兵庫県浄土寺、大仏様組物
寺社の建物の説明をする時、屋根の軒を支える斗拱(ときょう)という木製の組物が建物の大きな特徴となっています。それでは斗拱などの建物のパーツを、中国語でどう訳したらよいか、というのが今回のテーマです。百度の記事などを参考にしながらまとめてみましたが、まだまだ不十分。詳しい方がいらっしゃいましたら、ご指導いただければうれしいです。ちなみに、斗拱は、中国語でも「斗栱」dòugǒng、或いは「铺作」pūzuòと言います。
元々、斗拱は中国から直接、もしくは朝鮮を経由して日本に入ってきたもので、基本は共通ですが、時代と共に、それぞれ独自に進化した部分があります。また、曾ては中国にあったが、中国では既に実物が失われ、日本でのみ残っているものもあります。
(1)斗拱
斗拱は大屋根の前に張り出した軒を支える木の組み物です。上の写真で言うと、
・斗:これは四角い桝の形をしていて、「ます」と読むこともあります。中国語でも「斗」dòuです。日本同様、「升」shēngと言うこともあります。
・肘木:梁や桁、斗の下の荷重を支える横木です。中国語は「栱」gǒngです。
今度は、上の斗拱の分解図で見ていきましょう。下→上に見ていきます。
・柱:柱子 zhùzi
・貫:横方向に軒を支える材木。「额枋」 éfāng 或いは「阑额」 lán é。
・斗(ます):斗 dòu
・梁:「栿」fú。但し、建屋の中の仏像を安置する身舎(もや。「正堂」)を支える梁では、「梁」liángも使います。
・肘木:栱 gong
・丸桁(がぎょう):垂木を支える桁 (けた) で、最も軒先近くにあるものです。「檐檩」
yánlǐnと言います。
上の図は、中国での斗拱の絵です。一番下の「做斗」は、「栌斗」lúdòuとも言い、日本では大斗(坐斗)と言います。
「小斗」は、日本では巻斗と言います。
これは宋代の建築様式の軒柱(「檐柱」)とその上の組み物の図です。
ここで、「昂」ángとあるのは、尾垂木で、斗拱から斜め下に突き出したものは、「下昂」と言います。日本の社寺では、下の写真のようになります。
中国の建築では、「昂」の上に「耍头」shuǎtóuという木材を噛ませており、これにより、「昂」、「斗栱」と共に軒を支える力を強化し、時には軒屋根の傾きを持ち上げる機能を持たせています。
これらを含め、軒を支える柱や組み物の構造図面(中国)が下の図面です。
日本の寺社建築とは多少違いもありますが、中国の方に説明する時は、ここに記されている言葉を使うと、理解してもらいやすいと思います。
この図で、柱が2本ありますが、内柱から右側が建物の中で、仏像を安置する身舎(もや。「正堂」zhèngtáng)となり、それより左側が外側の廂(ひさし)の部分、軒(「屋檐」wūyán)になります。屋根瓦を載せる垂木(化粧垂木)は、「椽木」chuánmùです。
「令栱」lìnggǒngというのは、肘木でも一番上の「檐檩」(丸桁、がぎょう)を支えます。「跳头」tiàotóuという言い方もあります。
その下にある肘木で、外に突き出たものを「华栱」huágǒngと言い、宋代からこう呼ばれました。清代は、「翘」qiáoとも言いました。これと90度、壁の方向の肘木は「泥道栱」nídàogǒngです。中国では、大斗(坐斗)の上に「华栱」と「泥道栱」を交差させて「栌斗」(「坐斗」)の上に置かれます。「泥道栱」は清代には「正心栱」とも言いました。
軒を支える梁を「乳栿 」rǔfúと言うのは宋代からの言い方で、清代は「双步梁」とも言いました。
「下昂」(尾垂木)が2本、上下に重なり、「阑额」(「额枋」。貫)も何本も重ねられていますね。また、「屋檐」(軒)側だけでなく、内部の「正堂」(身舎)側にも斗拱が使われていますね。
これは、梁の上に大斗(坐斗)が載り、その上に肘木、一番上は小斗3個で桁を支えているので、「一斗三升」という言い方をします。
この写真は、法隆寺の金堂です。突き出ている角材は尾垂木で、中国語では「昂」。その下を支える、法隆寺独特の雲肘木ですが、これは中国語で「云形栱」。
これは、丸桁(檐檩)を支える肘木で、しかも雲肘木ですから、中国語では、「跳头云形栱」と言います。
これは、法隆寺金堂高欄(「勾栏」gōulán)の人字形割束(にんじけいわりづか)ですが、中国語では「勾栏人字栱」と言います。尚、こうした人字形割束は、中国でも南北朝から唐くらいまでは幅広く使われたようですが、現在は木造の建物は残っておらず、わずかに壁画や石窟寺院の中などに残っています。
尚、人字形割束の上の「卍崩しの高欄(まんじくずしのこうらん)」も大変有名ですが、これを中国語で言うと、「卍wàn字搞乱花样的勾栏」となると思います。
これは、山西省大同の雲崗石窟に残る、人字形割束、「人字栱」です。このように、石窟寺院などには残っていますが、木造の建造物としては、残っていません。
三手先(みてさき)は、中国語で「出三跳斗栱」となります。
これは、東大寺大仏殿正面の六手先(むてさき)の組物で、軒柱から挿肘木が出ています。これを中国語で「出六跳插栱」と言います。挿肘木は「插栱」chāgǒngです。
(2)蟇股(かえるまた)
蟇股は、頭貫(かしらぬき)や梁(はり)の上 、桁との間に置かれる山形の部材。本来は上部構造の重みを支えるもの。日本で独自に発展し、後には単に装飾として、さまざまに彫刻して破風(「抱厦」bàoxià)などにつけられたものです。蟇が脚を広げてふんばった姿勢と似ているところから蟇股と名付けられました。中国では、日本のような装飾用の蟇股は存在しないようです。
中国では「驼峰」tuófēngが蟇股に近いです。「驼峰」の本来の意味は、梁の上の当て木です。ラクダの瘤のような形をしているので、こう呼ばれます。
上の写真は唐代の木造建築の内部ですが、「四椽栿」の上で、「平梁」を支えているのが「驼峰」です。
これは、斗拱と斗拱の間を補強する組物のデザインの変化を示したものです。正に蟇股に相当します。「铺作」pūzuòというのは組物、或いは斗拱のことです。蟇股は斗拱と斗拱の間の補強材ですから、「补间铺作」bǔjiānpūzuòは正に蟇股のことです。尚、中国では、「补间铺作」に蟇股を使わず、斗拱を置くことが多いです。日本で言うと、禅宗様の建築様式です。
「正堂」の内部には、こうした「驼峰」も見られるようです。
(3) 木鼻
木鼻とは「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が転じて「木鼻」に書き換えられたものです。頭貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾をいいます。
一方中国でも、貫(「额枋」或いは「阑额」)、尾垂木(「昂」)の上の「耍头」に装飾を加えることが行われました。それを示したのが上の資料です。ですから、木鼻を「耍头」shuǎtóuと言うか、例えば貫の木鼻であれば、「阑额出头」と言えば分かると思います。
尚、中国では、梁と貫の間の補強材(「承托」chéngtuō)に装飾がされることが多いようです。次の写真がその例です。
次は、梁や貫の木鼻の例です。これは「梁头」か「耍头」の何れかだと思います。
次に、「耍头」の装飾。
以上、長々と説明してきましたが、中国と日本の寺院建築は、元々中国から日本へ伝来したので、元は同じですが、その後、和様、「日本化」というか「日本式」の建築様式が生まれ、発展してきたので、異なる部分が見られます。或いは、中国では既に失われ、壁画の中などでしか見られないものもあります。それゆえ、中国から日本に観光に来た方が、日本の寺院建築を見て、感じることのできる懐かしさ、おもしろさがあるのではないかと思います。今回、整理した語句を用い、より的確に通訳、翻訳ができれば良いなと思います。