵の細切りがあり、醤油煮の肉(細切りにする)、塩漬けベーコンの細切りといっしょに和える。それで“和菜”、「和えもの」と呼ぶのである。明末の劉若愚の《酌中志》に言う:

     立春の時、身分の高い者も卑しい者も皆ダイコンを食べるが、それを“咬春”と言う。互いに宴席を開いて招待し合い、春餅(チュンビン)と野菜の和えものを食べる。
   また言う:
     正月七日を“人日”と言い、春餅と野菜の和えものを食べる。この野菜の和えものが“春盤”である。

■ 春餅就是薄餅,即全聚吃烤鴨時的那種薄餅,又名荷葉餅。不過家中做比店中好,面粉和的軟些,和好過一会儿再做。用両小塊水面,揉一揉,按按扁,中間抹些油,用扞面杖扞成薄餅,在平底鍋子上烙,時間不長,両面対翻之后,即発出餅香,熟了。拿在手中,軽軽一拍,因中間有油,自動分開,又可掀成両張。抹一点醤,把盤中的生、熟菜絲卷入餅中,便可大快朶頤了。家中吃時,春餅可以一辺烙、一辺吃,餅又熱、又軟、又香,不要説吃,就是這様説説,也口角生津了。吃過春餅,表示厳冬已去,燕台的春天又来了。

・扞 gan3 棒でものを延ばす
・扞面杖 gan3mian4zhang4 めん棒
・烙 lao4 フライパンや鉄板を熱して焼くこと。普通、“餅”(ビン=小麦粉を捏ねて薄く延ばしたもの)を焼くことを“烙餅”と言う。
・掀 xian1 めくり上げる
・大快朶頤 da4kuai4duo3yi2 “大快”は痛快に思うこと。“頤”は下顎のこと。“朶”は量詞。美味しくて、思わず顔がほころぶこと。
・口角 kou3jiao3 口もと。ちなみに、“口角”はkou3jue2と発音すると、口喧嘩する、口論する、という意味になる。
・生津 sheng1jin1 生唾が出てくる
・燕台 yan4tai2燕台とは、戦国時代、燕国の都、薊を見下ろす高台の名前だが、ここでは広く北京周辺の意味。

 春餅は薄餅(バオビン)で、すなわち全聚で北京ダックを食べる時のあの薄餅がそうで、またの名を“荷葉餅”(ハスの葉の形の“餅”(ビン))と言う。家で作ったものの方が店のものより美味しい。小麦粉を柔らかく捏ねてあり、捏ねてしばらく置いてから作る。捏ねた小麦粉の小さな塊りを二つ、少し揉んでから、押しつけて平たくし、二つの間に油を塗って重ね、めん棒で延ばして薄い餅(ビン)にし、平底鍋で焼いてやる。時間はあまり長くなく、両面をひっくり返して、よい香りがしてきたら、焼き上がりである。手に取って、軽く叩いてやると、間に油が塗ってあるので、勝手に剥がれてくる。或いはめくり上げて二枚にしてもよい。味噌を少し塗って、皿の中の生野菜や肉の細切りを餅で巻いて、頬張ると思わず顔がほころぶ。家で食べる時は、春餅は焼きながら食べると、餅は熱々で、柔らかく、良い香りがして、何も言わなくても、このように言っただけで、口もとに生唾が湧いてくる。春餅を食べれば、厳しい冬はもう過ぎ去り、北京の春がまたやって来たことを表す。

■ 我久在外地,几十年中,很少回京華度歳。有一年有事正月里回京,下車之日,正好是正月初七,便戯写《浣溪沙》小令云:

     稍怯余寒刺面酸,試灯期近政堪怜,西山如夢月依弦。
     喜得帰車人日酒,犹思剪韭薦春盤,風城賦餅記団栾。

・浣溪沙 huan4xi1sha1 上下三つの七言句、計42文字から成る詩の形式。元々は唐代に教坊(音楽を司る役所)で作られた曲の名で、西施が若耶溪で薄衣(紗)の着物を洗った(“浣沙”)ことを歌ったもの。
・小令 xiao3ling4 元曲の一種で、民間の俗謡や民謡を取り入れたもの
・団栾 tuan2luan2 [書面語]丸い月

 私は長い間外地に居て、数十年の間、ほとんど北京に帰って年末年始を過ごしたことがない。ある年、用事があったので正月に北京に帰った。車を降りた日が、ちょうど正月七日であったので、戯れに《浣溪沙》の小令を書いた:

   春とはいえまだ寒く、冷風で顔が痛くならないか心配だ。元宵節が近づき家の細々とした事もなんとか片付けた。ふと西山の方を見ると三日月がぼんやりとかかっている。
   喜々として家に帰りつけば、今日は人日(正月七日)の宴会だ。ニラを忘れずに切って入れたかどうか心配しつつ、春盤の野菜を勧める。《風城賦》では餅(ビン)は丸い月のようだと詠まれていたが(残念ながら今は三日月だ)。

■ 詞中用的就是春盤、春餅和束皙《餅賦》的典故。杜少陵詩云:“春日春盤細生菜。”即是。

・典故 dian3gu4 典故。故事。[用例]使用典故:故事を引用する

 この詞の中で用いた春盤、春餅は、西晋の束皙の《餅賦》の故事に基づく。杜少陵の詩に言う、「春になり、春盤には細く切った生野菜が盛られている」がそれである。

■ 這古老的風俗遠自唐代就有了,這該是多麼富有生活情趣的風俗啊!它反映了我国古代労働人民対生活藝術的講究。我們不能数典忘祖,漠視這些古老的風俗,而応対它寄予応有的珍視才対。

・数典忘祖 shu3dian3wang4zu3 [成語]典籍を数え並べる時、自分の祖先が“司典”であったことを忘れる、ということから、物事も根本を忘れる譬え。或いは自国の歴史を知らない譬え。“典”とは典籍で、古代の法制を記載した書物。“司典”は典籍を司る官名である。
・漠視 mo4shi4 無視する。軽視する。(“漠視”はわざと冷たく対処することを言う)
・珍視 zhen1shi4 珍重する。大事にする。

 この古い風習は遥か唐代にはもう存在しており、なんと生活の情緒に富んだ風習であろう!これは我が国古代の労働人民が生活芸術を重視していたことを反映している。私たちはこうした歴史を忘れてはならず、古い風習を軽視してはならない。それに対して然るべく大切にするべきである。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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【対訳】老舎《出口成章》を読む: 人物、語言及其他(1)

2011年02月16日 | 中国文学
 今回の講演では、老舎は、小説や芝居で、人物を書くことの重要性を訴えています。ついつい、ものを書く時は、事件や事物の描写を中心に考えがちですが、実はその考えは間違っていて、人物の行動、心理描写、成長を中心にして、その背景に事件や事物を埋め込むべきだというのです。

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■ 短篇小説很容易同通訊報道混淆。写短篇小説時,就像画画一様,要色彩鮮明,要刻画出人物形象。所謂刻画,并非指花紅柳緑地冗長的描写,而是説,要三言両語勾画出人物的性格,樹立起鮮明的人物形象来。

・通訊 tong1xun4 通信、ニュース。
 (本来は、“通信”は主に手紙による通信を指すのに対し、“通訊”は無線やTVなど含め幅広い内容の通信を指す)
・混淆 hun4xiao2 混同する。混淆(こんこう)する。
・刻画 ke4hua4 描写する。浮き彫りにする。
 (“描写”は人物だけでなく、景色や風物なども指すのに対し、“刻画”は専ら人物像や人の性格を表す場合に使う)
・花紅柳緑 hua1hong2liu3lv4 [成語]花が咲き、柳が緑の芽をふく。春の情景を表現する決まり文句。
・冗長 rong3chang2 冗長である。くどくて長い
・三言両語 san1yan2liang3yu3 [成語]二言三言。わずかな言葉の形容。
・勾画 gou1hua4 簡単に輪郭だけを描く。スケッチする。

  短編小説はニュース報道とたいへん混同され易い。短編小説を書く時は、絵を描くのと同じように、色彩を鮮明にし、人物のイメージを描写しなければなりません。いわゆる“描写”というのは、決して「花が咲き柳が芽吹いた」というようにくどくどと描写するのではなく、二言三言で人物の性格をスケッチし、鮮明な人物のイメージを打ち立てることを言います。

■ 一般的説,作品最容易犯的毛病是:人物太多,故事性不強。《林海雪原》之所以吸引人,就是故事性極強烈。当然,短篇小説不可能有許多故事情節,因此,必須選択了又選択,選出最激動人心的事件,把精華写出来。写人更要這様,作者可以虚構、想像,把很多人物事件集中写到一両個人物上,塑造典型的人物。短篇中的人物一定要集中,集中力量写好一両個主要人物,以一当十,其他人物是囲繞主人公的配角,適当描画几筆就行了。無論人物和事件都要集中,因為短篇短,容量小。

・虚構 xu1gou4 フィクション
・以一当十 yi3yi1dang1shi2 [成語]一をもって十に当たる。寡をもって衆に当たる。一騎当千。
 (主に軍隊が勇猛果敢であることを言う)
・囲繞 wei2rao4 取り囲む。取り巻く。
・配角 pei4jue2 脇役

 一般的に言って、作品が最も犯しやすい誤りは:人物が多過ぎ、ドラマ性があまり強くないことです。《林海雪原》が人を惹きつけるのは、ドラマ性が極めて強烈であるからです。もちろん、短編小説に多くのストーリーや内容を盛り込むことはできません。ですから、選択に選択を重ね、最も人の心を動かす出来事を選び、そのエッセンスを書くことです。人を書く時はなおさらこのようにしなければならず、作者はフィクションや想像で、多くの人物の出来事を一人か二人の人物の身に集中させることで、典型的な人物を形作ることができます。短編の中の人物は必ず集中しなければならず、集中した力で一人か二人の人物をうまく描き、一騎当千、その他の人物は主人公を取り巻く脇役で、適当に幾筆か描いておけばよいのです。もちろん人物や出来事が如何に集中していようと、短編は短く、容量の小さなものです。

■ 有些作品為什麼見物不見人呢?這原因在于作者。不少作者常常有一肚子故事,他急于把這些動人的故事写出来,直到動筆的時候,才想到与事件有関的人物,于是,人物只好随着事件走,而人物形象往往模糊、不完整、不够gou4鮮明。世界上的著名的作品大都是這様:反映了這個時代人物的面貌,不是写事件的過程,不是按事件的発展来写人,而是譲事件為人物服務。還有一些名著,情節很多,読過后往往記不得,記不全,但是,人物却都被記住,所以成為名著。

・見物不見人 jian4wu4bu4jian4ren2 [成語]物的要因だけ見えて、人的要因が見えないこと

 作品の中には、物は見えても人物の見えてこないものがあるのはどうしてでしょう。この原因は作者にあります。多くの作者はいつも腹一杯のお話を用意していて、焦って人を感動させるストーリーを書こうとして、これからペンを走らせようという段になって、ようやくその出来事に関係する人物のことを考えます。登場人物は出来事に沿って行動せざるを得ず、人物のイメージはしばしばぼんやりとして、不完全で、あまり鮮明ではありません。世界の著名な作品は、大抵その時代の人物のイメージを反映していて、出来事の過程を描いたり、出来事の進展に沿って人物を描くのではなく、出来事を人物に従属させます。またいくつかの名著は、内容がたいへん多くて、読んだ後、しばしば話の筋が憶えられないか、完全には憶えられませんが、登場人物はよく記憶に残っており、それゆえ名著となっているのです。

■ 我們写作時,首先要想到人物,然后再安排故事,想想譲主人公代表什麼,反映什麼,用誰来陪襯,以便突出這個人物。這里,首先遇到的問題:是写人呢?還是写事?我覚得,応該表現足以代表時代精神的人物,而不是為了別的。一定要根据人物的需要来安排事件,事随着人走;不要叫事件控制着人物。譬如,关于洋車夫的生活,我很熟悉,因為我小時候很窮,接触過不少車夫,知道不少車夫的故事,但那時我并没有写《駱駝祥子》的意図。有一天,一個朋友和我聊天,説有一個車夫買了三次車,丢diu1了三次車,以致悲惨地死去。這給我不少啓発,使我聯想起我所見到的車夫,于是,我决定写旧社会里一個車夫的命運和遭遇,把事件大乱,根据人物発展的需要来写,写成了《駱駝祥子》。

・陪襯 pei2chen4 引き立て役
・啓発 qi3fa1 啓発(する)。示唆(する)。ヒントを与えて悟らせる
・遭遇 zao1yu4 境遇。(生活上の)不遇、不運。
 (動詞として使う場合は、不幸なことに出くわす、という意味だが、名詞の場合は、不幸な境遇という意味になる)

 私たちは創作の時、先ず登場人物のことを考え、それから出来事を組合せます。主人公に何を代表させ、何を反映させ、誰を引き立て役に使って、この人物を突出させるか考えます。ここで先ず出くわす問題は、人を書くのか、出来事を書くのかです。私は、時代の精神を代表するに足る人物を表現しなければならず、他のことのためではないと思います。必ず人物の必要に基づき出来事を考え、出来事は人物につき従って展開しなければならず、出来事に人物をコントロールさせてはなりません。例えば、人力車夫の生活を私はたいへんよく知っています。というのも、私は小さい時たいへん貧しくて、多くの車引きと付き合いがあったので、たくさんの車引きの話を知っているのです。でも、当時私は別に《駱駝祥子》を書こうという意図はありませんでした。ある時、一人の友達が私と無駄話をしていて、彼が言うには、一人の車引きが三回も車を買ったのに、三回とも車を失ってしまい、悲惨な死を遂げたというのです。それで、私は旧社会の一人の車引きの運命と境遇を書こうと決め、出来事や事件を、登場人物の発展の必要に基づいて書き、《駱駝祥子》を完成させたのです。

■ 写作時一定要多想人物,常想人物。選定一個特点去描画人物,如説話結巴,這是肤浅的表現方法,主要的是応賦予人物性格特征。先想他会干出什麼来,怎麼個干法,有什麼様胆識,而后用突出的事件来表現人物,展示人物性格。要始終看定一両個主要人物,不要使他們写着写着走了様子。貪多,往往会叫人物走様子的。《三国演義》看上去情節很多,但事事都従人物出発。諸葛亮死了還吓了司馬懿一大跳,這当然是作者有意安排上去的,目的就是為了豊富諸葛亮這個人物。《紅日》中大多数人物写得好。但有些人就没有写好,這原因是人物太多了,有些人物作者不够gou4熟悉,掌握不住。《林海雪原》里的白茹也没写得十分好,這恐怕是曲波同志対女同志還了解得不多的縁故。因此不必要的、不熟悉的就不写,不足以表現人物性格的不写。貪図表現自己知識豊富,力求故事多,那就容易壊事。

・結巴 jie1ba [口語]どもる。“口吃”とも言う。
・肤浅 fu1qian3 (学識や理解が)浅い。不十分である
・賦予 fu4yu3 (任務や使命を)授ける。与える
・胆識 dan3shi2 [書面語]胆力(度胸)と見識
・走様 zou3yang4 もとの形を失う。型が崩れる
・貪多 tan1duo1 欲張る
 /貪多嚼不爛 tan1duo1jiao2bulan4 (一度にたくさん頬張っても十分に噛めないことから)一度にたくさんのものを習っても深く理解できない、或いは覚えられないという意味。
・貪図 tan1tu2 (欲張ってたくさんの利益を)ねらう。

 創作の時には登場人物のことを多く考え、常に考えていなければなりません。一つの特徴を選んで人物を書く、例えば口がどもるというようなのは、不十分な表現方法です。主にその人物に与えた性格の特徴に基づくべきです。その人物は何ができるのか、どのようなやり方で、どのような胆力や見識があるのかを先ず考え、それから巻き起こる出来事によってその人物を表現し、その人物の性格を明らかにします。始めから終わりまでしっかり一人か二人の主要人物のことを見定め、それらの人物が書いているうちに元の形を失うことのないようにします。欲張ると、しばしば人物は型が崩れてしまいます。《三国志演義》を見ると、内容はたいへん盛り沢山ですが、一つ一つの出来事が人物から出発しています。諸葛孔明が死んだ後も司馬仲達を驚かすのは、もちろん作者が意識して形作ったものですが、目的は諸葛孔明という人物を際立たせるためです。《紅日》の中の大多数の人物はよく書けていますが、何人かの人物はあまりうまく書けていません。その原因は、人物が多過ぎて、何人かの人物は作者があまり理解できておらず、十分把握できていないためです。《林海雪原》の中の白茹もあまり良く書けていませんが、これはおそらく曲波が女性のことをよく知らないせいでしょう。ですから、必要のない、良く知らないものは書かない、人物の性格を表すに足りないものは書かないことです。自分の知識が豊富であることを示そうと思って、色々な話を書こうと思うと、失敗しやすいです。

■ 写小説和写戯一様,要善于支配人物,支配環境(写出典型環境,典型人物),如要表現炊事員,光把他放在厨房里焼鍋煮飯,就不易出戯,很難写出吸引人的場面:如果写部隊在大沙漠里舗軌,或者在激戦中同志們正需要喝水吃飯、非常困難的時候,把炊事員安排進去,作用就大了。

 小説を書くのは芝居を書くのと同様、人物の支配や、環境の支配(典型的な環境や、典型的な人物を描き出すこと)が上手でなければなりません。炊事員のことを書くとして、ただ単にその人物を厨房で煮炊きをさせているだけでは、芝居にならず、人を惹きつける場面を書くことはできません。もし部隊が大砂漠で鉄道のレールを敷設していたり、激戦の中で同志達が水を飲み飯を食うという、たいへん困難な場面で、炊事員を配置してやったら、その効果は絶大です。

■ 無論什麼文学形式,一写事情的或運動的過程就不易写好,如有個作品写高射炮兵作戦,又是講炮的性能、炮的口径,又是紅緑信号灯如何調炮……就很難使人愛看。文学作品主要是写人,写人的思想活動,遇到什麼困難,怎様克服,怎様斗争……写写技術也可以,但不能貪多,因為這不是文学主要的任務。学技術,那有技術教科書嘛!

 どんな文学形式でも、事情や運動の過程を書くのは容易くない。例えばある作品で高射砲兵の作品を書くとして、大砲の性能や、大砲の口径を説明しつつ、赤青の信号灯で如何に大砲を動かすか……というような話は誰も読みたがりません。文学作品は主に人を書きます。人の思想や活動を書きます。どんな困難にぶつかり、どのように克服し、どのように闘ったか……技術について書いてもよいのですが、欲張ってはいけません。なぜならこれは文学の主要な任務ではないからです。技術を学ぶなら、技術の教科書があります。

■ 刻画人物要注意従多方面来写人物性格。如写地主,不要光写他凶残的一面,把他写得像個野獣,也要写他偽善的一面。写他的生活、嗜好、習慣、対不同的人不同的態度 …… 多方面写人物的性格,不要小胡同里猪 ―― 直来直去。

・小胡同里猪 歇后語(かけことば)。小胡同、細い路地で豚を追う、ということは、同じところを行ったり来たりするしかないので、“直来直去”を言うための枕ことばとなります。“直来直去”はストレートに思ったことを言う、あけすけにものを言う、という意味。

 人物を描写するには、多くの面から人物の性格を描くよう注意しなければなりません。地主を書くなら、彼の凶暴で残忍な面だけをみて、彼を野獣のように描いてはならず、彼の偽善的な一面も描かなければなりません。その人物の生活、嗜好、習慣、他人に対して人によって異なる態度……多方面から人物の性格を描くには、路地で豚を追いかけるように、ただストレートに表現するだけではだめです。

■ 当你写到戯劇性強的地方,最好不要写他的心理活動,而叫他用行動説話,来表現他的精神面貌。如果在這時候加上心理描写,故事的緊張就馬上弛緩下来。《水滸》上的魯智深、石秀、李逵、武松等人物的形象,往往用行動説話行来表現他們的性格和精神面貌,這個写法是很高明的。《水滸》上武松打虎的一段,写武松見虎時的心理是怕的,但王少堂先生説評書又作了一番加工:武松看見了老虎,便説:“啊!我不打死它,它会傷人喲!好!打!”這様一説,把武松這個英雄人物的性格表現得更有声色了。這種藝術的誇張,是有助于塑造英雄人物的形象的!我們写新英雄人物,要大胆些,対英雄人物的行動,為什麼不可以作適当的藝術誇張呢?

・高明 gao1ming2 (見識や技能が)優れている。卓越している。
・声色 sheng1se4 (話をするときの)声と顔色
・評書 ping2shu1 大衆演芸の一種で、日本の講談に当たる。

 皆さんが芝居がかった場面を書く時は、できれば登場人物の心の動きは書かずに、その人物の行動によって物語らせ、精神的な状態を表現した方がよいと思います。そういう場面で心理描写をすると、物語の緊張はあっという間に緩んでしまいます。《水滸伝》での魯智深、石秀、李逵、武松などの人物のイメージは、しばしば彼らの行動によって彼らの性格と精神状態を表現しており、こうした描写方法はたいへん優れています。《水滸伝》の武松が虎退治をする場面で、武松が虎を目にした時の気持ちは恐れですが、王少堂先生によれば、評書ではちょっと手が加えられていて、武松は虎を目にしてこう言います。「ああ!私が虎を殺さなかったら、あいつは人を傷つけるだろう!よし!やっつけるぞ!」このように言うことで、武松という英雄の性格をより生き生きと表現しています。こうした芸術の誇張は、英雄たる人物のイメージを形作る手助けになります。私たちは英雄的人物を描く際には、大胆にならないといけません。英雄的人物の行動に、どうして適度な芸術的誇張をしてはいけないのでしょうか。

■ 為了写好人物,可以把五十万字的材料只写二十万字;心要狠一些。過去日本鬼子焼了商務印書館的図書館,把我一部十万多字的小説原稿也焼掉了。后来,我把這十万字的材料写成了一個中篇《月牙儿》。当然,這是其中的精華。這好比割肉一様,肉皮肉膘全不要,光要肉核(最好的肉)。魯迅的作品,文字十分精煉,人物都非常成功,而有些作家就不然,写到事往往就無節制地大写特写,把人蓋住了。最近,我看到一幅描絵密雲水庫上的人們干勁衝天的画,画中把山画得很高很大很雄偉,人呢?却小得很,這怎能表現出人們的干勁呢?看都看不到啊!事件的詳細描写総在其次;人,才是主要的。因為有永存価値的是人,而不是事。

・狠 hen3 断固として。思い切って。
・好比 hao3bi3 ちょうど~のようなものだ
・膘 biao1 (肉の)脂身
・精煉 jing1lian4 =精練 (文章が)よく練れている。簡潔だが、無駄が無く、きびきびしていること。
・節制 jie2zhi4 制限する
・干勁衝天 gan4jin4chong1tian1 “干勁”gan4jin4 は(物事に対する)意気込み。“衝天”は天を衝くほど、すさまじいこと。

 人物をうまく書くには、五十万字の材料で二十万字だけ書くようにすべきです。気持ちをしっかり持つべきです。嘗て、日本の侵略者が商務印書館の図書館を燃やしましたが、私の十万字余りの小説の原稿も焼けてしまいました。後に、私はこの十万字の材料で一篇の中編小説《月牙儿》を書きました。当然、これはその中の精華です。これはちょうど肉を捌くのと同じで、肉の皮や脂身は全部不要で、ただ肉の中心のところ、もっとも良い部分だけが必要なのです。魯迅の作品は、文字がたいへん練れていて、人物描写に成功していますが、多くの作家はそうではなく、事物を書くのはしばしば自由に伸び伸びと書いているのに、人物には蓋をしてしまっています。最近、私は密雲ダムの上で人々の意気込み天を衝くという絵を見ましたが、絵の中で山が高く大きく雄大に描かれているのに、人はどうでしょう?たいへん小さく、これでどうして人々の意気込みを表現できるでしょうか?見ようとしても見ることができません。事件の詳細の描写は二の次で、人こそ第一です。なぜなら永遠に価値があるのは人で、事物ではないからです。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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【対訳】《雲郷話食》を読む: 元宵と湯圓

2011年02月14日 | 中国グルメ(美食)



  旧暦の正月15日は元宵節といいます。元宵節に食べるのが、元宵、湯圓、湯団と呼ばれる米粉で作っただんごです。実はこれ、北京を中心とする北方のもの(元宵と言います)と江南地方のもの(湯圓、湯団と言います)とで作り方や中の餡に大きな違いがあります。

■ 元宵,是北京的叫法,江南叫湯圓。近人徐仲可(珂)《清稗類鈔》云:

     湯圓一曰湯団,北人謂之元宵,以上元之夕必食之也。然実常年有之,
   屑米為粉以制之,粉入水,沉淀之使滑而制成者,為挂粉湯圓。有甜咸各餡者,
   曰実心湯圓。

 “元宵”とは北京の呼び方で、江南では“湯圓”と呼ぶ。近世の人、徐仲可(徐珂)は《清稗類鈔》でこう言っている。

      湯圓は別名、湯団と言い、北方の人は元宵と言う。元旦の夕食に必ず食べないと
   いけないものである。しかし実際は一年中有り、くず米を粉にしてこれを作る。粉を水に入れ、
   沈殿してつるつるしたもので作ったものを、挂粉湯圓と言う。甘い、或いは塩辛い餡の入った
   ものは、実心湯圓と言う。

* ここでは“実心湯圓”は餡の入った湯圓のことで使っているが、一般には、“実心”とは中が詰まったという意味で、“這個湯圓是実心的”というと、だんごの中は餅が詰まっていて餡が入っていない、という正反対の意味になる。

■ 不過厳格地説,元宵和湯圓雖属類似的東西,但做法有很大的差別。北京元宵,都是干磨江米面,不用糯米水磨粉,即徐珂所説的挂粉。北京元宵絶対不做肉餡,而江南湯圓却以肉為主。二者不能劃等号。過去有個很有趣的故事:一位初到北京的江南挙子,正月里到親戚家作客,人家煮了元宵交待他,這位挙子夾起一個,端詳半天才入口,主人感到奇怪,便忍不住問道:“你覚得有什麼不合适?”這位挙子道:“味道很好,只是我想問問這餡心是怎麼擺進去的?”一句話引得衆人哄然大笑,従此便伝為笑談。

・江米 jiang1mi3 / 糯米 nuo4mi3 何れも、もち米のこと。一般に、北方の人は“江米”といい、南方の人は“糯米”という。
・水磨 shui3mo2 水を加えて磨くこと。“水磨 shui3mo4”とすると、水車を利用した臼のことだが、ここでは“干磨”、水を加えず、そのまま臼や機械で挽いた粉との対比なので、“水磨 shui3mo2”である。
・挙子 ju3zi3 “挙人”のこと。郷試に合格した者のことを“挙人”と言う。“挙人”になってはじめて、都で行われる会試を受験することができた。
・哄然 hong1ran2 どっと
・笑談xiao4tan2 笑いぐさ/伝為笑談 chuan2wei2~ お笑いぐさになる

 しかし厳密に言うと、元宵と湯圓はよく似たものだが、作り方には大きな違いがある。北京の元宵は、もち米をそのまま粉に挽いたものを用い、もち米に水を加えて挽いた粉、すなわち徐珂が言うところの挂粉は用いない。北京の元宵は絶対に肉餡は入れないが、江南の湯圓は肉が主である。両者にはイコールはつけられない。昔、面白い話があった。一人のはじめて北京に来た江南の挙人が、正月に親戚の家に招かれた時、その家では元宵を煮てもてなしたが、この挙人はそれをひとつ箸でつまんで、手に持ってしばらくの間仔細に眺めてからようやく口に入れた。主人は不思議に思い、我慢できずに問うた。「何か不具合でもありましたか?」この挙人は言った。「味はたいへんよろしいですが、ただ伺いたいのは、この餡はどうやって中に入れたのですか?」この一言が皆をどっと笑わせ、これ以降、笑い話となった。

■ 江南用糯米水粉包湯圓,是把一小団湿糯米面放在手中,掐成酒杯形,然后放入餡子包起。肉的掐一個尖尖頭,萕菜的掐成橢圓形,中間作個皺紋記号,芝麻的掐成圓的,上面有些花紋 …… 総之都有封口的地方,在碗中可以分辨甜咸和不同的餡子。而北京的元宵,則渾然一体,混沌難分,対不明究竟的人,確是饒有興味,也就難怪那个挙子的惹人招笑了。

・団 tuan2 [量詞]ひと塊りになっているものを数える
・掐 qia1 指先で摘んだり、ひねったりすること。
・萕菜ji4cai4 ナズナ
・橢圓 tuo3yuan2 楕円
・渾然 hun1ran2 渾然。入り混じっている様
・饒 rao2 [接続詞][口語]にもかかわらず。~のに。

 江南では、水で研いだもち米粉で湯圓を作るには、湿ったもち米粉の小さな塊りを手のひらに載せ、酒杯の形に捏ねて、その中に餡を入れて包み込む。肉の餡入りは頭を尖らせ、ナズナの餡入りは楕円形にし、真中に皺をつけて目印にする。胡麻餡のものはまん丸にして、上に模様を付ける……何れにせよ、どれも口を閉じた所により、碗の中で甘いのや塩辛いのや、違った餡の区別をすることができる。一方、北京の元宵は渾然一体で、混沌として区別が難しく、どうなっているか知らない人にとっては、確かに興味を持っているにもかかわらず、あの挙人のように他人の嘲笑を惹き起すのも無理もないことである。

■ 按北京做元宵,俗語曰打。実際是滚gun3和揺両個動作。先把糖熬稀,加玫瑰、山楂、核桃仁、芝麻、瓜子仁、青紅絲等和在一起,或団成龍眼大的小団,或切成小方塊,冷却待用。用大柳条笸po3籮luo,放上干糯米面,北京叫江米面,把糖塊様的餡子倒入面中,一辺洒水,一辺滚gun3,使糯米面在糖塊身上滚gun3満,像滚gun3雪球一様,越滚gun3越大,這是件很吃力的工作,一次可滚gun3百八十個。然后再按不同的餡子,在上面点上鮮紅的点,或一点,或両点,像宝塔一様,堆在大瓦盤中,犹如白雪紅梅,真是漂亮極了。北京人吃元宵,一般是買回家煮了吃,有時也到舗子里吃,廟会上最多,一入冬就有的売了。而且還可油炸了吃,不過我不大愛吃油炸的。再有北京元宵家中做不来,都是外買的,不比江南湯団主要是自己家里做。元宵餡子好,山楂、玫瑰都有核桃仁、松仁等,像月餅餡子,吃起来比江南湯団好多了。北京売元宵,除去点心舗、廟会上而外,還有挑担子到胡同中売的。

 《一歳貨声》挂花元宵下注云:

     挑担前設鍋炉,山楂、白糖、奶油,加果各餡。

・稀 xi1 “密”の反対の意味で、すきまや間隔の大きいこと。ここでは、煮詰らないように、ざっと。
・玫瑰 mei2gui マイカイ。(バラの仲間で、ハマナシ(ハマナス)の近縁種)
・笸籮 po3luo (ヤナギの枝、または竹の皮で編んだ)ざる
・宝塔 bao3ta3 ここでは“宝塔糖”の意味で、虫下しの薬のことのようです。これは形がちょうど百万塔陀羅尼のような円錐形をした小さな粒です。
・做不来 “不来”は結果補語で、動詞の後に付け、経験や修練が足りないため、行うことができないことを表す。

 北京では元宵を作ることを、俗に“打”と言う。実際は“滚”gun3(転がす)、“揺”(揺さぶる)という二つの動作である。先ず砂糖をざっと煮て、マイカイ、サンザシ、くるみ、ゴマ、かぼちゃの種、青梅や赤い梅を細く切ったもの加えて混ぜ合わせ、龍眼くらいの大きさの団子に丸めるか、小さな四角い塊りに切り揃え、冷ましておく。柳の枝で編んだ大ざるに、挽いたもち米の粉を入れる。これを北京では“江米面”(“江米”の粉)と呼ぶ。先ほどの砂糖の塊りのような餡の粒をもち米粉の中に入れ、水を撒きながら転がし、もち米粉が砂糖の塊りの全体に付くように十分に転がしてやると、雪の球を雪の上で転がすのと同様、転がすにつれて球は大きくなる。これはたいへん力の要る作業で、一回に百八十個ほどの粒を転がしてやることができる。その後、餡の違いによって、球の上に真っ赤な点を一つか二つ付けてやると、“宝塔糖”のようで、大きな素焼の盆で盛ってやると、まるで真っ白な雪景色の中に紅梅が咲いたようで、本当にきれいである。北京の人は元宵を食べるには、一般には買ってきて家で煮て食べる。時には店で食べることもあるが、その時は寺の縁日で食べるのが最も多く、冬になると売り出す。また、油で揚げて食べることもあるが、私は揚げたものはあまり好きではない。北京では元宵は手間がかかるので家では作ることができず、外で買ってくるもので、江南の湯団が主に自分で家で作るのと大きな違いがある。元宵の餡は美味しく、サンザシやマイカイのものにはくるみや松の実が入っていて、月餅の餡のようで、食べてみると、江南の湯団よりずっと美味しい。北京で元宵を売るのは、お菓子屋や寺の縁日の他、天秤棒を担いだもの売りが胡同の中まで売りに来る。

 昔のもの売りの様子をまとめた《一歳貨声》の挂花元宵の項の注釈に言う:

     天秤棒の前には鍋とコンロが設えてあり、サンザシ、白砂糖、クリーム、それに干した果物入りの各種の餡があった。

■ 不過几十年前這種元宵担子已很少見了。那時点心舗中,以前門大街正明斎的元宵為最好。

  “現掲鍋的元宵的来 ―― 個大餡好的哎 ――”
 這熟悉的叫売声似乎又在我的耳畔回響了!

・耳畔 er2pan4 =耳旁

 しかし数十年前のこうした元宵売りももうほとんど見かけなくなった。当時は菓子屋では、前門大街の正明斎の元宵が最も良かった。

   「さあ茹でたての元宵が来たよ ―― 大きな美味しい餡入りだよ ――」
  こうしたよく耳にした呼び声は今も私の耳の傍で響き渡るかのようである。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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最近の新聞記事から: 攀比 pang1bi3

2011年02月12日 | 中国語でどう言うか?
 これは、春節につきものの“紅包”、“圧歳銭”というお年玉にまつわる、人々の見栄張りにまつわるお話です。“攀比” pang1bi3とは、見栄を張って、人と張り合うこと。こうした心理は、中国、日本ともに存在するようです。

                   “紅包綜合征”攀比惹的禍 (心理透視国人)
                   2011年01月28日  来源:人民網-《生命時報》

・綜合征 zong1he2zheng1 “シンドローム”、症候群の中文訳。“征”は兆し、現象の意味。“征候”(兆候)の略。
“紅包”はご祝儀の意味だが、ここでは「お年玉」の意味。
・攀比 pang1bi3 見栄を張って、人と張り合うこと。

                「お年玉シンドローム」、見栄の張り合いが災いを引き起こす
                (心理面から国民を透視する)

■ 又是一年春節到,紅包、圧歳銭又成了不能回避的家庭重要議題。古代,圧歳銭是為了圧住邪祟,譲親人平安幸福、遠離災難。這一習俗流伝到今天,却“譲人歓喜譲人憂”。

 また今年も春節がやって来た。お年玉(紅包、圧歳銭)はまた避けられない家庭の重要な議題になる。古代、“圧歳銭”は邪神の祟りを抑えるためのもので、親しい人が平安で幸福で、災難から遠く離れていられるように願うためのものだった。この風習が今日まで伝えられ、却って人を一喜一憂させるものとなった。

■ 一方面,互贈紅包、圧歳銭是件喜事。它既包含了心意和祝福,還能増進親情。対孩子来説,圧歳銭是一年中最大的驚喜;対長輩来説,紅包不僅代表了儿女的孝心,也説明他們事業平順、生活安康。紅包,給春節増添了不少“年味”。

・心意 xin1yi4 (他人に対する)気持ち

 一面では、互いに“紅包”、“圧歳銭”を贈り合うことは、おめでたいことである。これは他人への気持ちや祝福の意味を含むとともに、親しさを増進させることができる。子供にとっては、お年玉は一年で最大の驚きで喜びである。年長者にとっては、紅包は子女からの敬いを代表するだけでなく、自分たちの事業が順調で、生活が安定していることを表している。紅包は春節に少なからず「毎年の恒例行事の味わい」を添えるものである。

■ 但另一方面,送紅包給不少人帯来経済負担,成了一種“甜蜜”的煩悩。一項調査顕示,65%的人表示過年発紅包的金額超過自己月收入的両倍以上。特別是在外打拼的上班族,人情支出譲他們成了“恐帰族”、“節奴”,甚至患上“紅包綜合征”。

・打拼 da3pin1 “拼”は“拼命”ということばがありますが、一生懸命にやるということ。“打拼”という複音節で一つの動詞として使われるケースが最近定着してきています。
 “我們都希望国家富強、人民富裕,譲我們一起継続来打拼!”は胡錦涛総書記の発言(2009年9月)です。
・在外 zai4wai4 外地で。ここでは故郷の外で、という意味。
・人情 ren2qing2 冠婚葬祭などの親類・友人間の付き合い、義理
・恐帰族 故郷を離れて仕事をしていて、春節に帰省するのを嫌がる人々のこと。
 たまに帰省するとなると、お土産やお年玉でたいへんな出費となり、また未婚者であれば見合いをしろとかうるさく言われることから。
・節奴 上記の“~族”とともに“~奴”も最近の流行語。“節奴”は節季に様々な経済的な支出や交際行事で、お金が回らなくなり、金銭的な自由を奪われてしまう人。
 この他、“房奴”、“車奴”というような言い方をする。

 しかしもう一つの面では、紅包を送ることは多くの人の経済的な負担になっていて、一種の「甘味な」悩みになっている。ある調査によれば、65%の人が新年に渡すお年玉の金額が月収の二倍以上になっているそうである。特に故郷を離れて懸命に働いている会社員にとって、親戚付き合いの支出のため、「帰省恐怖症」、「節季貧乏」になったり、更には「お年玉シンドローム」にかかる人さえいる。

■ 事実上,無論送紅包還是收紅包,“紅包”本身并没有錯。帯来煩悩的,是好面子和攀比心理。這些想法,使討吉利的風俗変成了人情債,滋生矛盾。

・吉利 ji2li4 縁起。縁起がよいこと。“討”は深く研究すること。
・滋生 zi1sheng1 引き起こす

 実際のところ、紅包を送るにせよ受け取るにせよ、“紅包”自身は悪いものではない。悩みをもたらすのは、メンツを保ったり、見栄の張り合いをする心理である。こうした考え方によって、縁起をかつぐ風習が付き合いのための出費となり、矛盾を引き起こす。

■ 其実,“紅包”送祝福的象征意義遠遠大于財物価値。要想不沾染“銅臭气”,送紅包也要講究原則。首先,給老人的紅包不能少。這是為了送出祝願和関心,金額可多可少,但這份心意不能少。其次,給孩子要適度。圧歳銭給多少、給到几歳,最好家里有個默契,正確引導孩子紅包的意義。有人改送“圧歳書”,譲孩子在快楽的同時増長知識,也是好方法。最后,朋友之間量力而行。不要因為給少了没面子、不能輸給朋友等思想,“打腫臉充胖子”,既譲自己難堪,又譲友情変味。

・沾染 zhan1ran3 感染する。悪い影響を受ける
・默契 mo4qie4 [書面語]暗黙の了解
・量力而行 liang4li4er2xing2 力相応に事を行う
・打腫臉充胖子 da3zhong3 lian3 chong1 pan4zi 頬をふくらませて太っているように見せかけることから、虚勢を張る。やせ我慢をするという意味。

 その実、“紅包”の人を祝福するという象徴的意味は、その金銭的価値よりはるかに大きい。「金臭さ」に染まりたくなければ、紅包を渡す時にもルールをきっちり決めておかねばならない。先ず、年寄りに渡す紅包はけちらず必ず渡さなければならない。これは祝福と関心を表すためのもので、金額は多くても少なくてもよいが、気持ちは減らしてはならない。次に、子供に渡すものは適量でなければならない。お年玉の金額はいくらで、何歳まで渡すかは、できれば家庭の中で暗黙の了解があるべきで、正しく子供に紅包の意味を理解させるべきである。“圧歳銭”を“圧歳書”に変えて本を贈り、子供に楽しみと同時に知識を増やすようにさせるという人もいるが、これも良い方法である。最後に、友人の間では、分相応にやりとりをすべきで、少なかったら面目を失う、友達に負ける訳にはいかないなどという考え方は、「やせ我慢をする」ようなもので、自分でもきまりが悪いし、友情をねじ曲げてしまう。

■ 総之,春節回趟家,最難得的還是感受那血濃于水的親情。放下攀比和虚栄,無論你“差不差銭”,都能開開心心過大年。
                                      (亜洲積極心理研究院首席研究員 汪冰)

・差 cha4 足りない
・大年 da4nian2 旧正月のこと

 総じて、春節に実家に帰った時の、最も得難い大切なものは「血は水よりも濃い」肉親の親しみの感情である。見栄の張り合いや虚栄は棄て置いて、「金があろうと無かろうと」、愉しく新年を過ごせればよい。


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