中国語学習者のブログ

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沈宏非《食相報告》を読む: 吃豆腐(豆腐を食べる)

2012年01月09日 | 中国グルメ(美食)

  写真は、“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)

   みなさん、あけましておめでとうございます。
  2012年の第1回は、沈宏非のエッセイから、“吃豆腐”(豆腐を食べる)をお届けします。
  「豆腐を食べる」という表題にもかかわらず、いきなり瞿秋白が出てきて意表を突かれまずが、革命家の瞿秋白や孫文と豆腐の関係、というのも、非常に興味深いものです。それでは、読んでいきましょう。

■[1]
 ( ↓ クリックいただくと、中国語原文が表示されます)


・結尾 jie2wei3 終わり。最後の段階。
・従容就義 cong2rong2 jiu4yi4 従容として(落ち着き払い)、正義の為に死ぬ(敵に殺される)。
・糾葛 jiu1ge2 もつれ。もめごと。いざこざ。
・捉摸 zhuo1mo2 推し量る
・禅机 chan2ji1 禅僧が説法する時、暗示や比喩で教義を伝える秘訣。

  1935年5月23日、瞿秋白は彼の臨終の絶筆である《多余的話》(余計な話)で、このように最後の結びとして言っている。

  「さらば、この世の全てよ!最後に……ロシアのゴーリキーの《四十年》、《クリム・サムギンの生活》、ツルゲーネフの《ルーヂン》、トルストイの《アンナ・カレーニナ》、中国の魯迅の《阿Q正伝》、茅盾の《動揺》、曹雪芹の《紅楼夢》、皆もう一度読んでみる価値がある。中国の豆腐もたいへん美味しいものだ。世界で第一。さらば!」

  4週間後、瞿秋白は福建の長汀の中山公園、涼亭の前で、高らかに《インターナショナル》を歌い、落ち着き払い、自らの命を絶った。

  《紅楼夢》以外は、ゴーリキーも、ツルゲーネフも、トルストイ、そして魯迅、茅盾も、当時は皆非常に革命の象徴であった。けれども、豆腐って、最後はどうして豆腐なんだ?

  「不幸にして歴史のいざこざに巻き込まれた」職業革命家、瞿秋白の当時の本当の心境は、我々の世代には推し量ることが難しいが、半新半旧の中国式の文人として、60年余り後の世で、私がここに更なる「余計な」話をしても許してもらえそうだ。そしてそれは豆腐に限ってのことだが。

  瞿秋白の故郷、常州が“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)を出して有名である他は、私はこれまで、豆腐と瞿秋白個人、及び1931年から1935年までの中国革命の情勢についての何らかの特別な意義を考証することができなかった。けれども、私はずっとこう思っている:中国の全ての日常食品の中で、ただ豆腐だけが一種の存在主義的な性格を持っている。中国式の食事であれ、中国式の言語環境であれ、豆腐はいずれでも一種の日常的で、清貧で、ありきたりの出自の象徴で、またそれが仏門で使われることから、日常の他に幾分、禅宗の奥義の色彩が含まれる。

  《菜根譚》にはこう書かれている:有尽の身躯を看破すれば、万境の塵縁自ずからやむ。 悟りて無壊の境界に入れば、一輪の心月、独り明らかなり。麦飯、豆羹の淡き滋味、箸を放つところ、歯頬にはなお香し。「鳥に心を驚かせ」「花にも涙を濺ぐ」。此に熱き肝腸を懐い、如何に領取するを得ん、冷風の月。

■[2]


・弦外之音 xian2wai4 zhi1 yin1 [成語]言外の意味。
・門客 men2ke4 昔、権勢ある家の食客。居候。取り巻き。
・方士 fang1shi4 方士。神仙の術を行う道士。
・塩鹵 yan2lu3 にがり
・煉丹 lian4dan1 道士が辰砂などを練って、不老長寿の丹薬を作ること。
・字号 zi4hao4 店名。屋号。
・演変 yan3bian4 比較的長い間に、進展変化する。
・妖里妖気 yao1liyao1qi4 あだっぽくて、淫らなさま。妖艶なさま。

  やはり豆腐である。もっと想像できないのは、金聖嘆が打ち首にされる前に、「フカヒレとアワビを同時に食べると、おおよそ燕の巣の味のようになる」というようなことが言えたのだろうか。

  (瞿秋白の死後)60年余りが経ち、《紅楼夢》がおそらくまだ読まれている他は、残っているのは豆腐である。誰も「中国の豆腐は、世界で第一」という言葉の言外の意味を理解することはできないだろう。正に、《多余的話》の「序に代えて」で嘆いている通りである。「我を知る者は、我が心が憂うと謂い、我を知らざる者は、我が何を求めんかと謂う。」やはりひとまず、豆腐を食おう。

  一般に信じられているのは、豆腐の製法は、最も早くは、戦国時代に既に現れた(清代・汪汲の《事物原会》を参照)と言われるが、検証してみるべき記録として、漢の文帝の時代(紀元前160年頃)、淮南王・劉安(劉邦の孫)とその食客達が編纂した《淮南子》がある。《本草綱目》にまた言う:「豆腐の製法は、淮南王・劉安が始めたものである。」伝えられるところでは、豆腐はすなわち、劉安と方士達が今の安徽省寿県の八公山で大豆、にがりなどを練って丹薬を作っている時、予想外に得られた副産物であった。だから、豆腐は実は「農業副産品」や「副食」に分類すべきではなく、「薬副産品」と称されるのが正しい。

  豆腐が劉安の後、間もなく「薬」の屋号から「健」の屋号の付く平民の食品に変化していったが、仔細に考えてみると、多くの中国の日常の食品の中で、豆腐は実はあまり「中国」的なものではなく、たいへん「化学」的な妖艶な物質である。劉安とその「製薬集団」は皆、儒家として死んだので、ここからは豆腐の本性の中にある種の強烈な反儒教の衝動があると断言することはできないが、古今の祭祀、儀式の中には厳格な決まりがある:すなわち、決して豆腐を用いてはならないと。

■[3]


・匪夷所思 fei3yi2 suo3 si1 [成語]一般の人の思いもよらない。常軌を逸していて、一般の人には想像もできない。
・瞠目結舌 cheng1mu4 jie2she2 [成語]目を見張り、口がきけない。呆気にとられて、ものが言えない。
・搶険 qiang3xian3 応急修理する。
・面目全非 mian4mu4 quan2fei1 [成語]様子がすっかり変わってしまう。見る影もなく変わり果てる。
・比附 bi3fu4 比べものにならないものを、強いて比べる
・顫巍巍 chan4wei1wei1 年寄りが、よろよろ歩くさま。
・不一而足 bu4yi1 er2zu2 [成語]一つだけではない。一度だけではない。

  豆腐自身の誕生の過程での濃厚な化学的な雰囲気を除き、その72種類の、普通の人には思いもよらない変身の方法は、もっと人を呆気にとらせる。豆腐の製作過程は、一つ一つが驚きの連続で、先ず、石膏と豆乳が最初の親密な接触をし、本当の豆腐がまだ形成されない初期の段階で、「豆腐脳」という美味が、応急修理的に出現し、白いどろりとした液体を煮詰めていくと、表面に形成される薄い膜は、完全に姿を変えて湯葉となり、豆腐を四角に切って竹かごに並べ、一晩凍らせた後、陽の光で乾燥させれば、これは凍み豆腐(高野豆腐)になる。この他、水豆腐、干豆腐、油豆腐、黴豆腐、豆乳、豆干、臭豆腐(腐乳)……。凡そこれらから、食べ物、飲み物とは全く関係のない言葉を連想させられざるを得ない:それは「妖術」である。

  豆腐が美味しいのは、それが固より清潔で、やわらかく、爽快で、滑らかであることの他、とりわけ、その本は形が無いものが様々な形になり、本は味の無いものが様々な味を吸収することができるという、この巧妙な絶技にある。

  例えば、清貧な豆腐は、いつもそれを用いて、油っぽくて美味しいが、どうしようもなく俗っぽい肉と比べられ、或いは、いつもある種の曖昧な肉感を付与される。実は、四角い豆腐の外形とそのふわふわよろよろした姿を想像してみさえすれば、その淫らな意味合いは避けて通れないことが信じられるだろう。いわゆる「白きこと、玉の如し。なめらかなこと、凝脂の如し」、いわゆる「滋味は鶏豚に似たるも、鶏豚には此の美無し」と、一つだけではないのだ。

■[4]


・畢生 bi4sheng1 一生。終生。

  菜食をしている者にとっては、豆腐とその様々な加工品は、肉類の最高の代用品である。精進料理の素火腿(ハム)、素鮑魚(アワビ)、素鶏、素鴨の類は、何れも豆腐で作られている。それゆえ、豆腐を食べ飽きた菜食主義者をちゃんと世話するのは、相当に難しい。道理で、香港の「功徳林」のコック長・潘義康が嘗て感慨深げにこう言ったものだ:「精進料理を作るのに、最も難しいのは、見かけが肉類と似た材料を捜すことだ」と。真に経験から出た話である。

  孫中山(孫文)先生は革命家で、医師でもあったが、終生菜食を提唱した。「孫文学説」には、度々菜食の利点が述べられている。「それ、菜食は延年益寿の妙法であり、既に今日の科学家、衛生家、生理学家、医学家の共に認めるところである。中国の菜食者は、必ず豆腐を食すべし。豆腐は、実に植物中の肉料なり。この物は肉料の功あり、しかも肉料の毒無し。」

  孫中山の革命思想、医学知識、及びその菜食主義の主張は、おそらく日本から来たものであろう。仏教が盛んに行われて後、歴代の天皇は皆、肉食の禁止の法令を発した。以来、明治5年になって、天皇が徳川家の手から引き継いだ、1200年の長きに亘り続いた「肉食禁止令」を解除したのは、「洋務」、つまり西洋の力を借りた近代化を行うためであった。私が推察するところ、日本の豆腐も異常に発達しているだけでなく、今日また中国という豆腐の故郷の市場を争いに来ることができるのは、おそらく歴史上の長期の肉食禁止と無関係ではあるまい。

  肉感的な「豆腐脳」の他、広西・梧州には、おからで作った有名な軽食、“黴豆腐”、またの名を“広西猪肝”(豚のレバー)がある。私はこの“猪肝”を食べたことはないが、実際のところ、ある種の同性愛的な、或いは両刀使い的な匂いがする。


【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳


( ↑ 徳林の“素食”(精進料理))

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