中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

温家宝首相の全人代・記者会見での発言

2012年03月21日 | 中国ニュース

  今年も、3月4日から10日間、“両会”、全国政治協商会議と全人代の総会が開催されました。また今年の両会は、現在の胡錦涛・温家宝体制の最終年となる、大会でもありました。今年は、政府の主要幹部が内外の記者を招いての記者会見を開き、「オープンな国会」をアピールする演出がなされました。要人記者会見の最後を飾り、3月14日に、温家宝首相の記者会見が行われ、3時間に亘り、熱心な質疑が行われました。

  今回は、その発言の中から、興味を引いた表現を取り上げます。

  先ず、記者の質問を受ける前に、今回が最後の全人代となる温家宝首相が、参加した記者達に過去9年の行政政策への支援に対し感謝の言葉を述べましたが、その中に、こういう一節がありました。

■[1]
 ( ↓ クリックしてご覧ください。中国語原文です)


□ 今年はおそらく最も困難な一年だろうが、また最も希望の持てる一年だろう。人民は政府が冷静で、果敢で、誠実で信頼できることを求めている。政府は、人民の信任、支持、支援を必要としている。国際金融危機と欧州債権危機の蔓延、拡大に直面して、大切なことは、私たち自身の事をうまくやることである。私は最後の一年に「職責を守り、姿勢を変えず、責務を果たし、後悔することがない」ようにし、永遠に人民と共にいる。

○ 引用句:守職而不廃,処義而不回
 ◆出典:黄石公《素書》
 ◆訳:信義を堅く守り、その姿勢を少しも変えない。たとえ嫌疑を受けても、変わらず信義を保ち、後悔することがない。
 ◆黄石公は秦末の隠士で、漢の張良に兵書を授けたといわれている。それが《素書》である。張良はこの兵書を用いて、劉邦に漢による天下統一を成し遂げさせたが、この本を後に伝えることなく、自分の墓に収めさせた。ところが、張良の死から500年後、墓泥棒の盗掘品の中にたまたまこの本が含まれ、それから天下に流布するようになったといわれている。

  新華社の記者が、温家宝に、総理を勤めた10年間に対する自己評価を尋ねたところ、温家宝のその回答の中に、次のような言葉がありました。

■[2]

 
・軛 e4 くびき。車の轅(ながえ)の先につけ、牛馬の首に当てる横木。

□ 最後の一年、私は常にくびきを背負った老馬のようなもので、最後の一時に到るまで、それを緩めることは無い。新たな成果によって私の仕事の上の欠点を補うよう努め、それによって人民の理解と許しを得るようにする。「職場に入る時は、懇ろに忠誠を尽くし、外に出る時は、謙虚にして、驕ることのないようにする。」私はこの、人としての原則を堅く守り、また後任の人にも同じ心構えを持ってもらうよう託したい。彼らはきっと私よりもっと良くできると信じている。

○ 引用句:入則懇懇以尽忠,出則謙謙以自悔
 ◆出典:元・張養浩《為政忠告》
 ◆訳:君王にお目にかかる時は、忠誠を尽くして仕事に励み、宮廷から外に出る時は、謙虚で慎み深くする。  
 ◆張養浩は元朝の漢人の宰相である。清廉な行政を行ったことで有名。《為政忠告》は彼の政治に対する心構えをまとめたもの。

■[3]

 
□ 私は「国家の利益となるなら命がけで行い、禍福によって態度を変えない」という信念を守り、国家のため丸45年尽くしてきた。私は国家と人民のために私の全ての情熱、心血、精力を注いできたのであり、私利私欲を謀ったことはない。私は人民と向かい合い、歴史と向かい合う勇気がある。「私に対する評価も批判も、それは《春秋》に著される事実に依っている。」

○ 引用句:苟利国家生死以,豈因禍福避趨之
 ◆出典:林則徐《赴戍登程口占示家人》
 ◆訳:もし国家にとって利益となるなら、私は生命をなげうつことができる。どうして禍となるものは避け、福となるものはそれを迎え入れるようにすることができるだろうか。
 ◆林則徐は欽差大臣として広東でイギリスが持ちこんだアヘンを焼き捨てたことから、アヘン戦争が勃発することとなったが、1842年、その責を問われて新疆イリに流される途中、西安で即興で詠んだ詩の一節。

○ 引用句:知我罪我,其惟《春秋》
 ◆出典:孟子・《滕文公下》
 ◆訳:私に対する良くい評価も、悪い批評も、それは《春秋》に著された事実に依っている。

  台湾の《中国時報》の記者が、来年3月に総理の任期を終え、引退して後、台湾を旅行される予定はないか、という質問に対する回答です。

■[4]


□ 私が引退後、台湾を自由に旅行に行けるかどうかについては、率直に言って、私は行きたいと思うが、条件を見ないといけない。けれども、どうか台湾の人々によろしく伝えてほしい。それで思い出したが、清代に台湾が割譲されてから、台中の詩人、林朝の詩の一節に、「天を修繕したいと思っても、そのような方術の心得はないが、欠けた月もいつか再び真ん丸になる時がある」というのがある。私は、中華の青年達が共に努力しさえすれば、祖国統一と民族振興の大事業は必ず実現できると信じている。このことは、中国人全体の誇りである。

○ 引用句:情天再補雖無術,缺月重圓会有時
 ◆出典:林朝《送呂厚庵秀才東帰二首》
 ◆訳:天を支えている柱が壊れたので修繕したいと思っても、そのような方術の心得は持ち合わせていないが、欠けた月もいつか再び真ん丸の月となる時が来る。
 ◆林朝(1875-1915)は清末~民国初期の人で、台湾彰化県出身。櫟社の発起人、首席理事として、台湾文学の発展の上で重要な役割を占め、台湾詩界の泰斗と称される。

  香港TVBの記者は、現在行われている、次期香港特別行政区行政長官選挙の候補者選びについて、温家宝の見方を尋ねました。それに対する回答です。

■[5]
 

□ 私は香港を愛する。2003年に私は香港に行ったことがあり、そこで黄遵憲の詩の一節を使って、「国土一寸といえども、金塊と同じくらい貴重なものである」と形容した。香港が返還されて15年が経過したが、この15年の香港の発展による変化は、「一国二制度」、「香港人による香港統治」、高度な自治が、強い生命力を持っていることを証明した。

○ 引用句:寸寸河山寸寸金
 ◆出典:黄遵憲《題梁任父同年》
 ◆訳:国土一寸といえども、金塊と同じくらい貴重なものである。
 ◆黄遵憲が1896年、梁啓超が上海で発行していた《時務報》に寄稿した詩の一節。日本との甲午戦争(日清戦争)に敗れ、台湾、澎湖諸島、遼東半島の割譲や賠償金支払い等、国家の屈辱的な情勢を前に、国を思う心境を詠ったもの。

  中央電視台の記者は、社会の公平正義の実現推進のため、残された任期にどういう取組みをするつもりか、ということと、ネット上での政府への批判に対し、どう考えるか、という質問がありました。

■[6]


・謡諑 yao2zhuo2 人を中傷するデマ。事実を偽って人を中傷する。誹謗する。
・義無反顧 yi4wu2 fan3gu4 [成語]道義上、後へは引けない

□ 私の総理在任期間中、確かに中傷誹謗は絶えることがなかった。私はそれに影響されることはなかったが、心の中では苦痛を感じることを免れることはできなかった。このような苦痛は、「信用していたのに疑われ、忠誠を尽くしたのに誹謗された」という苦しみであり、私の独立した人格が人々に理解されていないということであり、それゆえ私は社会に対し幾分憂慮している。私は「他人の流言蜚語の類を気にしない」という勇気を持ち続け、一度取り組んだ以上は後に引けないという気持ちで、引き続き奮闘する。

○ 引用句:信而見疑,忠而被謗
 ◆出典:司馬遷《史記・屈原列伝》
 ◆訳:誠実に君主に仕えたのに、却って疑われ、忠誠を尽くしたのに、奸臣によって誹謗された。

○ 引用句:人言不足恤
 ◆出典:宋史・王安石列伝
 ◆訳:他人の流言蜚語の類は気にする必要はない。

  おそらく、想定質問をベースに、事前に準備された発言でしょうが、温家宝さんの博識には、いつも感心させられます。


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ

にほんブログ村



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知我罪我,其U+4E3A春秋 (ヨウ)
2012-06-28 18:14:35
日本語専門の中国人の学生です。
ご高見を拝見しまして、中国古典文学に対する博識に感心しております。
さて、一つ疑問を持って、伺いたいことがあります。
「知我罪我,其U+4E3A春秋」を「私に対する評価も批判も、それは《春秋》に著される事実に依っている。」 に訳されましたが、ここの春秋は本物の[春秋]という本のことではなく、歴史のことをさすのではないかと思っております。
ですから、「知我罪我,其U+4E3A春秋」を「私に対する評価も批判も、それは歴史に残された事実に依っている。」 に役したらどうかなと思います。
未熟な意見を申し上げ、失礼しました。

返信する
《春秋》について (いながさとし)
2012-06-29 20:56:59
ヨウさん:
コメントありがとうございます。
孔子が編纂したといわれる《春秋》は、よく歴史そのものの比喩として用いられます。
ですから、ヨウさんの言われるように、「歴史」と訳しても、間違いではないと思います。
返信する

コメントを投稿