中国語学習者のブログ

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沈宏非《食相報告》を読む: 皮殻~ 食べ物の皮の持つ意味について考える

2011年12月18日 | 中国グルメ(美食)

  久しぶりに、沈宏非のグルメ・エッセイを紹介したいと思います。お題は、食べ物の皮や殻について。これは、おそらく、中国人の大好きな瓜子(クワズ)、つまり西瓜やヒマワリの種を炒ったものを食べながら、着想を得たのではないかと思います。食べ物に付いている皮や殻は食べられない。かといって、これを予め剥いて売ったら、瓜子の美味しさは半減してしまうだろう。どうしてか。
  それでは、以下に全文を見ていきましょう。

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 ( ↓ クリックすると、中国語原文が表示されます)


・脾 pi2 脾臓。

  厚いものもあれば、薄いものもある。軟らかいものもあれば、硬いものもある。私たちの日常の食べ物メニューに入れられている大部分の食物には、皆外側に一層の殻がある。軟らかいものはそれを皮と呼ぶ。たとえ麦や米といった最も基本的な食物も、例外ではない。

  相対的に「肉」や「核」を摂取目的とする飲食行為から言うと、皮や殻の存在は論理上の抵抗を意味している。脾臓や殻は元々、動植物が生存、或いは自らを保護するために与えられた道具である。人類の立場に立てば、皮や殻は飲食の障碍であるだけでなく、食物の一部分でもある。明らかに、こうした二面性は火の発明と調理の進歩によって決定された。人類以外の大部分の捕食者は、一部の霊長類哺乳動物と木の実を食べることを善くする鳥類を除いて、皆食物の皮や殻を取り除いたり、それを加工して食品にする技術手段を持っていない。

  たとえ人類が、皮を剥き、皮や殻を加工する技術が絶えず進歩したとしても、皮や殻を持った食物は次々に現れて尽きることがない。けれども、皮や殻は文化の上でのあの反文明、或いは「非礼」の潜在意識は依然としてそれをまき散らし、消し去ることができない。正式な宴席で、あまりに多く皮や殻の付いた食物が出され、間違いなく宴席の格式を下げている。賓客が自ら手を動かして皮や殻を除くというのは、尚更避けるべきことである。自らの手で上海ガニの殻をはずすあの瞬間の愉悦については、私は嘗て「アリババが宝物の隠された洞窟を開いた」ことになぞらえたことあるが、それでも大多数の高級レストランでは、蟹の殻は慇懃に事前に取り去られている。

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・貪婪 tan1lan2 貪婪(どんらん)な。貪欲な。
・周扒皮 zhou1 ba1pi2 高玉宝の小説《半夜鶏叫》に出てくる悪徳地主で、本当の名は周春富(“扒皮”は「皮をはぐ」ことだが、「暴利をむさぼる」という意味もある)。常雇いの作男(“長工”という)は決まりでは朝は鶏が鳴くと起床して労働を始めることになっていたので、鶏の鳴き声を真似て、作男たちにまだ夜中の内から働かせた。

・喜聞楽見 xi3wen2 le4jian4 [成語]喜んで見聞きする。人々に歓迎されること。
・愛不釈手 ai4 bu4 shi4shou3 [成語]大切にしていて、手放すに忍びない。
・味同嚼蝋 wei4 tong2 jiao2la4 [成語]蝋を噛むような味だ。味もそっけもない。
・乏味 fa2wei4 味気ない。面白味がない。

・咬牙切歯 yao3ya2 qie4chi3 [成語]切歯扼腕(せっしやくわん)する。恨み骨髄に徹する。
・恨不得 hen4bude 何かをしたくてならない。じれったい。もどかしい。
・齦 ken3 齧る
・血肉之躯 xue4rou4 zhi1 qu1 血の通った肉体
・逓 di4zeng1 少しずつ増やす

  ピーナツ、くるみの類の値段の安いものは、市場では皮を剥いたものが高い。ピーナツは殻を剥かないといけないだけでなく、ピンク色の内側の皮も取らないといけない。私は小学校に行っていた頃、ある年、毎週木曜の午後に南京東路の有名な揚州飯店へ行って、集団労働に参加したことがある。内容は、ピーナツの皮を剥くことだった。アルバイトの熟練工の見方に立てば、ピーナツの実を一粒一粒きれいに皮を取り除くのは、利益に貢献し調理上の必要に因るというよりもむしろ、文化上の洗礼、更には割礼とさえ見るべきであろう。そして、皮を剥く、或いは殻を取り去る手段は多少、暴力的、貪欲的な色彩を帯びている。小地主の“周扒皮”は鶏の鳴き真似をして、法律で決まった仕事時間を人為的に前倒しにしたことで有名で、同時に他人の剰余価値を搾取する快感を味わった。

  これに比べ、皮や殻は煮ても軟らかくならず、たとえ軟らかくなっても簡単には飲み込めず、風味については尚更問題にもならない。

  殻は食べることはできないが、私たちがものを食べる時に、殻はその存在が、その存在が無くなる過程がたいへん重要な一場面に変わることがある。とりわけ、干した木の実類を食べる時がそうである。例えば、私たちが大好きで、手放すことのできない西瓜やヒマワリの種(つまり“瓜子”、クワズ)、胡桃、ピスタチオの類は、それを私たちが「美味しい」と感じるのは、その半分が殻を剥く楽しみに関係している。お店で高値で売られている殻無しの“瓜子”や胡桃の剝き身は、一つの工程を省くことができるが、食べてみると面白みに欠け、味もそっけもなく、面白味がないことといったら、まるで序言を読み終わらないうちに誰が犯人か分かってしまう推理小説のようだ。

  ある人を骨の髄まで怨んでいる時、私たちは切歯扼腕して言う:「あいつの肉を食べ、血を飲み、骨を齧り、あいつの皮膚の上で寝てやりたい。」こうした表現方式は、表面上は一つの血の通った肉体を、生理構造の上から分解してやる過程と完全に一致するが、実は文明から野蛮へとだんだんと逆方向に向かっていることを表していて、絶えず積み重なっている憤慨を表わしている。

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・佛跳墻 fo2tiao4qiang2 福建名物の高級スープで、その匂いにつられ、坊さんが垣根を飛び越えて来るほど美味しい、という面白い名前が付いている。
・登基 deng1ji1 即位する。
・醇厚 chun2hou4 においや味に厚みがある。こくがある。

・魚皮花生 yu2pi2 hua1sheng1 厦門名物のスナック菓子で、ピーナツの周りに米粉の衣をまぶしてローストし、甘辛い味付けをしたもの。米粉の中に魚皮の粉末を混ぜて風味付けしたので、この名がある。
・生魚 sheng1yu2 “烏鱧”wu1li3、俗称“黒魚”と呼ばれる。ライギョ(雷魚)。
・鯇魚 huan4yu2 ソウギョ(草魚)。

  私たちの飲食や調理の経験では、ある種の皮や殻は、敷いて寝ることもできれば、食べることもできる。どちらになるかは、基本的には、それらの強靭さと味によって決まるのである。

  豚の皮は最もよく見る食品である。単純に豚の皮で作られた大衆化された美食といえば、先ず挙げられるのが中国北方の“肉皮凍”、皮の煮凝りである。こうしたゼラチン状の食物は、北方のレストランでは多くが前菜か、酒の当てとして出される。作り方は、豚の皮を鍋に入れてざっと煮て、それを拡げて冷ましてから細長く切り、再び調味料(塩、花椒、八角、醤油、及び葱、生姜、ニンニク等)を加えて、肉の皮が金色を帯びた赤色になるまでよく煮ればよく、後は静かに固まるのを待つ。

  東坡肉(トンポー肉)に皮を加えなかったら、色彩的に肉の層の美観を損なうというのは些細な事で、それにより、口当たりのしなやかさと軟らかさの対比と、それによりもたらされる快感が失われるのは、大きな問題である。一方では豚三枚肉の上層として、豚皮はゆっくりととろ火で煮込まれながら、絶えず下層へ染み通るゼラチン質こそ、東坡肉の美味しさの重要な部分である。

  明らかに、豊富なゼラチン質によって豚皮は喜ばれ、佛跳墻、フカヒレといった高級料理でも、豚皮の補佐無しには成り立たない。もちろん、王業成就後の即位式では、既に搾り取られてカスカスになった豚皮はとっくに人々の間に消えてしてしまっている。淮揚湯包(スープ入り包子)や上海生煎包(焼き小龍包)の美味しさは、尚更豚皮の煮凝りの餡の中での滅私奉公に頼っている。煮凝りの分子密度が高く、熔点が高いので、包子が十分に蒸されると、小麦粉の皮と餡が一方では豚皮のゼラチン質の一部を吸収し、同時に包子の空洞の中にこくのあるスープをかもし出す。烤乳猪(子豚の丸焼き)に至っては、食べるのはその皮の部分である。いわゆる“花皮乳猪”というのは、その表面が火で溶けているのか、それとも文化の“化”なのか、よく分からない。

  広東人は皮を食べる専門家で、魚の皮についての知識があるので、その料理は“魚皮花生”に止まらない。順徳の伝統的な前菜、“爽滑魚皮”は広東人の魚皮料理の傑作である。ライギョかソウギョの皮をざっと煮て、生姜、葱を加え、生臭を消したら食卓に出せる。調味料として生姜、おろしニンニク、胡麻油、醤油、酢を加える。これをお粥に付けたら、とってもHappy!

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・口腹之欲 kou3fu4 zhi1 yu4 飲み食いに対する欲望
・植皮 zhi2pi2 皮膚の移植をする。
・無影無踪 wu2ying3 wu2zong1 [成語]影も形もない。跡形もない。

  私たちは、既に殻付きの木の実を殻を剥きながら食べる楽しみについて議論したが、実は、天然の皮、殻以外に、人類は自分自身の飲み食いへの欲望や、ゲーム心理から、天然を真似て人工的、後天的な食物の皮、殻を作り、「皮を描く」仕事に従事してきた。

  人為的な「皮付き」の食品とは、例えば包子、餃子、ワンタンなどである。人造の「殻付き」食品は、つまり缶詰めに他ならない。実は、大多数の缶詰めの食品は決して美味しくない。けれども、これらの不味い缶詰めを開く為、私たちはどれだけの数の奇妙な工具を発明し、改良してきたことだろうか。こうした努力の目的は、単に缶詰めを開いてその中の「内容」を得るだけであれば、説得力はおそらくまだ不十分だろう。「開ける」、「開封する」ということ以外に、この過程や儀式の中で得られる無上の楽しみも考慮に入れないといけない。

  順徳の大良で始まり、西関の「文信」から広まり、盛んになった、有名なデザート、“双皮奶”は、売り物はその二層の薄い「牛乳の皮膜」である。これを作るのに、“双皮奶”の製造はたいへん煩雑である。先ずとろ火で牛乳に砂糖を加えて煮溶かし、三つの小碗の中に分けて入れる。冷却後得られる第一層は、牛乳が凝固してできた皮膜である。その後、つまようじで牛乳の皮膜の一角を持ちあげ、皮膜の下の液体の牛乳は別の大きな碗に移し、牛乳の皮膜が小さな碗の底に残るようにする。次に、割ってほぐした卵と大碗の中の牛乳を混ぜ合わせ、再び第一層の牛乳の皮膜が残っている三つの小碗に注ぎ入れ、蒸籠に入れてよく蒸すと、第二層の皮ができ、皮膚の移植手術はようやく完成である。

  こうした精巧な「人造革」以外に、もう一つ、動物の殻があり、元々食べられない物だが、あくまでもそれを使ってもう一度「殻の中から外に引きずり出す」という、幾分か猛獣の真似をして獲物を捉える過程を再現している。例えば、十分な大きさのホラ貝の中をほじくり出して空にし、身を包丁で叩いて細かくし、細かく切った豚肉と様々な調味料といっしょに混ぜ合わせた餡でもう一度殻の中に詰めたものを煮て、最後に殻ごと皿に盛る。この方法がもたらす美味とその形式が呼び起こす快感は、本質的にローランド・バルテスのストリップショーとたいへん似ていて、大切なのは「如何に脱ぐか」を中心とする「脱ぐ」過程であり、一旦すっかり脱いでしまったら、その意義もそれにつれ跡形もなく消えてしまう。

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・挑逗 tiao2dou4 思わせぶりな態度をしてからかう。欲しがる物を見せてじらす。
・挑衅 tiao2xin4 挑発する。けんかを売る。

・茂 mao4 豊富でりっぱである。書籍の宣伝文句で“図文并茂”(挿絵も文章も内容豊か)という表現を使う。ここでは、これをもじっている。
・包扎 bao1za1 包む。
・企及 qi3ji2 及ぶ。
・去粗取精 qu4cu1 qu3jing1 [成語]かすを除いて精髄を取り出す
・去偽存真 qu4wei2 cun2zhen1 [成語]偽物を取り去って本物を残す
・油然 you2ran2 感情が自然にわき起こるさま。

  皮や殻の先天的、或いは非先天的な存在は、食べる者に対する挑戦というより、むしろそれがこのゲームに多くの面白味を添えていると言うべきだろう。それはちょうど、魚を食べることを面倒くさがらない人は皆、魚の骨を、相手をわざとじらしているのだと思い、決して喧嘩を売っているとか、妨害しているとは考えない。それと同時に、リンゴの皮を剥くことも一つの技能となり、人に見せる絶技と成り得る。

  こういう遊びの精神は、しばしばそれに関係する人に潜在意識の上で知性と感性のどちらも豊富でりっぱだという気持ちにさせる。もし「包んで、それを解く」を基本モデルとする快感体験が感性の及ぶ極致とするなら(例えばグリム兄弟の《白雪姫》の中で、こう書かれている:王様は“卵の殻を剥くように”、白雪姫の脚の絹の靴下を脱がせました)、知性の面では、皮や殻を剥いて最後に食べられる肉や身を得るこの過程が、滓を除いて精緻を取り出し、偽物を取り去り本物を残し、ここからあちらへ、表面から中へと進む認識と実践の一般法則に完全に符合していて、ある種の直線的な快感が自然とわき上がってくるのである。

  経験的には、毎回正確に、皮や殻の中身は忠実に私たちの指が伸びてくるのを待っていて、「殻の外が中に入ろうとし、殻の中が外に飛び出そうとする」ような盲目的な混乱は永遠に生じ得ないとしても、認識から言うと、「剥離」の結果はしばしば虚無に向かう。銭鐘書先生のもう一つの未完の長編小説《百合心》、この題名は、フランス語の成語の“lecoeurd'artichaut”から採ったものだが、その意味は、人の心は百合の球根のように、一枚一枚剥がしていくと、最後にはただ虚無だけが残るというものだ。

  皮や殻の存在は、容易に私たちにこう信じさせる:真相はいつも覆い隠されているもので、「神秘のベール」は私たち自身の手で開けることができ、そうして真相は白日の下にさらされるのだと。けれども、推理小説で名高い日本の作家、安部公房は、嘗てドブガイという典型的な有殻動物を借りてこのように書いた:「実際、こいつは本当に貝の殻のようだ。こいつを叩けば叩くほど、こいつは固く殻を閉ざし、こいつを取り出す方法は何もない。無理にこじ開けると、こいつは死んでしまうだろう。だからどんな方法もない。ただこいつが自分で口を開けるのを待つしかない。」


【原文】 沈宏非 《食相報告》 四川人民出版社 2003年4月より翻訳

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