中国語学習者のブログ

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紅楼夢の茄子料理

2009年11月10日 | 紅楼夢
今日は、紅楼夢に出てくる茄子の料理の話である。それも、ただの茄子の料理ではない。
《紅楼夢》第四十一回から、この料理のくだりを先ず見てみよう。

 鴛鴦無法,只得命人満斟了一大杯,劉姥姥両手捧着喝. 賈母薛姨媽都道:“慢些,不要嗆了.”薛姨媽又命鳳姐儿布了菜. 鳳姐笑道:“姥姥要吃什麼, 説出名儿来,我(扌兼)jian1了喂你.”劉姥姥道:“我知什麼名儿,様様都是好的.”賈母笑道:“你把茄鮝xiang3(扌兼)些喂他.” 鳳姐儿听説,依言(扌兼)些茄鮝送入劉姥姥口中,因笑道:“你們天天吃茄子,也嘗嘗我們的茄子弄的可口不可口.”劉姥姥笑道:“別哄我了,茄子跑出這個味儿来了, 我們也不用種粮食,只種茄子了.”衆人笑道:“真是茄子,我們再不哄你. ”劉姥姥詫異道:“真是茄子?我白吃了半日.姑奶奶再喂我些,這一口細嚼嚼. ” 鳳姐儿果又(扌兼)了些放入口内.

 鴛鴦は仕方なく、下女に命じて杯にいっぱいの酒を注がせると、劉ばあさんは両手でささげ持って飲んだ。賈かあさんや薛おばさんは「ゆっくりお飲みなさい。むせないでね」と言った。薛おばさんはまた鳳ねえさんに命じて料理を並べさせた。鳳ねえさんは笑って、「おばあさん、何を食べたいか、名前を言ってくれれば、私が箸ではさんで口に入れてあげますわ。」と言った。劉ばあさんは「私はなんという名前か知らないが、どれもおいしそうだ」と言った。賈かあさんは笑って、「おまえ、茄鮝を食べさせておやりよ。」と言った。鳳ねえさんはそう聞くと、そのとおり茄鮝を取って劉ばあさんの口に入れてやり、笑って言った。「皆さんは毎日茄子を食べているでしょうが、うちの茄子がお口に合うかどうか、試してみてください。」劉ばあさんは笑って言った。「私をだまさないでおくれ。茄子がこんな味を出すなら、私たちは米を作る必要がない、茄子だけ植えますわ。」一堂は笑って言った。「本当に茄子ですのよ。決してあなたを騙してはいないわ。」劉ばあさんは不思議そうに言った。「本当かい。私がぼんやりしていたのかね。ねえさん、もう少し食べさせてくれないかね。今度はじっくり味わってみるから。」鳳ねえさんはそこでもう少し箸で取ると、口に入れてやった。

 劉姥姥細嚼了半日,笑道:“雖有一点茄子香,只是還不象是茄子. 告訴我是个什麼法子弄的,我也弄着吃去.”鳳姐儿笑道:“這也不難.你把才下来的茄子把皮刨了,只要浄肉,切成碎釘子,用鶏油炸了,再用鶏脯子肉并香菌,新笋,蘑,五香腐干,各色干果子,俱切成釘子,用鶏湯煨干,将香油一收,外加糟油一拌,盛在瓷罐子里封厳,要吃時拿出来,用炒的鶏瓜一拌就是.”

 劉ばあさんはしばらく味わっていたが、笑って言った。「ちょっと茄子の香がするが、やっぱり茄子のようじゃない。私にどんな方法で作ったか教えてくれないか。私もやって食べてみるから。」鳳ねえさんは笑って言った。「そんなに難しいことはないですよ。取ってきたばかりの茄子の皮を剥いて、中の果肉だけにして、細かく細切りに切って、鶏の油で揚げて、鶏の胸肉やしいたけ、新鮮なタケノコ、マッシュルーム、五香腐干(豆腐の干したものを戻して醤油などで味付けした保存食品)、いろいろな木の実も細かく切って、鶏のスープで汁がなくなるまでとろ火で煮て、ごま油を吸わせて、糟油(もち米を醗酵させて酒にし、丁子、甘草、シイタケ、ウイキョウ、塩などを加え、1年ほど寝かした調味料)を加えてかき混ぜて、磁器のつぼの中に入れてしっかり封をして、食べる時に取り出して、炒めた鶏の足と混ぜ合わせればいいのよ。」

 劉姥姥聴了,揺頭吐舌説道:“我的佛祖! 倒得十来只鶏来配他,怪道這個味儿!”一面説笑,一面慢慢的吃完了酒,

 劉ばあさんは聞いていたが、首を振って舌打ちして言った。「ご先祖様!いったい、十羽以上も鶏をこのために使うなんて、道理でこんな味がするわけだ!」そう言って笑いながら、ゆっくりと酒を飲みほした。

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 さて、ここで出てくる「茄鮝」、たいへん手間と金のかかった料理であることがわかるが、この料理について、紅楼夢研究の泰斗、雲郷が《雲郷話食》の中で一文を書いておられる。

“茄鮝”というのは、冷菜(オードブル)なのか、それとも温かい料理なのか?塩漬け、粕漬けといった、“路菜”のような、長時間保存できる“陳菜”、つまり保存食品なのか?それとも、食べる時に調理する、保存できない新鮮な料理なのか。

“路菜”ということばを、大多数の人は知らないので、ちょっと解説しておく。

 《紅楼夢》の時代、当時の長距離旅行は、交通条件の制限を受け、毎日80~100里(40~50Km)しか移動できなかった。当時欽差大臣の位にあった林則徐が北京から広州へ行くのに、彼の日記によれば、三か月を要した。毎日宿に泊まって休息、食事はどうしたのだろうか。

 当然地方官が駅ごとに酒席を手配したが、辺鄙な小さな村も通らなければならず、生活条件が悪く、不便な地方では、たとえ料理人や召使を連れていても、何も買えなかった。また、旅行中でばたばたと忙しく、長い旅で疲れ果て、調理をしている時間もなかった。そのため、旅行に出る前、先に旅行中の“路菜”(常備菜)を作り、容器に入れ、持ち歩いた。

 辺鄙な小駅に着くと、火を起こし食事を作る。おかずを作る必要はない。鍋をかけ水気の少ない粥か糊のような飯ができればよい。“路菜”を取り出せば、実質本位に食事を取れ、旅行中の飲食と健康を保証できる。

 《紅楼夢》に書かれているように、黛玉が北上した時、薛皤が遠方に行き商売をした時、こうした長距離旅行では、習慣として「路菜」を持って行った。自分の家で作るだけでなく、親戚友人がおいしい“路菜”を互いに贈り合った。これが当時の風習であった。

 また、昔は保存条件も悪かった。黄河以北、例えば北京では、冬に大量の氷を蓄えられるので、夏に氷桶を用いることができ、氷桶に入れれば炎暑の中でも魚や肉類を保存することができた。江南及び湖北、湖南、広東では、こうした条件がないので、食物の保存が一層困難であった。

 このため、伝統的な調理技術の中で、塩漬け、燻製、粕漬け、酒漬け、ロースト、風干し等の方法が創造された。食物を保存するだけでなく、たいへん風味のある食物を生みだした。

 様式は次第に複雑になり、ひとつの調理法でも異なる方法があり、使う材料も異なり、例えば塩漬けでも、粗塩に漬けるのか、細かい塩か、花椒塩(さんしょう塩)か、桔皮(みかんの皮)を入れて炒めた塩か。塩水に漬けるか、酢、辛子酢、砂糖、蜜に漬けるか。浅漬けか古漬けか、等々。

 これら塩漬け、燻製、粕漬け、酒漬け、風干し等の食品は、それぞれ名店や、各地の風味、味わいのある美味であり、その製法は独自の秘密があった。

 《紅楼夢》で書かれた“茄鮝”は、当然栄国府の厨房の家伝の秘法である。そうでなければ、賈かあさんがどうして特に鳳姐に少し箸で取らせて劉ばあさんに味見をさせたのだろうか。

 何を鮝xiang3と呼ぶのか。《集韵》の注記として《呉地記》の話が記載されていて、「鮝」を魚や料理の名前とするものは、皆「乾物」。「燻製」の意味である。例えば、イカは、塩辛い干物は「明鮝」、塩辛くない干物は「脯鮝」。フナ類の干物は「(魚即)ji4鮝」、白魚類の干物は「白鮝」、黄魚類の干物は「黄魚鮝」。江蘇浙江の人々は何が「鮝」かたいへん明確である。
 《紅楼夢》中の“茄鮝”は茄子を“鮝”の名とし、当然以下のいくつかの特徴があるかのようである。

第一は保存食で、若干日数保存された茄子の加工品で、新鮮ではなく、出来合いのものである。

第二に干物、燻製の類であり、乾いていて、スープやかけ汁、煮汁等は無い

第三に塩辛く風味があり、咬みごたえがあり、各種の“鮝”の特殊な風味がある。そうでなければ、どうして“鮝”の名があるのか。

第四に冷たいものを食べるのが習慣で、炒めた熱々を食べる料理ではないし、食べる時に温める冷葷でもない。粕漬け、酒漬け、干し肉のように、比較的長い時間経つと味が染みておいしい。最も普通なあひるの卵の塩漬けのようなものは、今日漬けて明日食べるようなことはできない。

第五にこういう料理は酒の充てになるだけでなく、おかゆにもっとよく合う。例えばよく見る肉のでんぷ、塩漬けのあひるの卵、ザーサイと肉の細切りの炒め物、仏手瓜と肉の細切りの炒め物など。

 鳳ねえさんが言う作り方を検討するなら、以下のいくつかの手順に注意しないといけない。すなわち、「鶏の油で揚げる(炸)」の「炸」、「スープで汁が無くなる(干)までとろ火で煮込む」の「干」、「ごま油を吸わせる(收)」の「收」、「糟油(もち米を発酵させて酒にし、チョウジ、カンゾウ、シイタケ、ウイキョウ、塩などを加えて1年ほど寝かしたもの)をからめる(拌)」の「拌」、「しっかり封をする」の「封」。この炸、煨干、收、拌、封が“茄鮝”の「五文字の真の秘訣」だと言える。その秘訣は、十分に水気を取り去り、乾いた状態(干)にする(香り、塩辛さ、しなやかで柔らかいの三者が合わさった「干」)ことと、しっかり密封して置いておくことで十分味をしみ込ませることである。

 古人の調理理論は、全ての生臭物、精進物の料理について、二句の要点を押さえた名言を残した。すなわち、「味のある物はそれを出させ、味の無い物はそれに入れさせる」。この原則を身につけて自在に活用できれば、調理の秘訣に深通したということができる。

 茄子は野菜であり、それ自身が清々しい香りがあるが、味は濃厚ではない。これがその一。茄子は季節の野菜で、一年中あるものではない。茄子の無い季節に、茄子を食べることができる。これがその二。これが茄子の清々しい香りを保ちつつ、濃厚な味をしみ込ませ、かつ保存がしやすく、比較的長い時間が経っても、おいしい茄子の料理であることができる。こうして“茄鮝”が作られた。

 鶏の油で揚げるのは、一に茄子を熱して、芳しくし、水気を取る。二に最初にこれに鶏の味をつけるためである。“茄鮝”は、当然、茄子が主役である。茄子と付け合わせの比率は、三対七で、すなわち付け合わせの鶏の胸肉、シイタケ、新タケノコ(茄子の季節に新タケノコは無い。干したタケノコで代用して構わない)、マッシュルーム、五香豆腐干、各種のナッツ(アーモンド、胡桃等を含む)などで、作業は多いが、料理の二、三割を占めるだけである。「鶏のスープをとろ火で汁が無くなるまで煮る」のも、茄子に鶏の味をしみ込ませるためである。しかしとろ火で汁気がなくなるまで煮込まねばならず、もう一度「干」の字が出てくる。

 スープでじっくり汁気が無くなるまで煮込んだ食物は滋味豊かで水分を含んで、表面がしっとりと潤い、長く保存できない。それゆえ「ごま油を吸わせ」なければならない。つまりごま油を鍋で熱し、強火でこれを煎り付け、休まず攪拌し、水分を蒸発させ、油で湿らせてこんがり香ばしく炒めるのである。これは福建の肉のそぼろと同様、必ずごま油を用いなければならない。そうしないと、冷めた後、一個一個がくっついてしまう。

 メインの茄子のさいの目切りは鶏の油で揚げ、付け合わせは鶏のスープで汁気が無くなるまで煮込み、ごま油を吸わせるのは、とりの味をつけるためで、皆汁気の無いものである。糟油を加えて混ぜ合わせるのは、塩味をつけるためである。私の知っているところでは、糟油は酒粕に他の材料を加えて特別に作った調味料であり、「秋油」のようである。磁器のつぼの中に密閉する。その密閉の目的は、空気と遮断するためで、外の空気と接触しない中の食物は、何日も保存することができる。そしてもっと重要なのは、においが拡散せず、中に密閉されることである。一定の時間を経て、今日開封するのでなければ、明日、あさってに開封する。時間は長すぎてはいけない。その味が茄子の中に入ったばかりで、これを「浸透」させ、「濃厚」であること、これが大観園の特色であり、風味が奥ゆかしい「茄子料理」である。これはのメニューの秘伝であり、仔細に研究しなかったら如何に調理するのだろうか。

 食べる時に、取りだして、炒めた鶏の足と混ぜ合わせてしばらく置く。それは曹公がわざと一筆加えたように、明らかに高貴である。正に後に劉ばあさんが「ご先祖様!いったい鶏を何羽これに使ったことか」などと言ったのに呼応している。様々な場面に対応し、その文字はたいへんつやつやとしている。単純に料理から料理を論じても、磁器のつぼの中から、何日も漬けこまれた、香がほとばしる“茄鮝”を取り出せば、それ自身が既に十分に口に合う美味である。お酒の友に良し、粥に付け合わせても良し、きっと味わいは尽きることがない。「炒めた鶏の足と混ぜ合わせる」のが、いささか蛇足の感があるが。

 このように、紅楼夢の本文を読んだだけではわからないが、この茄子料理は、元々保存食であったことがわかる。しかも、茄子という日常の食材を使いながら、たいへん贅沢な料理である。

 ここに、栄華を誇った栄国府での暮らしが表現されている。