中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

《雲郷話食》より: 燕山麺賦・炸醤麺(ジャージャー麺)

2011年10月30日 | 中国グルメ(美食)

 久々に、中国グルメについて、雲郷の《雲郷話食》の中から一篇、取り上げ、読んでみたいと思います。
 炸醤麺(ジャージャー麺)というと、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズのエッセイで、盛岡のジャジャ麺の話が出てきますが、本家ではどうやって作っていたか、見てみましょう。

■[1]
 ( ↓ クリックしてください。中国語原文が見られます)


・轡頭 pei4tou2 くつわ。くつわと手綱。
・出一口気 chu1 yi1kou3qi4 憂さ晴らしをする。“一口気”は怒りの意味。
・烈性 lie4xing4 気性が激しい。
・打賭 da3 du3 賭けをする。

□ 《三国志演義》の中で劉備が呉でこう言った:「北人は馬に乗り、南人は船に乗る。」孫権がそれを聞いて納得がいかず、直ちに馬に飛び乗ると、鞭を一撃し、手綱を放った。あたかも南人が憂さを晴らしたようで、これもちょっとした南北の争いと言えるものであった。このことから、私はまた別のことを思いついた。つまり、「南人は米を食べ、北人は小麦の麺を食べる」ということである。もちろん、このことも絶対化はできない。そうでないと、気性の激しい人は賭けを始めかねず、それもよろしくない。北京人は麺を常食しているので、私はここに《燕山麺賦》を書くこととしたのである。晋の人、束皙の著作に《餅賦》がある。実は、《餅賦》も《麺賦》である。《餅賦》に、次のような句がある。

     真冬は寒さが厳しく、夜明けに会うと、鼻水が凍りつき、霜は口の外にへばりつく。飢えを満たし、寒さによる震えを解くには、熱いかけそばが最もよろしい。

 “湯餅”と言っているのは、熱いタンメンのことである。言っていることの意味は、冬の早朝、寒くて鼻水が出て、吐く息が冷たい。こういう時には、一杯の熱々の汁麺を食べれば、最も飢えを凌ぎ寒さを消し去ることができる、ということである。昔の人の発想はたいへん実質的で、またたいへん庶民的である。決して朝っぱらから羊の肉のしゃぶしゃぶや、オックステール・スープを食べようとはしない。実質から出発しているから、書かれたものも良い文章となっている。いわゆる“湯餅”とは、今で言うソバである。古人の“餅”は、広く麺食のことを言う。今日でも、子供が誕生日に麺を食べることを、雅な言い方で“湯餅会”と言い、“湯麺会”とは言わないのも、同じ道理である。

■[2]


・申 shen1 上海の別称
・饞 chan2 口がいやしい。食いしん坊である。

□ 北京で生まれ育ち、長く上海に住んでいると、友人たちとよもやま話をしていると、よく昔の北京のことを聞かれ、自然と北京の食べ物の話になる。ある年、新聞に日本の小川大使が炸醤麺(ジャージャー麺)が好きだという記事が載ってから、何人かの親しい人が、「炸醤麺はどのようにして食べたらよいか」とか「炸醤麺はどのようにして作るのか」という類の質問をするようになった。そして私もしばしば炸醤麺のことを思い出すようになると、食べたくてたまらなくなる。これも「故郷の味が恋しい」と呼べるかもしれない。

■[3]


・菜碼 cai4ma3 麺類に添えたり混ぜたりする具のこと。
・麸子 fu1zi ふすま。小麦を粉にする時に出る皮のくず。
・三伏 san1fu2 夏の酷暑の期間で、初伏(夏至の後の第3の庚(かのえ)の日)、中伏(同、第4の庚の日)、末伏(立秋後の第1の庚の日)を総称して三伏と言う。或いは、三伏中の末伏の日を言う。
・醤園 jiang4yuan2 味噌や醤油の醸造元、或いは販売店。
・炒勺 chao3shao2 杓子状のフライがえし。
・咝咝 si1si1 “咝”というのは擬声語で、風を切るひゅうひゅうという音、空気が細いところを通るすうすうという音を表す。ここでは、油が煮えたぎるじゅうじゅうという音。

□ 炸醤麺は北京の人の普段の食事で、その内容は、炸醤、麺、具の三つに分けられる。炸醤は簡単に言うと肉味噌で、さいの目に切った豚肉入り、挽き肉を使ったもの、“木犀”(かき卵のこと)入りに分けられる。味噌は大豆から作った“黄醤”か、小麦のふすまから作った甜麺醤で、三伏の日に陽に晒した良い豆板醤(トウバンジャン)を使わなければならない。味噌は田舎では自分の家で作るが、北京では店から買う。例えば、名店の天源、六必居など大きな店のものなら尚更良い。味噌を炒める時は植物性の油を用い、一番良いのは胡麻油で、その次が落花生油である。鍋を火にかけ、火は強火でなければならず、黒い煙が噴き出したら、ネギ、生姜の刻んだもの、豚肉のさいの目切りか挽き肉を入れ、予め水で濃さを調整した味噌を同時に鍋に入れ、フライがえしで攪拌しながらしばらく炒めたら、鍋から出してどんぶりの中に盛る。食卓に出せば、どんぶりの中で、真ん中が味噌で、周囲は澄んだ油が覆っている。江南の“響油鱔shan4絲”(タウナギの細切りの油漬け)と同様、食卓に出した時、じゅうじゅうという音がするのが良い。油の煮えたぎる音とともに、しばし鼻を突く香りが押し寄せ、自然と皆さんの食欲を掻き立てる。

■[4]


・抻面 chen1mian4 練った小麦粉の塊りを両手で引き伸ばしながら何回も折り畳んで作った手打ちうどんのこと。“抻”とは引き伸ばすこと。“切面”(練った小麦粉を平たく延ばして切り揃えたうどん)と区別して言う。“拉面”とも言う。
・和 huo2 こねる。
・悠 you1 空中で揺り動かす。
・擰 ning2 両手で物体の両端を握って、相反する方向へひねる。ねじる。
・韌 ren4 強くてしなやかである。粘り強い。腰のある。
・掐 qia1 摘み取る。
・撈 lao1 水中からすくい上げる。
・二葷舗 er4hun1pu4 豚肉やその内臓の料理だけを商う屋台。

□ 味噌の次は麺を説明しよう。炸醤麺には“拉麺”を使わないといけない。またの名を“抻麺”と言い、俗に“大把条”と言う。捏ねた軟らかさ硬さの適当な小麦粉を使いる。まな板の上で捏ね、捏ねて一定の硬さになったら、その両端を持って、空中で引っ張りながら、上下に揺り動かし、引っ張って伸ばしたら、再び両端を併せて、揺すぶり、ねじり合わせる。このような動作を何回か繰り返し、再び併せて引っ張ると、1本が2本になり、2本が4本になる……、そして数え切れない本数になったら、腰のある、細い麺になっている。麺を湯を沸かした鍋の前に持って行き、両端を切り落とすと、麺を鍋の中に入れる。鍋の湯が湧きたったら、冷水を加える。そして再び沸騰したら、麺は湯だっている。熱い麺をすくい上げ、冷水の中で水通しし、それからどんぶりに盛る。これを麺批と呼ぶ。このような手打ち麺は、自ずと小さな飯屋や屋台で商うもので、これより大きなちゃんとしたレストランでは、炸醤麺は売らない。小さな飯屋の見習いの小僧は先ず麺を打つのを覚えた。当時は拉麺のできる人はたいへん多く、別に絶技でも何でもなかった。一般の家では、拉麺のできる人はあまりおらず、1本1本引き伸ばしたので、“小刀麺”と呼ばれた。明代の劉若愚の《酌中誌》に言う:「月初めの5日の日のお昼……過水麺(水通しした麺)にニンニクを付けて食べた。ザクロの花やヨモギの葉を眺めた。」蓋し、“過水麺”とは唐の人が言う“冷淘”であろう。もし熱い麺が好きなら、いわゆる「かま揚げ」で、直接鍋からすくい上げればよい。

■[5]


・焯 chao1 野菜をさっと茹でる。

□ 麺の他、具が必要である。つまり、何の調味料も加えず、ただ生の野菜を切っただけのきゅうりの細切り、だいこんの細切り、水で茹でたモヤシなどである。食べる時に、麺の上に肉味噌、味噌を炒めた時の油、具をかけて混ぜ合わせる。食べると麺は腰があって滑らかで、味噌は良い香りがし、具は新鮮で、美味しく、本当にその味わいは無限である。《京兆地理誌》に言う:

     炸醤麺は、都・北京周辺の多くの家で食べられた。田舎に旅行で行くと、簡単な食事の中でも最も安いものであった。

 最も普通の日常の食事であるので、尚更なつかしく思い出されるのだろう。飯屋の中でも、炸醤麺で有名なのは、阜成門外の通りの北側の虾米居であった。この店はうさぎの肉の干し肉でも有名だった。小さな飯屋で、屋台のような店に過ぎない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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